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7-17.余話として(ロシア船へ運ばれたモノ)

「7-15.物資補給問題と軍艦発注」で述べた、停泊中のロシア艦隊へ向けて
何が運び込まれたのかは、「和親条約と日蘭関係/西澤美穂子」に詳しく出ています。現在もオランダ国立中央文書館に保管されている書類が大元です。1854年8月31日から10月31日の2ヶ月分が詳細に残されているようです。
前述したように、オランダ本国がロシアから代金を受け取るシステムであったため、詳細に記録を残すことが必要になったのでしょう(出所:「和親条約と日蘭関係/西澤美穂子」P61)。

補給対象となるロシア艦隊4隻の乗員は約650名。記録に残る2ヶ月間で36回の補給が記録されています。

運ばれたモノ

具体的に運ばれたモノ、並びに面白いモノをすこしあげてみます(出所:「西澤氏同書P62〜67の表から作成)

8月31日

  • 野菜類(イモ、乾燥タマネギ、生タマネギ、カブ、ニンジン、赤キャベツ、 白キャベツ)

  • 肉類(豚6匹、にわとり30羽)

  • 果物類(西瓜、梨)

9月7日

  • 野菜類(カボチャ、タマネギ、ニンジン、イモ、ダイコン)

  • 肉類(にわとり32羽、アヒル15羽、豚3匹)

  • その他(軽めのタバコ、きつめのタバコ、石炭)

9月17日

  • 野菜類(カボチャ、タマネギ、イモ、ニンジン、ダイコン)

  • 肉類(にわとり3羽、豚1匹)

  • その他(牛乳0.8徳利、砂糖菓子)

牛肉の出し惜しみ?

特徴的なのは、「肉類」の中ではやはり「牛」がない(「外国人は絶賛する和牛にまつわる歴史」)ことでしょう。おそらく、ロシア側が最も欲したものだと思いますが、オランダからは「供給否」の回答だったと思います。自分たちの分だけで、他に出せなかったからでしょうか。

「牛乳」だけは非常に少ないですが、補給したモノの中にあります。「0.8徳利」って・・・。記録の中には、他の日に「牛乳3瓶、5瓶」と出てきますが、その回数も量も非常に数ないです。

「タバコ」の「きつめ、軽め」は面白いですね。ここには上げませんでしたが、「卵」も定期的に運び込まれています。「赤・白」のキャベツとはなんだったのでしょうか。

滞在1ヶ月が過ぎると、「肉」が減り「魚(カニ、※ザリガニ?)が増え、同時に、「提灯」「雨かさ」「扇子」「漆器盆」「家ほうき」がなどが出てきます。この後者の補給を長崎奉行は難色を示し、それを望むロシアと拒む日本の間に立たされたのがクルチウスだったのは前述したとおりです。

※「ザリガニ」が今のわたしたちの定義通りなのか、違うのかわかりません。西澤氏がオランダ語を翻訳したものですが、「エビ」とは異なったオランダ語だったのでしょう。

また、他に「乾パン」や「パン」も出てきています。これは出島において作ったものだとわたしは思いますが、詳しいことは調べていません。オランダ人から教わった日本側が作っていた可能性も大いにあります。

終わり

これで、「7.ペリー艦隊最初の来航」は終わります。
次回からはペリーの2度目の来航、「和親条約」の締結までを見ていきます。


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