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英語表記”問題”を考える

人間は常に完璧を目指すかもしれない。けれどミスは起こる。そういう生き物だからしょうがない。バスケットボールの神様と呼ばれるマイケル・ジョーダンでさえもその失敗について語るコマーシャルがある。

「9000回以上シュートを外し、300試合の勝負に敗れ、勝敗を決める最後のシュートを任されて26回も外した。人生で何度も失敗した。それが成功の理由だ。」

誰しもが起こすミスが成功の理由。そんなカッコイイことが言えるためには世の中で起こったミスを指摘するだけではなく、一体なぜそういったことが起こるのかについて考えて個人的にも生かしていきたい。

今は英語を喋れることは特別なことではない。お金を払えば、機械でも第三者の力を借りてでも簡単に解決する問題にもなった。それでも商品名、スローガン、施設内の表示などにネイティブの人が見るとえ?というような表現が使われることが度々起こっている。

サッポロビールは誤表記であることを公表したが、他は意図的なのかもしれないのでこちらからは「ミス」とは表現できない。ただネイティブな方々の意見を見ていると、やはり違和感はある。

何故こういったことが起きてしまうのか。それは想像するにコミュニケーション不足過信、そしてスキルに対する正当な評価を与えていないことによるものだと想定する。何故なら個人的にもこういったミスは見てきているからだ。

第三機関に任せてしまったり、組織内の中であったり最終チェックなどのコミュニケーションをせず、これで大丈夫という過信があった場合に起こることが多い。これで大丈夫だろうという変な自信から物事が決まってしまって、時すでに遅しだったこともある。グーグル翻訳なのにその自信はどこから来るのかと頭を抱えたこともある。

どこで働いているかにもよるが、英語や日本語に関するミスが起こる度に思うのが、自分の存在感が薄いからそういう事態を招いてしまったということ。組織内にバイリンガルな自分という存在が知れ渡っていたら部署関係なく気軽にこれであってる?って聞いてくるだろう。個人としてはそんな考え方になる。

だが組織で働く者からたまに聞くのは、言葉を操ることが出来るという「スキル」は正当な評価を受けていない場合も多いということ。使い勝手が良いという地位にしかならない時もある。無駄なコスト(外部通訳や機械導入)を掛けずに、大学時代に留学していた彼がいるから大丈夫。英語表現のものは全て回され、業務ではない雑用にまで追われる。

そのため、他の言語を話せるという「スキル」を隠してしまう勿体ない状況が起こる。または海外だとその「スキル」でしか評価されない場合もある。通訳というポジションなんかは典型的かもしれない。日本人選手がいれば、日本企業との取引があればそのスキルは重宝されるが、必要がなくなれば居場所もなくなる(もちろんそれ以外で残れない実力不足もあることは否めない)。技術職はまた違うかしれないが、個人的に海外で戦う日本人の挑戦は日本語を話すということがプラスαになることだと思う。

どんな組織やビジネスにおいても重要なのは、「人」。組織内に存在するスキルをまずは洗い出し、部署関係なく横串を刺して〇〇の案件はあの人を巻き込む考え、それを正当な評価へと繋がる仕組み。それが出来たら個人としての価値も高まり、上記の例にもある会社の重要な決断も違う目でチェックできるのではないだろうか。

それが難しい場合は私のようなフリーランスの立場の人間に頼ってください。これまでいくつかそういったプロジェクトに関わる機会もありましたが、気軽にこれチェックお願いできますか?そんな人を1人でも抱えておくのは企業にとって莫大なコストではないはず。

そんな案件がありましたらいつでもお声がけお待ちしています!


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