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過保護な親と自立したい息子の話。

イントロ

半年ぶりに東京の実家に帰ってきた。流石に半年以上実家の犬に会えないのは寂しい。コロナで帰省さえも自粛ムードがあるが、まぁしっかり対策していけばいいかなと思った。

実家に帰ってきて、改めて母親が過保護であることを実感している。例えば、コップや食器を出しっぱなしにしてると片付けてくれるし、服は畳んでまとめておいてくれる。服を買ってくれるし、美味しいご飯を作ってくれる。免許を取って試しに家の車を運転していると写真を撮りに家から出てくる始末。

まぁ子供が大好きなんだろうなぁなんて感じながらそういったことには素直に感謝している。

しかし、である。

この過保護が行きすぎると親子との関係が破綻するとも思う。
というか、実は私自身の家族関係も崩壊しているように感じる。
その理由を以下の例を通して描こうと思う。

具体例

鷲田清一はある本で以下のようなことを紹介していた。記憶が曖昧なので実際の内容と少し違うかも。
以下の親子の会話を見てほしい。

A
母親:お母さんのこと、好き?
息子:いや、嫌い。

息子を殴る。
母親:そうかい。私もあんたのことが嫌いだよ。

B
母親:お母さんのこと、好き?
息子:いや、嫌い。

息子を抱きしめる。
母親:そうかい。でも私はあなたのことを愛しているよ。

C
母親:お母さんのこと、好き?
息子:いや、嫌い。

息子を眼差す。
母親:そうかい。でもあなたが私のことを好きなことを、私は知っているよ。

さて。この3つの会話の中で最も 家族関係が崩壊しそうな会話はどれであろうか?

AはいわゆるDVではないか。
Bは家族関係が良好そう。母親の優しさを感じる。
Cは母親の母親強し(笑)といった感じだろうか。

Aが一番危険なのでは?と一見すると思う。
しかし、鷲田さん曰く、Cが一番危険らしい。

なぜならAはしっかり息子を一人の人間としてみなし、暴力という低俗な方法ではあるが、コミュニケーションをとっている。
一方でCはどうであろうか。
Cは母親の中にある「息子」の理想を息子に押し付けている。目の前にいる息子のことは全く見ようとしていないのだ。
一方的なコミュニケーションになっている。

私と母親の関係

さて。では実際、私の場合どうなのであろう?
CよりのBといった感じか。

例えばである。母親は私に将来安泰に暮らしてほしいからエリート街道を辿るように導こうとする。中学受験をさせ、中学の頃から進学校に通わせ、大学では留学をさせようととしてお金を全額出すとまで言ってきた。(いってはいない)
そんな親だから、こんなことを行ってくる。

あなたはもうインターンにも参加しているし、体育会系だから就活も大丈夫よ。
あなたが選んだ道はいつも正しいわね。(実際は親が操作してきた)
(弟と比べて)本当に素直な性格よね。(ただ親の言うことに従うしかなかっただけ)

つまり、親の前でお利口にしてきたため、本当にそのお利口な「私」が実在していると思っている。
期待通りに動くのを息子とみなす(実際はそうではないのに)。
一人の人間(他人)として息子を見ようとしない。

息子の私からするとそれは本当に苦痛な話である。

解決するためには

息子の言動を認めずに自分の理想の息子を当てはめようとするわけだから、反抗しても意味がない。すべて、それは本当の息子ではない で片付けられるから。

解決策として思いつくのは今のところ2つ。

・私(息子)がそんな母親を受け入れて、一生良い子を演じて生きていく。
これは糞食らえだ。

・母親と距離を取る。関係を最低限しか設けない。これにより私は自我を保てるようになる。
今のところこれが最も手っ取り早く、私の問題を解決できる方法な気がする。他人を変えるのは難しいなら、自分が行動するのみである。

まとめ

こう言ったことを考えると、アドラー心理学で言う、人生のタスクは本当に大切なことなのだと思う。自立をする上で必要なことだからだ。自立は私が幸福になる上での条件である。ということは、他人に自分を自分として見てくれるためにも、必要なことである。

こんなモテない私ではあるが、恋愛は努力して、挑戦していこうと思う。

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