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自分以外の話に心を傾ける時間の必要さ
自分という人間はnoteという場所が好きだし、
ラジオを聴くのも好きだし、
誰かと誰かが対談している動画を見るのも好きだし、
本だとエッセイのようなものが好き。
ずっとそれらが「なんとなく好き」な状態だったけど、
最近それがちょっと言語化される機会があった。
言語化された理由は、それぞれ媒体は違うけど
共通しているものがあったから。
その共通点というのが、
”その人の人生が垣間見える”
ということ。
分かりにくい悩みばかり増えて、諦めと後悔が心を塞いで全部どうでもよくなったときほど、自分の日常と交わらない誰かの話に耳を傾けると落ち着くんです。あの周波数の先にはこんなに沢山の人がいるんだなぁ
自分がnoteを見たり(書いたり)、ラジオを聴いたり、
エッセイを読んだりする理由が、全部この言葉に詰まっている気がした。
自分の日常を自分だけで抱えていくのがしんどくなったとき、
自分1人なんじゃないかと寂しくなったとき、
自分だけじゃもう新しいアイデアが浮かばない~ってなったとき、
自分以外のところに居場所を求めたくなる。
それは、
「大変なのは自分だけじゃない」と自分を落ち着けるためなのか、
「何か新しいアイデアはないかな」と発見のためなのか、
「人生そんなこともあるんだ」とただただ他人事で笑いたいのか、
その真意はわかんないけど。
自分1人の人生を自分1人で抱えるのがしんどくなっちゃうから、
他人の人生をちょっとのぞき見したくなっちゃうんだと思う。
実際それで救われている部分があるし、すごく必要なんだろうな。
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