見出し画像

言葉に出来るって、当たり前じゃないから。

そういえば今日この記事を投稿することで、毎日note更新1400日を迎えるらしい。あと2ヶ月で丸4年を迎えます。

そんな1400日目の投稿。
noteと言語化、これによって今の自分が半分以上構成されているといっても過言じゃありません。1400日を迎えるということで、今ではこうやって記事を作成することが、想いを言葉にすることがすっかり「当たり前」になりました。

でも、ふと思うんです。
「これって当たり前じゃないからな」

と。極楽とんぼの加藤さんの声が聞こえてきそうです。

なんでこんなことを思うか、それは私の仕事に関係します。


何度も記事にしている私の仕事。障害のある方の就労支援。
現在は脳卒中による身体麻痺をはじめとする身体障害、また脳卒中にともなう高次脳機能障害をもった方を対象とした就労移行支援事業所で支援を行っています。ごめんなさい、ここらへんの単語の説明、割愛しちゃいますね。

前提だけ置いておくとすると、脳卒中による身体麻痺や高次脳機能障害って、基本的に後天的なものです。それまで何不自由なく普通に生活をしていた人が、病気を発症し、体に麻痺が生じたり、認知機能に不自由が生じたりするんです。

その中の症状の1つに「失語症」というものがあります。
失語症とは、脳の障害により、言語機能が損なわれることです。

話す、聞く、読む、書く。
人によって現れる症状は違います。抱える不自由さが違います。
聞くことの理解はできるけど、それを言葉で表現できない。
自分で話すことはできるけど、相手の話を理解することができない。
聞くことも、話すことも難しい。などなど。

実際に本人に話を聞いていると、

「伝えたい想いはあるんだけど、言葉がまったく出てこないんです」

という人もいれば、

「まったく何を言っているかが分からないんです、、」

という人もいます。

こちらとしても「どう言葉選びをすれば伝わるんだろう」と悩んだり「〇〇さんはどんなことを考えているんだろう」と想像したりという難しさはあるが、本人の大変さに比べればそれは計り知れないものです。

私たちは支援の中で向き合うところだけど、本人たちはずっと向き合っていくものだから。

もし今の自分が「言葉」「言語化」という部分を失ったら、と考えると怖いです。でも他人事ではないのもまた事実。だからこそ今こうやって表現出来ていることは、決して当たり前じゃない、というのは胸に刻んでおきたいと思っています。

と同時に、今現在関わっている失語症の方の支援にも全力を注いでいきたいな、と。失語症って完全に元の状態に戻るものではありませんが、全くよくならないものでもありません。たくさん話をし、言葉に触れることで少しずつ表現の幅が広がります。理解できるようになっていきます。

だから支援を通じて少しでも自分の想いを表現できる喜びを味わってほしいんです。誰かと会話できる喜びを味わってほしいんです。会話が通じるってそれだけで「1人じゃない」って感じがするから。

これからも引き続き、今表現できる喜びを噛みしめながら記事を書いていきます。次は1500日目を目指して。

この記事が参加している募集

今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!