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エネルギー不足を拗らせて、タロットから遠ざかっている話。

タロットグッズ(タロット、ノート、筆記用具、教科書、その他資料)をまとめて箱に入れて、いつも触れるように見えるところに置いてある。
視界に入っていると、つい触りたくなるので、わざとそうしていて、身近においていたタロット。

ところが、ここ数日、なんだか遠ざかっていた。
ちょっと離れたところに置いてみたり。
きっと、触りたくない…のだと思ったろう。無意識に。

この記事では、まだ頑張ってるが、ここくらいから拗らせた。


・何を引いても、逆位置
・何を引いても、何も感じない
・何を引いても、ネガティブな解釈になる
などなど、「楽しくない」ってなってしまったんだと思う。

それでもなんとか!
って引いてみるけど、やっぱりネガティブ祭りなのだ。
もういい、もういやだ。面白くない。

ああ、また自分の飽き性が爆裂だな、と思ってみたり。
そもそも、「いい結果」を求めている自分、みたいなエゴに気が付いたり。
タロットって、そういう「チープな喜び」を求めるものだっけ?
とか、もう迷路、出口がない迷路。結構へこんだ。今も。

そんなとき、先日、気晴らしに行ってみたタロット教室みたいなところで、
「逆位置ばかり出るときは、その人自身がタロットに自信がない、不安ということが多いです。」
と言われて、首がもげるほど頷いて納得した。少し救われた。

そうだ、私は「今、正常な状態ではない自分」だった。
前述の記事にある通り、人生で結構最大級の危機に瀕していて、心身ともにやられている数か月。結構、波乱万丈側の人生を生きてきたけれど、それでも今回は「いやー、さすがにここまで。」ってレベルで瀕死状態。

そうだ、こんな状態で、何かを楽しむなど、そんなメンタルではないというのに、自分の中には見いだせない「それでも希望はある!」みたいなところをタロットに求めてしまったんだろう、と自分ながらのファイナルアンサーを出した。ああ、弱い。現実を受けとめられてない自分にも気が付く。

そんなこんなを感じながら、今日、師匠であるたまきさんのNOTEを拝読した。

きっと、たまきさんも、超絶に「ありえない毎日」だと思われる中、こんなして禁断の占い(よい子はマネしないように、って書いてるし。)をして、赤裸々にNOTEに綴って…。うん、なんだろう、こうやって、もう「ひたすら実践」なんだろう、と痛感させていただいた。そして、「映えるように」なんて浅い話でもなく、現実という泥のような日常、タロットが伝えてくる光と影、みたいなことを記録する。

きっと、あとから見返すと、そのときには、もうそのすべてが自分の血となり骨となっているのだろう。うーん、深い。ついつい、いいことばっかり記録に残したくなる、浅はかな自分。

さて。前述の教室で「タロットは料理と一緒です。やればやるほどうまくなる。」という説明も、料理好きな私からすれば、すごくわかりやすかった。
確かに、料理は教科書通りに作ればおいしい、ってわけでもない。
何十年も主婦していたら、ちょっと工夫しながら毎日ご飯作っていたら、いつしか「勘」みたいなコツが身についている。これは、なんとも言語化しにくいスキルだし、短時間でどうにかなるようなものではない。

なるほど、そこを目指せばいいのか。
ときに美味しくない料理も、なぜか神がかって美味しくできちゃう料理も、教科書通りにやったのに不味いって時もある。適当に作ったら家族に大好評、みたいな日もある。材料がイマイチなのに、これいける!ってこととか。

これらすべては、ひたすら実践、練習あるのみ。

そんなことを思いながら、朝、カードを引いてみたら、
タイトルの上にあるような並びになりまして。
ここでもう一度、これ。

今朝引いた4枚。

どうみても「行け!」ではなく。ええ、行く方向もわかりませんしね。これは、なんというか…落ち着こ、冷静になろ、みたいな感じだよね。
あとは、やっぱり自分のことを聞くって、冷静になれないね。

しかし、カードを見て頭に浮かんだイメージを、具体的な言葉にするってことは、すごく訓練がいるなあ。数をこなすしかないのかな。あとは、いろんな人のリーディングを見て。

粛々と。
いつか見返したときに、「ああ、こんなときもあったよな」って思えるように。




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