日常をちょっと丁寧に生きる
気持ちの余裕と部屋の綺麗さは比例する。
勝手に自分の中で定義づけていることだ。
土曜、日曜に綺麗に整えられた部屋は、月曜、通うと進むにつれ散らかってきて金曜になるとさらにすごいことになっている。「すごいこと」といっても生活するに差し支えはない状態だが、「綺麗」に比べれば汚いといったところか。
1年半以上前、「丁寧な暮らしをしたい」という記事を書いていた。
あれれ、と言った感じか(笑)
これらもすべて気持ちの余裕と比例しているな、とつくづく感じる。
時間の余裕、心の余裕、集中力、寛容力などなど。
そもそも自分の気持ちに余裕があるかないかで変わってくる部分だ。
「丁寧な暮らし」ってやっぱり自分にはちょっとハードル高かったのかな、、と思う一方で、でもそんな毎回「気持ちの余裕が、、、」なんて言ってたら一生解決しないやん!とツッコミたくなる自分もいる。
だから少し言葉の表現を変えて、
「日常をちょっと丁寧に生きる」にしてみようと思うんだ。
その中身はなんぞや、ということなんだが概ね丁寧な暮らしと変わらない。が、もう少しだけ具体的にする。
例えば、
みたいな。別にやらなくて何かが変わるわけじゃないけれど、やった方が絶対いいことたち。
きっとこれらをやることで結果的に「朝ごはんを毎朝食べる」とか「背筋を伸ばす」みたいな「丁寧な暮らし」の方で掲げていることが達成できるんだと思う。それにこれなら日常単位の目標設定だからなんだかいけそうな気がする。
とか、
みたいに、日常にはやっておいた方がいいことがたくさんある。それをちょっとずつ洗い出してちょっとずつ実行する。そうやってちょっとずつ丁寧に生きる。その積み重ねがやがて丁寧な暮らしにつながるんじゃないかな。
結果としてそれが気持ちの余裕につながるんじゃないのかな、とも思う。
気持ちの余裕がないから出来ないんじゃなくて、やらないから気持ちの余裕が生まれない。そのスタンスに立てれば怖いものなしさ。
そんなことを、風呂上りストレッチ後に書いている。
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!