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科学とは何か?なぜ学ぶのか?

皆さんは科学が好きですか?

おそらくほとんどの方の答えはNo、あるいは「分からない」ではないでしょうか。

自己紹介でも少し触れましたが、
今、日本の若者の理科離れが深刻化しています。

その大きな理由は、
①数式や独特な用語が多くてよくわからない
②身近に感じられない
などといったものです。

じゃあ、そもそも科学って何なんですかね。
何のために科学を学ぶのでしょうか。

これらを知ることが、①や②の原因を解決するために
最も重要な一歩目となります。

今回は、皆さんに科学を好きになってもらうための第一歩として、
上述のような疑問に答えていきたいと思います。

科学とは何か

辞書的な意味は、以下のようなものです。

(広義)観察や実験など経験的手続きによって実証された法則的・体系的知識。また、個別の専門分野に分かれた学問(自然科学、人文科学、社会科学)の総称。
(狭義)自然科学のこと

つまり、広義には、科学=自然科学(Science)ではないんですね。

え?じゃあ全部科学ってこと?なんかよく分からん。。。

そうなりますよね。
もちろん、知識や学問なら全て「科学」と呼ぶわけではありません。
では、学問を「科学」と呼ぶための条件は何でしょうか。
それは、以下の3つの性質が全て揃っていることです。

①合理性・・・事実のみに基づき、筋道立っていること
②客観性・・・誰もがそうだと納得できること
③再現性・・・同一の条件や手順の下で、同一の結果が得られること

つまり、事実と整合する妥当な方法で、誰が何回やっても必ず同じ結果になるということです。

例えば、日本の気候を説明する時、
「夏は暑くて冬は寒い」
と言うと、これは非常に主観的な表現で、客観性が確保されません。
赤道付近に住む人からすれば日本の夏は涼しいと感じるかもしれませんし、北国に住む人からすれば日本の冬は暖かいと感じるかもしれませんね。
それに、日本中で気温は一様ではないため、再現性も微妙です。
こういったものは「科学的」とは言いません。

では、科学的な表現とはどのようなものでしょうか。
例えば、
「日本の夏の期間の平均気温は○○℃であり、冬の期間の平均気温は○○℃である」
といった表現はどうでしょうか。
暑い、寒いの基準は人によって違いますが、気温は誰にとっても同じものですよね。また、気温の意味が時によって変わることはないですよね。
つまり、この表現は「科学的」といえます。

さて、「科学」というものは何となく理解できたでしょうか。

ここまで広義の「科学」についてお話してきましたが、
実際皆さんが思い浮かべていた科学は、狭義の方ではないでしょうか。
そして、私が皆さんに好きになってもらいたいのも、狭義の「科学」
つまり自然科学です。

ここからは自然科学についてお話していきます。

自然科学はいつ生まれたのか

自然科学を理解していただくために、
自然科学の始まりについてお話ししたいと思います。

その前に、「自然科学とは何か」を説明しておきましょう。

辞書的な意味は以下のようなものです。

・自然界に生ずる諸現象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。

つまり、私たちの周りの自然界には何らかのルールが存在すると仮定し、
そのルールを解き明かそうという学問です。

では、このような考え方はいつ生まれたのでしょうか。

これを考えるには、人類の歴史を知る必要があります。

人類はこれまでに3度の大きな革命を経験したと言われています。

①認知革命・・・ホモ・サピエンスが虚構(フィクション)を共有した(約7万年前)
②農耕革命・・・狩猟・採集生活から農耕・牧畜生活へと変化(約1万年前)
③科学革命・・・近代科学の発展(起源後17世紀: 約400年前)

これら3つの革命についてもお話ししたいところですが、
今回は題意から逸れるので、またの機会にお話しさせてもらいます。

さて、自然科学の始まりは、②農耕革命 の時期が最初期と言われています。

農耕革命は、人類の主な生活スタイルが、
放浪型の狩猟・採集生活から、定住型の農耕・牧畜生活へ移り変わったことを指しますが、なぜそのようなライフスタイルの変化が起こったのでしょうか。

以下のような説があります。

①人口増により、慢性的な飢餓状態に陥っていた。
②気候変動により、狩猟・採集が不安定になった。

これらはどちらも環境の変化によって、止む無くライフスタイルの変更を行ったという点で共通しています。

つまり、放浪しながらその日暮らしの狩猟・採集生活は効率が悪く、効率よく安定的な食糧供給を可能にする農耕・牧畜生活に活路を見出したということですね。

しかし、最近の研究によって、これらの説はどちらも間違っている可能性が大きいということが指摘されています。

考古学的な研究によって、狩猟・採集生活をおこなっていた人類と、農耕・牧畜生活を始めた初期の人類の遺骨を調べたところ、
農耕初期の人類からは慢性的な飢餓の痕跡が見られたのに対し、
狩猟・採集時代の人類からは飢餓の痕跡が見られなかったのです。

また、カラハリ砂漠に住み、原始的な狩猟・採集生活を行う部族であるサン族の研究では、狩猟・採集生活は初期の農耕・牧畜生活に比べて効率的であったということが判明しています。

狩猟・採集における労働時間は、平均して1日1人当たり3時間程度で、残りの時間は休んで自由に過ごすのに対し、
初期の農耕・牧畜生活においては、農耕を行うための骨格が発達していないうえ、極めて原始的な農具によって固い土を耕し、草を刈り、重い石を動かすといった重労働を強いられ、非常に非効率だったということです。

つまり、これらの事実に沿って考えると、人類は環境に追い込まれて、止む無く定住型の農耕・牧畜生活へとライフスタイルを変更したわけではないということが分かります。

では、なぜこのようなライフスタイルの変化が起こったのでしょうか。

一説には、人々の自然に対する価値観の変化が起こったのだとされています。

つまり、人類は元々、動植物などの自然に対して畏敬の念を抱き、神が我々が生きるためにこの世界に動植物を遣わしてくださったのだという思想に基づいて、自然に感謝し、自然のなすがままに生きていたのに対し、
人類が「自然を支配する」という選択をしたということです。

農耕革命以後の人類は、自然を管理し、人々の都合がいいように自然をコントロールすることを試みたということですね。

そのため、動植物の効率的な育て方や、増やし方などを考案するために、
自然界を支配する法則を見つけ出す試みが開始されました。

これが、自然科学の始まりとされています。

なぜ科学を学ぶのか

ここまで、科学(自然科学)とは何か、どのようにして始まったのか
ということをお話してきました。

少しは科学に親しみを持っていただけましたでしょうか。

特に、自然界を人間の都合のいいようにコントロールするという思想は、現代に生きる私たちにも通じているのではないかと思います。

さて、科学の世界の入り口に入ったところで、
最後に「科学を学ぶ意義」について考えておきましょう。

もちろん、科学者を目指す人にとっては、
・知の継承と発展のため
・さらなる真理の探究のため
といったものが主かと思いますが、
この記事を見ていただいている方のほとんどは科学者を目指す方ではないと思います。

ここでは、「科学者を目指す人以外」が科学を学ぶ意義を考えましょう。

僕は、科学を学ぶ意義は、主に以下の3つだと考えます。

①生活力や仕事力を向上させるため
②科学的な社会問題に対して自ら意思決定するため
③人生をより豊かにするため(自然を楽しむため)

これら3つについて、具体例を示しながらお話ししていきたいと思います。

①生活力や仕事力を向上させる

皆さんは普段から無意識的に、科学的な方法を生活の中に取り入れているかと思います。

例えば、料理をするとき、初めはレシピを見て調理し、味見をしながら納得のいく料理に仕上げていきますよね。

つまり、再現性のある(みんなが使っている)客観的な指標(レシピ)を用いて、実験(味見)を繰り返し、実証性のある(確実に美味しく作れる)方法を模索しています。

また、例えば懐中電灯が切れたとき、皆さんはどのように対処しますか?
おそらくまずは電池を変えてみますよね?
しかしそれでも点かなかったら、、、次は電球を見てみます。
するとフィラメントが切れていたので、原因は電球にあったのだとわかり、電球を変えますね。
すると無事に懐中電灯は点灯しました。

このように、ある問題(懐中電灯が切れた)に対して、ある仮説(電池切れ?)を立て、実験(電池を変えてみる)をします。
実験によって新たな問題(電池を変えても懐中電灯は点かない)が発生すると、さらなる仮説(電球が切れた?)を立て、実験(電球を変えてみる)を行います。

このように、観察や実験を繰り返して実証を行う営みを科学的な方法と呼ぶのでしたね。

つまり、科学を学ぶことによって体系化された知識を積み重ね、生活効率を向上させることができるはずです。

②科学的な社会問題に対して自ら意思決定する

私たちが住む世の中には、「社会問題」と呼ばれる問題が多数存在していますよね。

これは、私たち個人だけで済む問題ではなく、社会全体として解決すべき問題のことです。

このような社会問題は、社会全体として解決すべきとはいえ、これによって、僕たち一人ひとりが不利益を被るわけですから、一人ひとりが自分事として認識し、主体的に意思決定していかないといけないはずだと僕は思います。

例えば、昨今世界中の人々を苦しめていて、このニュースが絶えないですよね。。。

「新型コロナウイルス」です

これに立ち向かうために、僕たち一人ひとりの主体的な行動は不可欠ですよね。

この問題は、自然科学に非常に絡む社会問題であるがゆえに、
この問題に対処する際には、自然科学的な知識が不可欠です。

例えば、ウイルスは目に見えませんが、確かに存在し、唾液に含まれて飛沫感染を起こしうることや、飛沫は空気中に拡散するため、距離が離れるほど濃度が薄まり、感染リスクが下がること、
また、アルコールには殺菌能力があることも知っています。

このような知識を感覚的に身に付けているからこそ、納得して対策ができていますよね。

しかし、原理や正体が分からないものとなると、途端に行動できなくなります。

例えば、新型コロナウイルスのワクチンが開発されましたが、皆さんはこれに対してどのように考えているでしょうか。

「それで少しでもリスクが下がるなら接種したい」
「副作用が怖いから接種したくない」
「往来のワクチンと仕組みが違ったりよく分からないから様子を見たい」

このように、様々な考え方があると思います。

これらの考え方のどれが正解といったものはありません。
待っていたら、誰かが教えてくれるわけでもないです。
最終的にどうするか意思決定をするのは自分です。

そのとき、自然科学の知識があれば、意思決定の手助けをしてくれそうだというのは、想像に難くありませんね。

③人生をより豊かにする(自然を楽しむ)

自然科学を知ることは、自然界のルールを知ることであるということは、
ここまで読んでくださった皆さんなら分かっているかと思います。

何かを見るとき、ルールを知っているのと知らないのでは、世界の見え方が全く違います。

例えば、皆さんはスポーツを観戦することはあるでしょうか。

スポーツにはもれなくルールがありますよね。

これを知ってスポーツを観戦している人と、知らずに観戦する人、
どちらがよりスポーツというものを楽しめるでしょうか。

これは明らかに前者ですよね。

もちろん、ルールを知らずにスポーツを見ても、頑張っている人の姿を見て感動したり、何となく面白そうだと思うことはあるかもしれません。

しかし、ルールを知ると、一つ一つのプレイの意味や、駆け引きなどを理解でき、世界の見え方はルールを知らない人とは全く異なるかと思います。

自然を探究することは、私たち人類共通のスポーツです。

なぜ朝が来て夜が来るのか
なぜリンゴは木から落ちるのか
私たちは何からできているのか
宇宙はいつ始まり、いつ終わるのか

そんな素朴な疑問をいだいては自然を探るという
人類共通に与えられた営みを祖先たちは楽しんできました。

先人たちは科学のメガネを用意してくれました

これは磨けば磨くほど、世界が深く、面白く見えるメガネです。

自然科学を知っていくことで、このメガネを磨く事ができます。

これだけで人生がさらに豊かになる。

僕はそう思います。

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