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地下街の占い師

今でこそ些末な出来事になったものの
その頃23歳であった私にとっては人生観を揺るがしかねない出来事があった。
生理不順で何気なく婦人科を受診したところ,卵巣の機能があまりよくなかったらしく,その時の主治医が何の説明もなくさらりと
「このままだとたぶんあなたは妊娠できないね」
と私に告げたのであった。

就職したばかりで忙しく,子どもが欲しいと望んだことなどそれまでの人生において一度もなかった。
兄弟数の多かった私はむしろ子どもなど嫌いだと思っていたにもかかわらず
「子どもが産めない体である可能性」
は私を打ちのめした。

数日の間悩み抜き,別れを覚悟しつつ大学時代から付き合っていた彼にも
その事実を告げた。
子どもが好きな彼は私以上にショックを受けるだろうと思ったのだが
「そもそも授かりものなんだから授からないことだって普通にあるんじゃないの」
とあっさり受け止めてくれた。


おかげで二人の関係性はその後も変わることはなかったのだが,
私が個人的に受けた精神的ダメージはとても大きかったようで
そこから数週間,仕事に没頭することで現実から逃避した。
軽い抑うつ状態に陥っていたようで食欲が落ち,体重もみるみる減った。


しばらくそんな日を過ごしていたのだが,
用事があり,浅草の地下を歩いていたところ,占い師が数名出店していた。

悩んでいそうに見えたのだろう。
20代後半くらいの若い占い師さんがふらふらと歩く私に
「少し話をしていきませんか?」
と心配そうに声をかけてきた。

占い師から声をかけられるなんてこと,本当にあるんだなあ
と変な感慨をおぼえたが,興味を惹かれ,言われるがままに座った。
ただ,悩みについてはなんとなく話せず,そのまま生年月日と手相で総合的な内容を占ってもらうことになった。

総合運,仕事運,など普通に占ってもらい,
恋愛運,家族運などをあたりさわりなく教えてもらったのだが,
手をじっと見ていた占い師がふと顔をあげ,
じいっと私の肩越しをみつめはじめた。

そして
「うん,そうですね。」と
ふむふむと納得しはじめた。

見ているのが私ではなく,だれに話しかけているのかよくわからなかったため,黙っていたのだが,占い師は今度は私の顔を正面からみつめて

「うん,お子さん,1人…もしかすると2人になるかな…?」
とぽつりと告げた。

最近悩んできたことだったので,内心むっとしつつ
医者にはこどもができないかもしれない,と告げられたことを占い師に告げた。
すると彼女はまた私の肩越しをじいっとみつめて

「ううん,そんなことないよ。
たぶん1人,女の子は生まれる。それから…もしかすると…この子は男の子かな…?
よくみえないんだけど,あなた,少なくとも1人は子供を産むよ」

と確信に満ちた声で私に告げた。



彼女は私の肩越しに何をみたのだろう?



何の医学的根拠もない,占い師のこの一声。

占いをあてにしたことはそれまでなかったのだが
すがるような気持ちがどこかにあったのだろう。
その確信に満ちた一言が胃のあたりにつめたく横たわっていた
悩みの核のようなものをそっと温めてくれるのがわかった。
そしてこの一言は
「望めばいつか子どもをもてるのかもしれない」
とその後の私のお守りのようになった。



この出来事のあと私の食欲も徐々に戻り,日々の生活を取り戻した。
その後何年もの時がすぎ,長く付き合った彼と結婚。


そろそろ子を授かりたいと思い始めたところで
治療せずには妊娠できない,と医師にいわれていることを思い出し
不妊治療専門の病院に足を運んだのだがその場で妊娠していることが判明した。
そして9か月後,無事に娘を授かることができた。

さらに2年後,再び妊娠した。
残念ながらかなり初期で流産してしまい,その子を腕に抱くことはできなかった。
悲しかったが,どこかでこうなることを知っていたような気がした。
きっとこの子は男の子だったのだろう,と思った。


ありがたいことに娘はすくすくと成長している。
その後,あのときの占い師にひとことお礼を言いに行きたいと思い,
電車を乗り継ぎ浅草に行ったのだが
10年近くの時がたっていることもあり,彼女に会うことはできなかった。

その後も浅草に行くたびに彼女の姿を探しているのだが,
あの日に10年にもわたった心のおまもりをくれた地下街の占い師との再会はまだかなっていない。








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