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ネオンサイン 第5話

 西澤は、ジョンレノンの夢を見ていた。
 
 セントラル・パークを散歩するジョン。
 子供たちに囲まれて幸せそうなジョン。
 そして、舞台で一人おどけてみせる、ジョン。
 
 それは、有名なミュージックビデオのシーンだと、西澤は思い出した。そのビデオが撮影されてから数年後、ジョンは熱狂的なファンに撃たれて亡くなったのだった。享年40歳。
 人は誰しも、死ぬまでその舞台に立ち続けなければならない。ましてや、芸人なら……。
 そこで西澤は目が覚めた。今日はまた、週1回の下北お笑いライブの日だ。有閑マダムからもらった謝礼がまだ残っているので、西澤はタケシを誘って、下北駅前のファミリーレストランで昼食をとる事にした。

「ドリンクバーって、飲み物飲み放題なの?やべーな」
 相変わらずタケシはテンションが高い。
「ファミレスとか、行かないのか?」
「ファミレス来たのなんて初めてだよ、こんな高級店」
 普段はどんな食生活をしてるんだ、と聞きたくなったが、西澤は怖くてやめた。
「今日は好きなもの注文しろよ、まだこの前の謝礼が残ってるからな」
 二人はそれぞれ腹一杯食べると、ファミレスを後にした。
 食事も終わって、下北駅前の商店街を通ろうとすると、道が封鎖されている。警備用の赤い棒を持った男が、ご迷惑をおかけします、と言いながら、通行人を脇道に誘導していた。
「何だろうな、西澤」
「きっと、何かの撮影だよ」
 それにしても、昼間の下北を通行止めにして撮影するなんて、ずいぶん大掛かりだな、と西澤は思った。
「やべーな、めっちゃ人いるじゃん」
「きっと、何か有名なドラマか映画の撮影だぜ」
 二人も野次馬のようにその場でしばらく立ちつくしていると、女優さん入られまーす、ちょっと通して下さーい、という声が後ろから聞こえ、男が人をかき分けた。
 その間を通って、一人の女性が入ってきた。その横顔がチラッと見える。
「い、石原さとみだっ……」
 二人は同時に声を上げた。
 じゃあ、本番入りまーす、ちょっと静かにして下さいねー、と言う大きな声がメガホンから聞こえ、いきなり撮影が始まった。
 ゲームセンターから、ギターケースを背負った革ジャケットの男が駆け出してくる。それを追って飛び出してきた石原さとみ。
「ま、待って、しょうた。もう一度考え直してよっ」
「うるせーな、俺の心はもう決まってるんだよっ!」
 革ジャケットの男は、すがりつく石原さとみを振りほどき、そのまま通りを走り去って行く。その場にしゃがみ込み、泣き崩れるさとみ。
「カーット!」
 と言う大声がして、撮影が終わったらしい。石原さとみが立ち上がり、メイクさんが髪を直している。監督らしい男がさとみのそばに行き、何か話しているようだ。さとみはうなずいている。
「はい、もう一回本番行きまーす、ヨーイ!」
 という大きな声が聞こえた。
 ゲームセンターから、ギターケースを背負った革ジャケットの男が駆け出してくる。それを追って飛び出してきた石原さとみ。
「ま、待って、しょうた。もう一度考え直してよっ」
「うるせーな、俺の心はもう決まってるんだよっ!」
 革ジャケットの男は、すがりつく石原さとみを振りほどき、そのまま通りを走り去って行く。その場にしゃがみ込み、泣き崩れるさとみ。
「カーット!」
 と言う大声がして、撮影が終わったらしい。石原さとみが立ち上がり、メイクさんが髪を直している。また監督が石原さとみのそばに行き、何かしゃべっている。そしてさとみがうなずく。まったく同じ光景だ。何十回と繰り返されるこのシーンを、二人は食い入るように見つめていた。
 やがてようやく、
「はいっ、お疲れさまー、本番終了でーす」
 という大きな声がして、今度は、本当に撮影が終わったらしい。監督が石原さとみと話しながら、ロケバスの方に歩いてきた。ロケバスは二人の後ろに止まっている。
「あれっ、君たち、この前の」
「あっ、あの、監督、いや、監督さん、ですよね」
 それは、先日空き地でネタ合わせをしていた時に、自主映画の出演料として千円を払ってくれた、もじゃもじゃのロングヘアー男だった。
「この前はお世話になったね、いやー、いい映画になりそうだよ」
「監督って、本気の監督だったんですね」
「私はいつだって本気だよ。この前のは、趣味で撮っててユーチューブにアップするヤツ。今日撮ってるのは、来年5月全米公開の『シネマティック・アトランティック・ナイトメア』だよ。日本公開は7月かな。主演女優は、この石原さとみ。知ってるかな?結構有名だけど」
「あ、あっ、もちろん知ってますよ、大ファンですから」
 タケシがいつになく上ずった声で言った。
「こちら、俳優の二人ね。僕の映画に出てもらったんだ」
 監督が石原さとみに二人を紹介した。
「石原です、いつもお世話になっております」
 石原さとみは、二人と握手し、監督にうながされてロケバスに乗り込んだ。
「や、ヤバイよ、西澤」
 石原さとみと握手したタケシが、驚いたような声を上げた。
「俺もヤバいかも」
 西澤が答えた。
「そうじゃなくて、俺もネタ書けそうなんだ、いま石原さとみと握手した時、ビーンときたんだっ」
「そ、そうか、タケシ。じゃあ今日は、お前がネタ書いてみろよ」
 西澤が取り出したネタ帳を奪い取ると、タケシはその場でネタを書き始めたのだった。
 3分で書きあがったタケシの新ネタを、二人はいつもの空き地でじっくりと練習した。やがて夕方5時の時報が鳴ると、二人は下北駅前にある、お笑いライブの会場に歩いていった。

 出番がきてコンビ名がアナウンスされ、暗いステージがパッと明るくなると、二人は袖から飛び出して、センターマイクに駆け寄った。観客は50人ほど。今日もほぼ満席に近い。今日かけるネタは、タケシが書いた新ネタ”映画監督”だ。

ポーロ「世の中にはいろんな職業ってあるよね。お前はさ、お笑い芸人になってなかったら、何になりたかったの?」
丸子「うーん。俺はやっぱり、映画監督かな」
ポーロ「えっ、意外じゃん。お前って映画好きなんだ。映画館行ったりするタイプ?」
丸子「まーね。やっぱり、映画館で食べるポップコーンって美味しいじゃん。映画監督なら、ポップコーンも食べ放題だから、うらやましーなーと思って」
ポーロ「いや、ポップコーン食べるだけだったらさ、別に映画監督じゃなくてもいいんじゃね。大金持ちとかさ」
丸子「でもさ、やっぱりできたてのポップコーンを試食できるのは、映画監督だけでしょ。試食会、ってよく聞くじゃん」
ポーロ「それは、できたての映画を見る、試写会のことだろ。できたてのポップコーンを味見できるのは、どっちかって言うとポップコーン工場の責任者の方だよ。お前ポップコーン工場の工場長になれよ」
丸子「なんでだよ。俺がなりたいのは、工場長じゃなくって、映画監督だよ。観客を感動させる、すごい映画とか撮ってみたいし」
ポーロ「じゃあ最初からその理由を言えよ。メンドくさいなぁ。それで、どんな映画撮ってみたいんだよ?」
丸子「やっぱり、一番は、SFアクションっていうのかなぁ、マトリックスみたいなヤツ」
ポーロ「いいよな、あれ。アイデアもすごいし」
丸子「敵に撃たれた弾を、サングラスに黒マント姿の石原さとみが体を反らせながらよけるんだよな」
ポーロ「んー、なんかちょっと違うよ、それ。マトリックスには石原さとみなんて出てねーし。そもそも外国の映画だよ」
丸子「えっ、そうなの?じゃあ俺が見たのは日本版のマトリックスか」
ポーロ「日本版も俳優は同じだよ、声が日本人なだけでっ」
丸子「そっかー、じゃあ、マトリックス2、だったかな」
ポーロ「マトリックス2も同じだよ。2も3も、石原さとみは出てないよ!」
丸子「ゴメンゴメン、石原さとみが出てる映画は、マトリックスじゃなくてサトミックス、いや、シンゴジラかな?」
ポーロ「そんな映画はねぇよ、いや、シンゴジラには出てるよ!なんかさぁ、石原さとみに相当こだわりがあるなぁ、お前」
丸子「だって俺、石原さとみの大ファンだもん」
ポーロ「じゃあ、あれだろ、たぶんお前は、石原さとみが出る映画を撮る映画監督になりたいんだな」
丸子「かみ砕いて言うと、そういう事かな。でも、たぶんそれ、100%無理だよ。俺がオファーしたとしても、石原さとみは絶対オッケーしてくれないもん」
ポーロ「何いまさら弱気になってるんだよ。石原さとみで映画撮りたいんだろ?お前のその100%のホンキの気持ち、今ここでブツけてみろよ、きっと届くから、さとみに」
丸子「そうだな、じゃあ思い切って、オファーしてみるか。『石原さとみっ、いや、石原さとみさん、ボクと、結婚して下さいっ!』」
客席の石原さとみ「ゴメンなさーい」
丸子、ポーロ「え、えっ、なっ、なんでだよっ!どっ、どうも、ありがとう、ございましたっ……」

 二人は客席の石原さとみにビックリして、ブルブルふるえながら舞台を降りた。昼間の撮影で下北に来ていた石原さとみが、なぜかお忍びでお笑いライブを見ていたのだ。石原さとみの絶妙な返しもあって、二人は新ネタ”映画監督”で、また1位を取ることができたのだった。

「いやー、君たち俳優かと思ったら、芸人もやってたんだね、なかなか面白かったよ。1位取ってたじゃん」
 ライブが終わり、映画監督が、満足そうに二人に話しかける。
「い、いや、それは、石原さとみ大先生さまのアドリブのおかげで……」
「じゃあ、頑張ってくれたまえ、これから私たちは打ち合わせがあるので」
 面白かったわ、じゃあまた、と言って石原さとみは微笑むと、二人は連れ立って会場を出ていった。

 コンビニで赤ワインとチーズを買うと、いつもの路地裏で、二人はささやかな打ち上げをした。
 この街に一軒しかないラブホテルの”ホテル”という巨大なネオンサインが、青から赤に変わる。中年カップルが、伏し目がちに二人の前を通り過ぎ、ホテルの入り口に吸い込まれていった。
「夢は叶うって、本当だな」
 タケシがしみじみと言った。
「ああ、ヤバいな」
 あまりの出来事に、西澤も言葉が出ない。
「あのネタだったら、どこでも優勝だぜ、西澤」
「でも、石原さとみがいつも出てくれないとダメだけどな」
 二人は笑いながら、ワインを回し飲みした。
「それにしても、可愛かったよなぁ、石原さとみ」
「ホントだよな、同じ人間とは思えないぜ」
「いや、そこは同じ人間として、もっと頑張らないと。幕が下りるまで、走り続けようぜ、タケシ」
「また難しい事言うな、ヤッパ大卒は違うよ。でも俺、今日は最高の1日だったよ。もう死んでもいいくらいだぜ」
「まだ死ぬなよ、せめて40歳までは生きようぜ、タケシ」
「なんで40歳?まー当然、それくらいまでは生きたいけどな」
 タケシは笑いながら答えた。
「そしてまた、石原さとみと共演しようぜ」
 モチロンさ、と、タケシは笑顔を見せたのだった。

 下北の夜空には、下弦の月が、優しい微笑みを浮かべながら輝いていた。

(第5話 終)   第6話

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