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「自分だけの年表ノート」の話、続編。

こちらの記事の続編です。

あれからも、思い出したことをどんどんノートに書いています。
(あまりにもプライベートすぎるから、さすがに出せないですが・・・笑)

不思議なのは、「もう書ききれない!」ってくらい余白がないくらいにイベントが多かった年もあれば、「え、何してたっけ?」ってくらい空白だらけのページもあります。このへんの分析は、まだしきれてないです。

ただ、たまきさんの記事にあったような

「あつい」「さむい」については、「あついときが調子いい」ってことは確実だな、と。という目で見ると、「さむい」時期のイベントを見ていると「どうしてこんな、前のめりになって勢いつけちゃったんだろう。」
って思わざるを得ないことがあったりして、興味深いです。

なんか、こう勢いあって、はたから見れば一見よさそうだけど、自分がすごくしんどい、みたいな雰囲気ありますね、さむい私。

また別の視点ですが、学生時代とかにさかのぼって眺めていると、もし、私が「この子の親」だとして、算命学などに精通していたら「ああ、ここで留学とかさせちゃうのもありだったなー」とか、そんなことも感じてみたり。

話が飛びますが、いろんな自己啓発の書籍なども好んで読みますが、「思いついた時がチャンス!」みたいな超ポジティブな、チャンスを手にする系のことは、若い時はその通りだったし、やってよかったことばかりです。(失敗や痛い目にあったことも含めて)
ただ、これが今の年代もやっていけるか、というと、基本的な土台としては「行動ありき」に間違いはないのですが、こう「タイミング」みたいなものを考えたいなと思うわけです。省エネ、というか。無駄なエネルギーが残っていないという現実は、現実として受けとめるべきなんだろうって。

いつでもどこでも誰とでも、チャレンジすればいいじゃん!みたいなのは、ちょっとしんどいかなって。(やる気の多い少ないとは無関係)

あとは、こういう「タイミング」というのは「努力」と無関係だよなって思いました。この気づきは自分にとって大きいかも。いくら努力しても、「今じゃない」ってときはあるんだよな、って。逆に、よくわかんないけど、いろいろうまく回ってるなってこともあるんでしょう。流れを受けとめるしかない、というのは、なんだか大人だな…。(←何歳やねん。)

ふと始めた年表ノートですが、思いついたときにメモしたり、書き込んだり、眺めたりすることで、いろんなことを深く感じたり考えたりする機会になって、これは楽しいなと思っています。人生半分(より過ぎてるけど)のところで、人生の棚卸ですね。

これからも、またどんどん書き込んでいこうと思っているのと、これから「あつい」シーズンに入っていくので、ワクワクすることが増えそう。それを楽しみにして生活します。


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