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銭湯【小さなコトが気になりすぎる。】

心と身体もリセットができる、至福の時間、それが僕にとっての銭湯。
ただし、銭湯とは公衆浴場であり、決して1人だけの時間・空間ではなく
その日その日によって『リセット』というゴールに向かう前には、
幾多の困難が待ち受けている日もある。

例えば、浴場と脱衣所の間にあるドアの開け閉め。
銭湯をよく利用する人にとっては、ひとつの戦場となりうる場所。

最近は、町銭湯の改装も進み、自動でドアが開閉されるようになっている所も少なくはないが、その悪影響なのか「ドアを開けたら、閉める」この所作を忘れてしまい、
開けっぱなしの状態でいそいそと自分の身体を洗い始める人。
サウナ後に脱衣所に移動し、これまた開けっぱなしの状態で整い時間(マイワールド)に入ってしまう人。こういった人をよく見るようになった。
そんなシーンを見てしまった暁には、小さなコトが気になりすぎる僕は、
人が出入りする度に「あの人、ちゃんとドアを閉めてくれるかな…」と、
リラックスしようとしている中でもつい気になって見てしまう。

そして、自分自身はそこまで不利益を被らない場所にいたとしても、
ドア付近で身体を洗っている、おそらく常連であろう方々が
「不機嫌になっていないか」「舌打ちなどしていないか」
なぜかとても気になってしまう。(この時点で、私の心は既に『リセットする』というゴールから、自ら一歩退いてしまっている…)


最近もこんなことがあった。

僕は、その日も行きつけの銭湯に赴き、サウナに入っていた。
2サイクル目のサウナを出て、水風呂に入り、浴場内で体の水滴を拭いていたところに
ひとりの30代半ばくらいの男性が入ってきた。
あまり見たことのない顔だ。

ふと、気になって出入りするところを見ていると、悪い予感は的中。
その男性はドアを開けたまま、そそくさと浴場奥に移動しようとしていた。
あろうことか、ドアの目の前の席ではお爺さんが1人、
全身泡だらけの状態で頭と体を一気に洗っている。(気持ちよさそう)
そして、ドアの方から入ってくる冷たい風を感じ取ったのか、
ビクッとドアの方に体を向け、泡だらけの顔から細めた眼を覗かせている。

「そうだよね、せっかく気持ちよく洗っているところを邪魔されたよねお爺さん。
 わかる、わかるよその気持ち。」

そう勝手に共感しながらも、俯瞰して見ている僕。
しかし、次の瞬間そのお爺さんは犯人を探すかのように後ろを振り返り、
私と目が合った…!
俯瞰で見ていた僕の存在が、
その鋭い眼差しによって一気に主観的立場に変えられたような気になる。焦る。

「ちがう、ちがう、そうじゃ、そうじゃない。
 ドアを開けたのは私じゃないですよ。むしろ、味方ですよ!!」

と鈴木雅之風に、心の中で反論しながら、無言で首を横に振る。
(当の男性は、自分の場所を奥の方に決め、既にシャワーを浴び出している。おい!)

ただし声に出して反論するには、どうにも小さすぎる事象であり、
「僕じゃないです!」と言おうものならその声が小さな浴場に響き渡り、
これも居た堪れなくなってしまう。
(そもそも全て私の頭のなかの空想なので、本当にお爺さんが私のことを疑っているかもわからない。)

どうやっても弁解しきれない状況に陥っている中で、
お爺さんは全身泡だらけでケロリン椅子に座りながら懸命に手を伸ばし、
ドアを閉めようとしている。
その瞬間、私は「閉めますよ」と一言発生し、代わりに閉めてあげた。
(なぜか、この一言はすんなり出た。)
そしてお爺さんも一言「おう、わりいな。」
この一瞬の行動、お爺さんの一言で
「あ、ドアを開けっぱなしにしていた犯人が僕ではないことをこのお爺さんは分かってくてれいる。でなければ、感謝の言葉なんか言わない。良かった…。」

と一安心した。
僕の心と体のリセット時間の平穏はこの瞬間になんとか守られたのだ。

そして、当の男性はというと、
その後も勿論、ドアを開けっぱなしにしたことに気づくこともなく、
何度か同じ反抗を繰り返し、挙げ句の果てには
ドアの開閉には気づかない無神経さを持っているにも関わらず、
(ちなみに他にも、浴槽と浴槽の間を横移動する等、気になるところは沢山あった。)
床の泡汚れが気になったのか浴槽のお湯を豪快に手で掬い上げ、洗い流し始めている。
そして、自ら犯行を犯したドア付近の汚れも気になったのか、
浴場奥のシャワーを手に持ち、遠くからドア付近に目掛けて噴射しはじめた。
「なぜ、そんなところは気になるのに、ドアの開け閉めには気づかないのか?」

またまた、小さなコトが気になる気持ちを掘り起こされそうになったが、
その時には私は既に3回のサウナサイクルを完了し、心も身体もフルリセットされていたので、本当にただの疑問が頭に浮かび上がるだけに終わり、
最後には自らゴールに到達することができた。

人にとっては、とても小さなコトであり、
気にしすぎ、考えすぎ。と言われるようなことかもしれない。
銭湯・サウナブームと言われる中で、
多くの人にその魅力が伝わることもいいことである。

が、銭湯とは公衆浴場であり、
だからこその基本的なマナー・モラルを守ることで、お互いの至福の時間を守る。
それだけは変わらないでいてほしいと切に感じながら、
今日も銭湯にリセットのため、戦いに赴く。

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