京都の旅、夜の街と檸檬
久しぶりに京都を旅してみると、一番心を奪われたのは、この町の夜の妖艶な美しさだった。
昔読んだ、梶井基次郎の『檸檬』。作者がレモンを買った、その果物屋が美しいのもやはり夜だった。
店先の周囲は妙に暗いのに、それだからこそ、黒い漆の板に並んだ野菜や果物の色彩が引き立てられる。この描写が鮮烈で、美しい。
夭折の作家梶井基次郎が京都に下宿したのは、第一次世界大戦が終わって間もない時代だと知る。
四条大橋で「肺病になりたい、肺病にならんとええ文学はでけへんぞ」と叫んだという話がある。文学を愛しのめり込んだ若者の、自分の運命に絶望し、または抗うようなエピソードにも思える。
そんなことを想いながら、私も今の四条大橋を渡る。
作家が酒を飲み歩いた京極の明かりと、橋から眺めた夜の川の暗さ。この時代の京都の夜には、恐らくずっと深い闇があり、だからこそ、街灯は今よりずっと、明るく見えたに違いない。
まもなく、紅葉シーズンが到来する。京都の名だたる仏閣では、紅葉のライトアップがとても人気のようだ。
今回私にとって真新しかったのは、着物を着て京都の街を歩く外国人観光客の数。みんな、日本っぽいことがしたいらしい。舞妓さんかと思ったら、観光客だったりする。クオリティも、抜群に高いのだ。
人混みの中、それも着物と草履で歩きにくい長い石段を登っていく。専属のカメラマンを同行している人も多いが、神社仏閣含め街中に、写真撮影が目的の立ち入りを禁止する看板も目立つ。
紅葉シーズンは、どれほどの人が集まるのかと想像する。報道などで見聞きしていたオーバーツーリズムの緊張というのを、随所に垣間見た。
どの国でもそうかもしれないが、観光客が期待するその国っぽさというのがある。それは徐々に、観光客用にカスタマイズされて、一人歩きしたりする。東京の観光地の至る所にある、アニマルカフェを思い出した。利用者のほとんどが、外国人観光客のように見える。
今回の私の旅は、紅葉を見るには少し早過ぎる時期だった。赤い紅葉がライトアップされた素晴らしい庭園は、世界中の観光客の心を奪うに違いない。
でも、密かに思う。
闇の夜。
遠い街灯に反射した朧げな赤い紅葉は、遥かに妖しく、美しいだろう。
私が次にこの街で出会うのは、どんな夜の景色だろうか。