僕はただ、真剣に生きて死にたい
こんにちはー!
今日のnoteは「僕はただ、真剣に生きて死にたい」というお話です。
究極のビジョンとは、どう死ぬか
昨日、飲みに行きました。
その時、急にスッと理解できた(気がする)概念についてお話します。
昨日一緒に飲んでくれた友だちもそうなんですが、僕の尊敬する人たちが言う言葉の中に「死ぬときどうありたいか?から逆算する」と言うものがあります。
この友だちは自分のチームメンバーに3ヶ月に1回、「お前はどう死にたいんだ?」と問うそうです。もちろん、まっすぐ真剣に見つめながら。
・・・・・怖え。
「えっ?あっ、あの・・生きたいです!」とかわけ分からないこと言っちゃいそうですw
って、僕はずっと思ってました。(半分冗談、半分本気で)
でも、昨日自分が言った言葉でこの考え方が理解できました。(自分の言葉で理解が進むことあります?何かキモいですねw)
昨日、この話になったときに、何の気なく、「ビジョンが時間的奥行きなら、死は究極のビジョンですよね。」って言いました。
・・・これだ!
ビジョンが未来図なら
死は僕らの人生における一番究極のビジョンなのかもしれません。
ただ真剣に生きて死にたい
死ぬことは最終的なビジョンであるというのは、考えてみれば普通の考えのようにも思えます。
なぜ僕は昨日までピンときてなかったのでしょうか?
それは「僕はただ、真剣に生きて死にたい」からだと思います。
昨日、僕は死ぬときにどうなっていたいのかを帰り道に考えてみました。
そして、その答えは「真剣に生きて死にたい」でした。
僕はきっと、今を真剣に積み重ねて死んでいきたいから、死ぬときのありたい姿から逆算する必要がなくてピンとこなかったのだと思います。
何度やり直してもそうすると思いたい
せっかくなので、「真剣に生きて死にたい」ということをもう少し解像度を高めておきたいと思います。
「真剣に生きて死にたい」を言い換えると、「何度やり直してもそうする」という時間を積み重ねることです。
別にダラダラしまくってもいいし、何かを産み出さなくてもいいです。そうしたいなら、誰もがやらないであろうことやツマラナイ仕事をしていてもいいです。
僕は、ただただ、その時に自分が一番やりたいと思ったこと、やり直してもそうするであろう過ごし方で時間を使うことを積み重ねだ先に「真剣に生きたなぁ…」って思って死にたいだけなのです。
最後に
今日は「僕はただ、真剣に生きて死にたい」というテーマでお話しました。
昨日飲んだ友だちと話すといつも刺激的だし、頑張ろうと思えます。なんと貴重な関係・・・!
・・・たださ、今日のnote、何回「死ぬ」って書くんだよ!やっぱり怖いよ!w
今日、連続投稿700日目なんですよ。こんなに「死ぬ」って書くとは思いませんでしたw
では、また!
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