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普通、〇〇でしょ!?と思った時の考え方

こんにちはー!
今日のnoteは「普通、〇〇でしょ!?と思った時の考え方」というお話しです。

多様性とのダブルスタンダード

みなさんは、「僕だったらこうする」「私だったらこうしないのに・・・」と言った想いが芽生えて、相手が間違っているように感じられることはありませんか?

例えば、
「私なら始業の10分前には来るのに・・・!」
「自分の時は、こんなに細かく残業申請しなかったのに!」
「教えてもらているのに、メモを取らないなんてありえない!」
「僕ならもっと君を大切にするのに・・・!」
と言ったようなケースです。
(最後の例は違います)


僕はかなりありますw
でも、そんなとき、多様性を求めながら、一方で「普通は○○でしょ!」って思うのはものすごいダブルスタンダードだし、品がないよなぁって思います。

そして、深呼吸して、冷静になるようにしているのですが、その時の僕なりの考え方をお話します。


ルールに身を委ねる

深呼吸して、冷静になって思うこと。それは、
「普通は○○なのに・・・!」って思ったときはルールに身を委ねる
ということです。

先ほどの例でいえば、
就業10分前に来るのはルール上どうなのでしょうか。
実は、10分前に来ることを強制するなら、そこに賃金が発生するべきというのが法律的ルールです。
なので、自分の普通がどうであろうと、始業時間10分前に来ないことをもって、文句を言ったり、不満をぶちまける権利はありません。

教えてもらっているのにメモを取らないことだって、法律でメモを取ることが決まっているわけではありません。メモを取ってほしいなら、職場のルールとして新たに設定しない限り、メモを取らないことを責める権利は誰にもないはずです。

「いやいや、ルールとしてやらされるのではなく、自発的にメモを取ってほしいんだよ!」という声が聞こえてきそうですが、仕事についてこれているのであれば、ルールに存在もしていないことを実行しないことで一方的に攻めることはできません。(し、品がない)

ルールを無視するのは自由への侵害である

なぜなら、
「ルールというものは、自由を担保する仕組みだから」
です。

ルールというものは窮屈なもので、ルールがない方が自由であるという考えの方もいますが、僕は真逆に考えています。
ある一定のルールがあるからこそ、そのルールの中で、それぞれが自由にふるまうことが出来るのです。

例えば、人を殺してはいけないというルールがなければ、僕はおっかなくて社会生活が送れません。(普段、すごく嫌な奴なわけではないよ!)
赤信号は止まるというルールだから、安心して青信号を渡ることが出来ます。
そういう意味で、「ルールは自由を担保するためにある制度である」と僕は捉えています。

そのルールや法律に存在しない決め事のようなものを「普通は○○だから」とか「僕ならこうするから、非常識だよね」みたいな曖昧な根拠で作り出し、強制することは誰にも許されないと僕は考えています。

どうしても、それが世の中(とか社会とか、組織)において許されない行為であるなら、合意の上でルールや法律を作り、それを守ればそれ以外のことは自由という状態を改めて作り上げることが好ましいのではないでしょうか。

最後に

今日は「普通、〇〇でしょ!?と思った時の考え方」というテーマでお話ししました。

実は、今日、同僚が「ルールなんてないに越したことはない」と言っていたときに、僕は「本当かなぁ・・・?」と思ったという出来事がありました。
それをきっかけにnoteを書いてみたのですが、皆さんはどう思いますか?

僕は、ルールは多様性と自由を担保するために大切な機能を持っていると思うのですが、いかがでしょうか。

では、また!





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