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諦めたんじゃなく、落とし込んだだけ。

今日の記事はちょっと屁理屈チックかもしれない(笑)
ただ、書き残しておきたいということで。

よく、「優しい人は諦めた人だ」という言葉を耳にする。

大前提として私はこの言葉にすごく納得する。共感する。

人って期待をするからその期待とのギャップに苦しんで、それが怒りだったり落ち込みだったりにつながる。でも怒るのも落ち込むのもエネルギーを使う。だから「もうそういうものなんだ」と思って受け入れる。許容範囲が広くなる。

結果としてそれは「優しさ」にうつる。というのが直訳的な解釈だろうか。これは大変な想いをした人間だからこそなせる技で、その大変さを乗り越えてきた人だからこそなせる技だと思っている。

だけど「諦める」ってなんか響きが良くないな、という負けず嫌いの自分がいる。なんかこっちが負けを認めたみたいな(笑)こっちとしては受け入れる、そういうこともあるんだと捉える、というのが最善だと判断したうえでの選択だから「肯定的な選択」なんだ。


いきなりだがちょっと話を変えたい。

皆さんは「忘れたい経験」「嫌な思い出」ってないだろうか。
それと似たような意味あいで、
「嫌なことは忘れよう」という言葉も聞かれることがある。

忘れられるならそれに越したことはない。
人によっては忘れることができるのかもしれない。

ただ自分の場合、それは難しかった。
忘れようとすることは、かえって過去の自分を否定しているような気もしてしまうから。むしろそれを乗り越えてきて今がある自分を褒めたたえたいと思っている。

そう、過去の歪みって消したくても消せない。
傷ついた気持ちは治ってもやっぱりちょっと傷跡は残る。でもそのおかげで強くなっているのは言うまでもない。

忘れるくらいなら、自分の血肉にしてたくましくなっていくのが、自分自身への最大限のリスペクトだと思っている。


関係ない話をしたようだけど、自分自身の想いとしては一本につながっていて。

いい経験は血となり肉となるけど、嫌だった経験も血となり肉となっている。むしろしなきゃいけない。

忘れたい記憶とかたまにあるけれど、現実問題として完全に忘れるとかは無理で。だけどだからといってそれを認めることが「諦めた」と思われるのもなんか報われなくて。

だからむしろ向き合って内面に落とし込んでいくことが出来たら、ようやく前に進めるんだろうなと思ってる。

もっともっと強くなっていかなきゃいけない。
いろんな経験を自分の内面に落とし込んでいって、たくましく、そして優しく。そんな人間になっていきたい。



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