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「ショートショート」夏休み

今年もこの時期がやってきてしまったと車の窓からの景色を眺めて翠はため息を漏らした。お盆になったら実家に帰省するのが小さい頃からの我が家のルールなのは知っているが、私はもう18歳で、今年は受験生だ。

父親はいたって普通のサラリーマンで母はパートでスーパーのレジというテンプレートみたいな両親のもとに生まれた。そんなテンプレートのような親から生まれてきたのが私で周りからは優しいとしっかりもののレッテルを貼られて、がんじがらめの人生を送っている悲劇のヒロイン…

そこまで悲観的にはなっていないが、自分の性格は自分を幸せにしないことが最近わかってきた。中学生までは学級委員もやっていたし、勉強もあんまり努力せずともできた。特別なことはやっていなかったがたまたまIQが少し高かったんだと思う。両親も自分の娘への期待を大きく見せることはなかったが、幼い頃の敏感さのせいか勝手に期待を背負い込んで県内の1番偏差値が高い高校へ進学した。

進学先は本当に頭のいい子たちがたくさんいて、私はよくて中の下くらいのレベルだった。ここまでなんとなく進んできた私は勉強の方法を知らないから、授業からはどんどん遅れていって気がついたらペンを握ることができなくなっていた。

それでも期待してくれた両親のためになんとか3年生までは進級できたが夏休み前の試験当日、私は学校へ行くことができなかった。いつも通り見送ってもらいながら玄関の扉を開けて外に出るという今まで何万回も繰り返してきた動作が急に今まで触れたことのない概念のように目の前に立ち塞がった。

それから3週間くらい経っただろうか?学校には親が連絡してくれて何とかなりそうだが心と体がどうしても思い通りにならない。毎日が時間という概念を忘れたかのようにただただ雲だけが流れていくみたいに、抵抗することもできず今日を迎えた。

おじいちゃんは一人で田舎に暮らしていている。おばあちゃんは私と対面することもなく天国へ登ってしまった。だからみんなは私とおばあちゃんをよく比較して、「おばあちゃんに似てるね〜」とか「おばあちゃんもそれ好きだったんだよ」とかかなり言われてきた。私を生写し的に扱われても困るが、優しくなければならない自分に締め付けられているため、いつもニコニコしていた。

幼い頃の私はあったこともないのにおばあちゃん好きなんてことも口に出していたような気もする。無邪気って怖いな〜笑

ウトウトしてたら寝てしまって気がついたらおじいちゃんの家に着いていた。昔ながらの田舎にある日本家屋で大きな縁側と庭が特徴的なお家で、よくバーベキューや花火をやっていた。縁側での昼寝は本当に最高だが、あまりワクワクできていない自分に嫌気がさす。

これからの将来を考えたら憂鬱になるし、目の前の現実を楽しめる余裕なんてこれっぽっちも持ち合わせてかった。

このまま大学進学もできず社会不適合の烙印を押されて、社会の隅に追いやられてしまうのかなんてことまで浮かんでくる。そんな想像が田舎に来たくらいでかき消されるだろうか?

「よく来たね。ゆっくりしていきな」

おじいちゃんの低いが安定感があって、本当の優しさに溢れた声によって現実に引き戻された。今年70歳になるみたいだけどそんなことは微塵も感じさせないくらいに鍛え上げられた肉体はもはや達人の域に到達していると言っても過言ではない。事実、トライアスロンやロッククライミング、弓道など様々なことに挑戦しているとてもかっこいいおじいちゃんなのだ。

ただそんなおじいちゃんでも、夏休み前に出来事は伝えることができなかった。出発前に親との約束で、おじちゃんに心配をかけないように学校の話はしないようにと釘を刺されていたから。

おじいちゃんの家では基本的にそれぞれ自由に活動している。釣りが趣味の父は近くの川まで出掛けて、母親は昔の友人たちとお茶をしている。残った私は縁側でごろごろしながら、たまに迷い込んでくる野良猫の相手をしたりおじいちゃんの料理の手伝いをしている。

おじいちゃんの煮物は天下一だと胸を張って言えるくらい超美味しい。調味料はあまり使わないで野菜や鰹の出汁とかいろんなものを合わせて時間をかけて作ってくれる。言っちゃ悪いがスーパーの煮物用のタレでは到底太刀打ちできない、私が自分で挑戦してもこの味を出すことはできない。

二人で台所に立っても会話はそこまで多くはならない。おじいちゃんは口数が多い方ではないし私もおじいちゃんの手元を見るので精一杯だ。おじいちゃんの分厚いゴツゴツとした手に握られた包丁がテンポ良く心地よいリズムを刻む。

そんなおじいちゃんが珍しく手を止めて私に見せたいものがあると言ってきた。断る理由もなかった私はおじいちゃんについて行って、初めて屋根裏部屋に登った。今まで一度も見せてもらったことがなかったのが不思議だったが私も見せてほしいと願ったことはなかった気がする。

「ここ翠には初めて見せるね。私の後悔が詰まっている場所だからあんまり見せたくはないんだけど、今の翠には必要なんじゃないかと思って連れてきたんだ。」

そういったおじいちゃんの瞳はどこか悲しそうで辛そうだけど、体からはなんとも言えない覚悟のようなものを感じた。

おじいちゃんは小さな棚から一つのアルバムを引っ張り出してきた。そこにはたくさんの写真が入っていて、おじいちゃんやおばあちゃんの昔がわかるかもなんて期待をしながら恐る恐るページを開く。

私は驚愕して言葉が出なかった。

だってそこには何もなかったから。ほんとに何も。古い写真が入っていたような形跡もなくて、表紙はボロボロだったけど中は真っ白だった。

「これがおじちゃんの公開なの?」

「そうだよ。これはおじいちゃんが死ぬまで後悔することだね。」

「この空白になんの意味があるの?」

「これは翠のおばあちゃんと結婚した頃に買ったもので二人でたくさんの写真を残そうって約束したものなんだ。ただそこに写真が入ることはなかった。それがおじいちゃんの後悔だよ。翠には少し難しいかもしれないけどそのうちわかる時が来るよ。」

そう言っておじいちゃんは私の頭をポンポンして部屋を出ていった。出るときに灯りを消して閉めれば自由に出入りしていいとも言われた。

その後は何をしていてもおじいちゃんの後悔の意味を考えることで頭が一杯になった。夕食も食べたはずなのに記憶が全くなかった。

数日経って帰る時間になっても答えは出なかった。別れ際におじいちゃんにヒントをもらおうかとも思ったけど、おじいちゃんの目からは自分で考えろと言われているように感じたのでそのまま別れた。

帰りの車の窓から見える景色もいく時とはあんまり変わらなかったがため息はなかった。

「空っぽなのは私なのに…」

ふとよぎったこの言葉によってウトウトしかけていた私の脳みそは一気に覚醒した。だって、トライアスロンやロッククライミングの写真はたくさんあってそれは毎年見せてもらっていた。それなのに昔の写真がないってどういうことなんだろう?

もしかして、おじちゃんの後悔って空白?

自分のやりたいことをできず、社畜の如く働いていた高度経済成長期が何か関係してるのかな?おじいちゃんから仕事の話は聞いたこない。ましてやおばあちゃんの詳しい話も聞いたことなかったかも。日本の成長のために自分の人生を犠牲にしたのに、今の日本の現状を見て呆れているのかも。

「ねーお母さん。おばあちゃんってどうやって死んだの?」

「お母さんが小さい頃に倒れたんだよ。過労だったみた。お母さん小さかったからあんまり覚えていないのよね。」

「そうなんだ…」

お母さんは思うことがあったのか、それ以上は話もしなかったし聞いてくることもなかった。

おそらく、お母さんを育てながら仕事に駆り出されるおじいちゃんを支えるので疲弊してしまったんだろう。今と違ってという表現で済まされることではないがおばあちゃんも犠牲になった一人だったんだろう。

だからあのアルバムには入る写真がなかったんだ。これがおじちゃんの後悔。

なら私の後悔ってなんなんだろう。勉強に失敗?レッテルから抜け出せない?

違う。

どっちも自分が抜け出そうとしていないだけ。昔から現状に甘えて、不都合なことがあれば優しい自分が守ってくれるとどんどん楽な方に逃げていって、ついに逃げ道がなくなっただけだ。

そういえば小さい頃の私の夢ってなんだっけ?

「お母さん?私の小さい頃の夢って何かあった?」

「あなたは歌手になりたいって言ってたよ。昔はよくテレビの前で踊ったり歌ったりしていたよ。」

「懐かしいな〜確かにそんな時期もあったな。あれから早いもんだな。」
父が少し照れ臭そうに言った。

「でもいつからか私たちや周りの目を気にするようになってしまった。私たちは普通でいいと思っていてもあなたは普通以上のことをやってのけてしまう。もしかしたら才能なのかもしれないけど、常に周りのために動いて自分を見失ってしまっていたのよ。おじいちゃんの若い頃もそうだったみたい。」

衝撃的だった。てっきり親が勝手に期待していると思っていたのに、そうさせていたのは私だったなんて。勝手に周りが期待していると思い込んでいただけなんて。

「だからおじいちゃんは今はやりたいことを全力で楽しんでいるのよ。そんなおじいちゃんだからあなたが苦しんでいることもすぐにわかったんじゃないかな。」

自然と涙が溢れてきた。見なきゃいけないのに全力で目を背けてきた事実を痛感した。私を苦しめていたのは私だった。他の誰でもない、自分自身だった。

それを周りからのレッテルなんて勝手に決めつけて。

「別に高校なんてそこまで気にしなくていいぞ。今どき通信でも高卒認定は受けられるし翠の学力なら余裕だし。もし今からやりたいことがあるっていうならお父さんたちは全力で応援するぞ。」

答えは決まっていた。ちょっと前からこの2文字がずっと頭の中で暴れている。ずっと昔からこの2文字を追い求めるために生きてきたんじゃないかくらいの熱量を感じている。

「私、歌手になりた。」

言った瞬間こんな無謀な夢を親が許すかとも思ったが、それ以上に心がすっきりした。

「わかった。私たちは全力で応援するから、あなたも全力で挑戦しなさいね。」

家族の距離が一気に縮まった気もする。おじいちゃんのことをもっと好きになった。話がひと段落して外を見たら綺麗な夕日が目に映った。

つい数分前まで何も感じなくてただ目に映るものだったのに、今は生き物のような生命力を感じるし、体に活力が湧いてくる。自然と笑顔が溢れでた。



そして21歳になった今。

私は1万人を前に歌を披露している。
私のために遠くから来てくれたファンのみんな、そしてずっと支えてくれている両親のためにも全力で歌う。

私は大丈夫。

天国にいるおじいちゃんとおばあちゃんが見守ってくれているから。
私が歌手になるきっかけをくれたおじいちゃんは、2年前にがんで亡くなってしまった。最後まで治療はしないで自分の人生を謳歌していた。

私も最後まで自分に嘘をつかない生き方をしよう!なんて偉そうなことはまだ言えないが、今は目の前に全力を尽くすまで!

「みなさん!今日は来てくれてありがとう!改めて空白です!」



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