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私が出会った3人のパラスイマー達②

前回の投稿では、ブラッド・スナイダー選手との出会いについて触れましたが、今回はサーロン・ドレイク選手について。

2016年リオデジャネイロで銀メダルを二つ獲得している、彼も当時はれっきとした木村敬一選手のライバル。アメリカでの練習拠点を模索していく中で同じ競技に挑む選手達がどのような練習環境にいるのか、それを知る旅でもありました。ドレイク選手は当時強化指定選手であったため、練習拠点はコロラド州にある米国のオリンピック・トレーニングセンターでした。

そのためなんと現役日本代表のパラスイマーが米国代表の拠点に乗り込むという、普通で考えるとよく受けれてくれたというその寛容な体制にも驚きました。

ここでは宿泊施設に泊まったのですが、滞在期間中はトレーニングセンターを案内してくれたり、近くに買い物に行ったり、そして手料理を振る舞ってくれたりとまたスナイダー選手とは違ったエネルギーを感じました。

ドレイク選手は15歳の時に、逆行性および順行性健忘症により視力を失いました。それからも前向きな姿勢を忘れずにチャレンジを続けてきています。正直、彼と一緒に過ごした時間では何度「本当に見えていないんですよね?」と失礼ながら思ってしまうほど研ぎ澄まされた感覚とその順応性に驚かされました。

トレーニングセンターを案内してもらう時も一つ一つの建物を丁寧に説明してくれました。そして自宅へもお邪魔して、手料理を振る舞ってくれるなどそれは驚きの連続でした。最終的には木村選手とゲームをする場面も。なかなか難易度の高い通訳のシーンでした。笑

彼のことを知っていると、あの時から半年以上が過ぎて目にしたニュースにはもう驚くこともありませんでした。

NCAA史上初の盲目水泳コーチの誕生!この歴史を切り開いたのが、そのドレイク選手でした。その指導法には多くのメディアが注目し、彼の名前を頻繁に見ることになりました。

過ごした時間は短かったですが、本当に大きな刺激を個人的にももらいました。そんな彼の言葉をアメリカパラリンピック水泳の公式アカウントもモチベーションの言葉として、紹介しています。

「不可能と思ってきたことでも、実際はそうでないということを水泳によって発見することが出来ました。目標に到達するために時間と努力を費やす強い意志さえあればそれを可能とすることが出来ます。」

最後の章では改めてこの取り組みについて、そして木村敬一選手との時間やパラ水泳についてを綴ります。

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