人は孤独な時に本を読む

4月になり新入社員の入社式での姿を見て、去年の自分を思い出した。

文系大学出身にも関わらず、モノづくりの現場で技術を身につけていつか自立してやる、という意気込みをもって入社したことを、今では馬鹿げた考えだと少し後悔していたり、、、

新入社員という無敵スター状態が解けてしまった今、急に現れた新入社員の存在に脅威を感じるとともに、1年間で学んだ知識で先輩としての威厳を保たねばならないという覚悟にも似た感情に襲われているので、このピンチを乗り越えるために最近は過去の教育資料を見返したりしている。

久しぶりに見ると、所属する係に関係する内容は覚えていても、それ以外の基礎的な構造知識などは抜け落ちていることに気づかされた。

後輩に伝えた知識が間違いであった場合、「この人は適当だ」と思われずっと舐められ続けるという想像が頭をよぎると同時に、この1年間何をしてきたのかと疑われることに恐怖を感じたことがある人も少なくないだろう。

1年間で得られたはずだったものは仕事の知識だけではないはずだ。大学の友人と年度末に飲み会をすることになり、近況を報告しあう機会があったのだが、大企業に勤める友人は株式投資の勉強をしていると教えてくれた。他にも農家になった友人、大学院に進んだ友人などもいたが、みな本業以外の勉強で人生をより豊かにしようとしていた。

私はそのような勉強について話すことができなかった。

その飲み会帰りの電車の中でひとり、疎外感を感じた。
少し前は一緒に遊んでいた友人がもう追いつけない所に行ってしまったと。

わたしは家に帰って父親の書庫を漁り、とりあえずこの疎外感を紛らわせてくれそうな本を手に取った。

「日本一わかりやすい哲学の教科書」

まずは考えることについて知ろうという気持ちと、久しぶりの読書に挫折しないようにと思いで選んだ。

内容は哲学とそれ以外の学問の違いと思考例について、歴史上著名な哲学者の思考についての二段構成であったが、いかんせん哲学者ごとの概念の違いと相関性が複雑すぎて、200ページ読み切るのに2週間もかけてしまった。

特にニーチェのいうニヒリズムは、頭の中で思い描く完璧な球体があるから、人間は球体の物体生み出せるという、人間の認識上(形而上)の事物が現実の事物のオリジナルであるというプラトンの説を否定し、そもそも完璧な球体があると人間が信じているだけで存在しないという考え方(?)は何度読み返しても混乱した。

それでも読破したときの達成感と漠然とした知識の獲得は孤独を紛らわしてくれた。

本に限らず私が学び始めたのはポジティブとは言い難いきっかけであったものの、孤独という不安から少し救ってくれる上に、人生を少し豊かにしてくれることの有難みをこのきっかけで再認識できた。

いまは孤独と向き合うために読む本も、いずれは身近な誰かに寄り添う知恵として身につけられたらなとも思っている。

初めての投稿ですがこんな感じで備忘録を続けてゆければいいなと思う。
おやすみなさい。

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