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ピンチがチャンスだったと気付くのは、後になってからの話

昨日、Xにてこんな投稿をした。

「ピンチはチャンス」

そんな言葉がある。

実際、私の高校時代の野球部の練習着の背中にも「ピンチはチャンス」と書いてあった。確かに心持ちって大切で。ピンチだからといって下を向いていてはその状況に飲み込まれてしまい、どんどん悪い状況になっていく。

ピンチはチャンスととらえることで顔を上げることが出来る。
そんなニュアンスなんだろう。

すっごくわかるし、納得する。

だけど、個人的には「ピンチはピンチ」だと思っている。
これってもう言葉の綾というか、人それぞれの捉え方の部分になるので、「私の場合は」という注釈付きでお届けする。


「ピンチはチャンス」という言葉をいいことに、ピンチを与えることを悪く思わない人だったり、ピンチはチャンスなんだよと無理に前を向かせようとしたりする人がいると思う。

でも待ってほしい。

ピンチってないに越したことはない。
ピンチにならない状況をつくれるんだったら、ピンチをつくらないようにした方がいいに決まっている。

まずはピンチをつくらないための努力や行動はとったのか、という部分。
しっかり目を向けたい。

そこをしっかりしたうえで、それでもピンチになったとき。
その時はもうなんとかしないといけない。でもチャンスと思えるほどの気持ちの余裕ってないだろう。よっぽどメンタル強い人じゃないと。

だとしても「可能性を探る努力」はし続けたい。
ピンチだからといって「ダメだ、、、、」と下を向くのではなく、「何か可能性はないか」と顔を上げることはし続けたい

それでダメだったらダメでいいじゃない、と思う。


そうやってピンチを乗り越えた先で落ち着いたときに、

「そういえばあの時のピンチだった場面、今思えばあそこをきっかけにいろいろと変わってきたよな。チャンスだったんだな」

と笑ったり懐かしんだりして振り返ることが出来たときに、初めて「ピンチはチャンスだった」んだと言えるんだと思う。


ピンチだからといって過度に落ち込む必要はない。
だけどピンチはチャンスだ!と前のめりになりすぎるのも個人的には気をつけたい。

ピンチのときほど冷静に、フラットに。現状を見つめる。
そのうえで打開策を考える。

時間が経ってから笑い話になっている。


今の自分にとって、子供の頃の家族のごたごたなんて当時はピンチ以外の何物でもなかったけど、あの時があったから今があると思うとそれはそれでチャンスだったのかもな、と。

そんなもん。

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