『なんか』のしっぽを掴む
「なんかいい」「なんか違う」「なんか好き」「なんか嫌い」
「なんか〇〇」と感じたことはないだろうか?
大抵の場合、この「なんか」って見過ごしがちだ。
日常だったら別にそこまで深掘りする必要ないから。
むしろその言葉に出来ない感覚が良かったりすることもあるし、
言葉にしないことで本質に気付かないようにするという良さもある。
だけど仕事だとそうはいかない。
仕事の場合は、もっとこの『なんか』に執着していかないといけないと思っている。なんかの尻尾を逃しちゃダメ。
なんかって何も思い付きで感じるものじゃない。
それまで自分が見てきたもの、触れてきたもの、経てきた経験などの何かのフックに引っかかった結果『なんか』センサーが反応する。
1回限りならそれでおさらばでもいいだろう。
でも仕事の場合は、いいものであれば再現性を持たせた方がいいし、悪いものなら同じ轍を踏まないようにしたい。だけど『なんか』なんていう”ふわふわ”したもののままじゃ、すぐに忘れてしまう。
だからそこに言葉を与えてあげなきゃいけない。
「何がいいのか」
「何が良くないのか」
1回ですべての『なんか』を紐解くことは難しいかもしれない。
でもちょっとずつ、ちょっとずつ。解いていく。その段階が大事なんだと思う。
我々はついつい1回で全部を知ろうとするから、わからないことに対して投げやりになっちゃうけど考える過程に意味があるんだと思うんよ。気づける時には気づくし、気づけん時は気づけんのだから。
でも気づけんかったとしても、その時なりにしっかり向き合うことが大事で。あとで振り返った時に、「あの時、あんなふうに考えてたなぁ」なんて懐かしく思えたりするから。
「いいな~」で終わらずに、 「なんかいい」に注目する。
「なんでいい」のか考える。 それを自分ごとに落とし込む。
『なんか』の尻尾を逃がさずにいきたい。
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