見出し画像

コーチとして守りたいヒト

こんにちは。
プロコーチを目指し修行中の、あんじーこと安西と申します。

コーチングスクール卒業まであと1か月を切りました。これまでモニターセッションとして数々のクライアントと向き合ってきました。有難いことに、
”新たな挑戦・アクションに踏み出せた”
”行動がこれまでと明らかに変わってきた”

という報告を頂くことが増えました。セッションを通して、クライアントが自分でも気づいていなかった本音や才能に確信をもって変わっていくことを後押しし、その瞬間に立ち会う「コーチ」という職業の社会的意義を噛み締めながら、シンプルに「楽しい」「やっぱり好きだ」と実感する日々です。(だからこそ落ち込むこともありますが、伸びしろしかないと捉えています)

なんとなく、自分がしたいなと思っていることもありましたが、こんなにも「これがやりたい」というふうに思えることはこれまであまりなかったように思います。そのため、最後に設定したゴールについては心からワクワクすることができました。

セッションご感想例①

自分にはワクワクしたい気持ちややりたいことがあったことに気づいた。 仕事に対しても新しいことへ挑戦することやいままでの業務に対して考え方やその後の自分にやりたいことに何につながるか考えるようになった。

セッションご感想例②

そんな中、今このタイミングで改めて向き合っているのが、
自分の限りある生命時間を、全身全霊を賭けて
「守りたいクライアントは誰なのか」ということです。

■誰のためのコーチなのか

「自分はコーチとして誰を守りたいのか。」
その問いをここ最近は毎日毎日、意識/無意識の両方で回し続けていました。
そこで導き出されたのが

地域や組織で、想いをもって旗を立てているリーダーを守りたい」

ということ。

自分自身にもプロのコーチをつけ、設定したゴールに向けて動く中で、ある地域プロジェクトの手伝いをする機会に恵まれました。地域で旗を立てたプレーヤーに伴走し、共にプロジェクトをつくっていく場。

そんなことやったこともなければ、縁もゆかりもない名前すらも聞いたことのない地域。でも自分も中の何かが引っかかり、気づいたらSNS広告をポチして、3日後には現地入りするという謎の行動力が発揮されていました。金銭報酬もなければ複業という形でもないけれど、そのプロジェクトに関わっている時間はすべて、自分にとってこの上なく充実しています。

では、「何がそう感じさせているのか?」

その正体は、コンテンツとしての面白さももちろんそうですが、何よりシンプルにそのプロジェクトオーナーやそれを支援する方たちの熱量と人柄だと気づきました。それに気づいたのはジョインして初日。プロジェクトを通して実現したいビジョンをひたすら壁打ちしている時間。

他者貢献はもちろん考えるものの、前提として、こどものように「ピュアに自分の好奇心に従って興味関心を探求」している。利己的な本能に従いながらも、利他的な側面を内包し、周囲の人たちの幸せに対し想いを馳せている。それが決して決して自己犠牲でない。

何よりも、掲げている想いがタテマエでなく本音であると、言語・非言語を通して伝わる。自分の軸は曲げずに掲げつつも決して他者を排斥せず、吸収できることは受け止め取り入れ周囲を巻き込み進んでいく。そんな素直な姿勢に向き合いながら、ジワジワとこみ上げる熱い新鮮な感覚がありました。

会社においては仕事という名のもとで期待役割に答え、プライベートでは高度に情報化・ネットワーク化された社会の中で周りからの見え方を伺う。そんな、なんとなく世に充満しているその空気感とはかけ離れた、むき出しの欲求。そのエネルギーと想いに引き寄せられる。

そして旗を立てたプロジェクトオーナーを、利害関係を抜きにしてフォロワーとして支える人たち。一体感をもって地域の課題を捉え進んでいく。そんな人や場のあり方に自分は心地よさとやりがいを感じて。
思えば前職の銀行員時代にも、同じようなことを感じていた自分が居て。大小規模に関わらず、事業により地域をけん引する企業や社長、あるいは二代目社長。過去からハードシングスに直面し、それでも何とか突破しようと手を打ってきた。けれどコロナもあり苦戦する中でもがいている。そんな熱を持った人を助けたいと自分は思っていたし、それが転職の一つのきっかけにもなっていたことを思い出しました。

他方、空間が持つ古くから持続してきた場の力、何か新しいことにより変えようとするリーダーに対する逆向きのエネルギーもまた強く、リーダーは孤独であろうことも現地に行き話を聞く中で、容易に想像できました。

前職のときの静岡県でも、地域の独特なエネルギーやコミュニティ・慣習・空気が存在することも身をもって体感していました。それは良さである一方、新しいことに対する抗力となることも知っています。人は慣れ親しんだコンフォートゾーンから出たくないもの。そんな中でも、古くからの老舗企業で地域の変革を引っ張ってこられた社長、若くして会社を引き継いだ後継者社長など奮闘する人たちを、自分は見てきました。

そういった状況の中においても社会に対し旗を立て、自身の本音の想いに嘘をつかず自身が楽しみながら、時に迷いながらも周りを巻き込み進んでいくリーダーが多くいることを、そのプロジェクトで知りました。そんな想いを持ったリーダー(プロジェクトオーナー、経営者、会社員など役職や地位に関わらず)を自分は支えたいと、そう感じました。


先日、実際に現地で利活用予定の空き家の掃除を手伝い、町の人たちと交流する機会がありました。町民それぞれがそれぞれの想いを持っていて。それをすくい上げて何か形にしようとしている姿に惹かれる自分に気づきました。
都会と比べて地域にはビルや多くの商業施設もなければ人も多くない。でも豊かな自然や古くから受け継がれてきた伝統、歴史の面影が残っている。それはモノだけではなくヒトも同じで。すごいスキルや経歴を持った人が地域に眠っていることも知りました。この場所の、この人たちの可能性が解放されたらどうなるんだろう。ワクワクしました。

古き良き街並み
空き家掃除の様子


もちろん、地域の中のヒトやモノだけで大きな変化が起こせるかというと難しいかもしれない。だからこそ旗を立てて社会に問いかけ、外のヒトや企業を動かし”新結合”によりその地域の資産(アセット)の可能性を最大化していく、そんな人たちを僕はコーチとして守りたいと思いました。


思い返せば幼少期、田舎の祖父母や父母と遊んだ原風景も自分の中にあることに気づきました。見渡す限り山と田んぼしかなく娯楽もない中、道端の草で笛をつくったり、やたら服にくっ付く草の実(名前はわからない笑)を親の服めがけて投げまくったり。

何もないようで何かがある。
・「眠っているアセット」と「余白」がある。
・そこで熱量をもって動くヒトがいる。

そんな場所やコト、組織やヒトに自分は心惹かれるのかもしれないと、今このnoteを書きながらそう思っています。

ここまで、自分が今興味関心の向いている”地域”について書いてきましたが、対象クライアントは決してそこに限らないです。

自分は、本来価値があるであろう資産(アセット)がその可能性を発揮して最適活用されている状態に近づけることに欲求と興味があります。

人に対してもモノに対しても同じ感覚を持っていて、何か試行錯誤を繰り返しながら時に散らかり迷いながらも、

整理して最適な形に整えていくこと
”美しい”と思える形にしていくこと
が自分の本音の欲求=want toです。

(※だから、趣味的にやっているパーソナルのファンクショナルトレーニングや、ボイトレによって使えていなかった部分がうまく機能していく感覚だったり、アートを描いていく過程で色と色が混ざり合いながら最終一つの作品にまとまっていくプロセスが好きなんだと、気づきました。)


”地域”は都会に比べ相対的に「余白」や「活用されていない資産」が多いがゆえに惹かれるのだと思いますが、それは抽象化すると都会における一企業などにも同じことが言えると思っていて。大企業であろうがベンチャー企業であろうが、古くからの中小企業であろうが関係ない。

本来は力や才能を持ってるのに発揮しきれていないヒトがいる。想いを持っているのに、日々のミッションに追われ本来やりたいこと、得意な(特異な)コト=才能 で勝負できていないビジネスリーダー(社会的地位・役職ではなくマインドとしての話)。そういった人は例外なく助けたいと思います。

一つだけ大事なことは、その当事者が想いと覚悟をもって旗を立てていること、周囲の誰かにも想いを馳せられる人だということ。

自分は対外的に、明るくも冷静で俯瞰しておりマイペースな人、と見られるのですが、自分が意思決定をしてきたシーンを振り返ると、共通して”人”にフォーカスしている自分が居ました。高校の部活決めの時、大学選択、就活の時もそう。

”何がしたいか”
 でなく
”誰としたいか”

を基準に見ていることは自分でも最近気づいた事実です。だから、どこまでいっても自分はそういう人の熱量に心惹かれるし、100%以上向き合いきれる自信がある。そんなクライアントとであればその可能性を、コーチングによって必ず引き出せると信じています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?