見出し画像

ネオンサイン 第6話

 タケシは部屋で彼女を選んでいた。
 とは言っても、もちろんリアルな彼女ではなく、女性向けのヘアカタログの雑誌を見ながら、どの子がいいのか考えるだけだ。そういう雑誌には、そこそこいい感じに普通な女の子がたくさん載っているので、女優に恋をするよりも、少しではあるが現実感が出るのだった。
 それは、美容師を目指していた頃に思いついた遊びだったが、今でも気分転換したい時には、タケシはたまに、架空の彼女選びをするのだった。
 タケシはヘアカタログの中から今日の彼女を決めて満足した後、その彼女の写真をスマホで撮って、下北に出かけた。今日は毎週出演している、下北お笑いライブの日なのだ。

 さて、丸子タケシとポーロ西澤のお笑いコンビ”丸子ポーロ”は、毎週一回、下北駅前にあるビルで開催されている下北お笑いライブに出演しているわけだが、ライブに出演する芸人たちには、チケット配りという役割がある。ライブ開演前の街に出て、無料チケットを配布して客を呼び込むのだ。
 無料なのにチケットというのは少しの違和感があるが、入場料が無料のライブなので前売り券もなく、逆に、チケット配りをしなければ、ビルの最上階で開かれるライブの存在自体を客に気づいてもらえないのだ。
 芸人たちは、お笑いライブどうですか、無料ですよ、などと思い思いのセリフとともに、下北を歩いている通行人に無料チケットを差し出す。もちろん、下北を歩いているからといって全員がお笑い好きではないし、有名芸人が出ているわけでもなく、そもそも怪しまれる事も多いので、このチケット配りで来てくれる客は多いとは言えない。しかし、ファン以外の客を取り入れるためには、この方法が一番効果的なのは確かだ。
 二人が道端でチケット配りをしていると、もじゃもじゃロングヘアーの映画監督が通りかかった。
「あっ、監督じゃないですか!今日もお笑いを見にきたんですか?」
「いや、さすがに私もそこまでヒマじゃないよ。近所に住んでるんで、このへんを散歩しながら映画のテーマを考えているのさ」
「なるほど、そーなんですね」
「あっ、そうだ。君たちちょうどいいや。今度、クルーザーで撮影したいシーンがあるから、後で、ここに連絡してくれ。もちろんギャラは出すよ」
 監督は名刺を渡して、すたすたと歩いていった。
 ライブが終わって、二人は監督の名刺に書いてあった連絡先に連絡してみた。来週の某日某時刻に、とある港に来て欲しいという。そして指定された日の夜、二人は東京湾に浮かぶ、監督のプライベートクルーザーの中にいたのだった。

「すごいっすねー、監督。やっぱり世界的な監督は違うなー」
 監督のプライベートクルーザーは150人乗り。マンションが海に浮かんでいるようだ。
「映画作りには小道具が欠かせないからね、はははっ」
「いやっ、どちらかと言うと大道具でしょう、これは」
 なぜか二人は、監督と漫才みたいなやりとりをしてしまった。
「いや、そんな事はどうでもいいんだ。今日二人に来てもらったのは、今撮っている私の映画『シネマティック・アトランティック・ナイトメア』で検討中のワンシーンを撮影してみたくてね。いわゆるテストショットってヤツさ。もちろん、ちゃんとギャラは出すから」
「それは何よりです、監督!」
 まだ豪華クルーザーに圧倒されているタケシが言った。
 じゃあ早速、撮影に入るとしようか、こちらのカジノルームに来てくれ、と監督は言い、木製の大きなドアを開けた。
 そこはまさしくカジノ用の部屋で、映画でよく見るような、ルーレットや緑の卓が置かれている。そして、そこに一人の少女が座っていた。
「私の妻のマリコさ、あっ、この前会ったっけ」
 少女は立ち上がって挨拶をした。
「マリコです、こんばんは。先日は、夫ともどもお世話になりまして……」
 それは以前、監督が自主映画を撮影していた時に空き地に走りこんで来た、血まみれの少女だった。
 マリコは深くスリットの入った、ブルーのチャイナ服を着ている。
「自慢の妻だよ、まだ若い、とてもねっ」
 監督が笑った。
「監督の奥さんだったんですか、すごいっすねー、未成年っぽい」
「まぁ、ね。じゃあ早速撮影を始めようか。えーっと、君、名前何だっけ?」
「西澤です」
「じゃあニシザワくんは、カジノのディーラーね。そこに立っていればいいから。そして、そっちの君、えーっと?」
「丸子です」
「マルコくんは、ディーラーにクレームをつけるカジノ客ね。マリコの婚約者で、マリコと一緒に来てる設定。じゃ、その椅子に座ってよ、マリコの隣ね」
「あっ、はい、分かりました」
「それから、主演女優の石原が忙しいんで、今日は代役で我慢してくれ。一応、カジノの女帝役なんだが……」
 女優さん入られまーす、という声が聞こえて、入り口のドアから、一人の女性が入ってきた。キャバ嬢の様な派手なドレスを身にまとっている。
「本日の代役を言われて来ました、ガッキーです、みなさん宜しくお願いします」
 そう言って、女優はお辞儀をした。
「ええっ!?ガッキー、っていうか、新垣結衣さんですよね、女優の」
 タケシが驚いて言った。すると、
「いや、ガッキーです」
 と、新垣結衣がそっけなく言った。こうして役者が揃ったところで、監督は「これ見ながら適当にやってくれ」と言って、いきなり台本を配った。
「じゃあ早速始めようか、みんなスタンバイしてっ。ハイ、ヨーイ、スタート!」
「いい雰囲気のカジノバーね、あなた。シャンパンもとっても美味しいわ」
 マリコがセリフを言った。
「そ、そうだな」
 タケシが台本を見ながら答える。
「じゃあ、次こそ勝ってよね、あなたっ」
 西澤の差し出したカードから、タケシは一枚引いた。
「残念ですね、私の勝ちです」
 西澤が言う。
「何か変だなー。おいっ、お前!このカード、インチキだろっ!」
「とんでもございません、お客様。何ならお調べいたしましょうか?」
「あぁ、全部調べてもらおうじゃないか!」
「そうなりますと、お客様の勝ち分もなくなるという事になりますが、それでも宜しいでしょうか?」
「何わけ分かんねーこと言ってんだよっ。今まで勝った分は勝った分だろうがっ!」
「何か問題でもございましたか?」
 テーブルにガッキーが近づいてきた。
「私はこのカジノのオーナー兼支配人のガッキーでございます。では、お客様のお話は、こちらでじっくり聞かせて頂きますわ。ほら、ディーラーの君も一緒に来るのよ」
 椅子から立ち上がったタケシの手を取り、ガッキーはタケシを部屋の外に連れ出した。後から西澤もついてくる。
 こちらですわ、と言いながら、ガッキーは階段を上り、二人を甲板に連れ出した。するとそこに突然、背の高い、太った巨体の男が現れた。
「うちのカジノに文句つける奴は、出てってもらうしかねーなー」
「出て行けって言われても、ここは海の上だぜ」
「だから、こうやって出て行ってもらうのさっ」
 巨体の男は、タケシの首根っこをつかんで、手すりの方に連れていく。
「やめろっ、放せよっ!」
 タケシはバタバタしているが、男の怪力のせいで、手すりにどんどん近づいていく。
「ほら、こっから出て行ってもらおうか」
 男は手すりの間から、タケシを押し出した。
「ううん、ああっ、あーっ!!」
 すると、男の力が強すぎたせいなのか、なぜかタケシは本当に海に落ちてしまったのだ。バッシャーン、と、高い水音が上がった。
「タケシーっ!!」
 驚いた西澤は、手すりに駆け寄って夜の海面をのぞき込んだが、すでにタケシの姿はない。とっさに西澤は、タケシを追って海に飛び込んだ。そしてブクブクと、そのまま海中に沈んでいった。
(なんてこった。こんな所で死ぬなんてな……。俺まだ27だぜ。早すぎやしねぇか。いや、27歳と言えば、27クラブだな。ジムモリソンと同じ年か。じゃあ、俺も27クラブに入れるかも、いや、俺はミュージシャンでもないし、まぁ、無理か……。なんだか短い人生だったぜ……。この前オミクジ引いときゃよかった……、そしたら人生変わってたかも)
 そんな事を考えているうちに、西澤の意識は、だんだんと薄れていった……。

 まもなくして、世界的映画監督所有のクルーザーから若い男性二人が東京湾に転落して行方不明、というニュースが流れた。そして懸命の捜索がなされたが、一週間たっても、とうとう二人は見つからなかったのだった。
 そのニュースを聞いた女子高生ルナも、二人がお笑いコンビ”丸子ポーロ”の二人だと知って、さすがにショックを隠しきれなかった。ルナはポロポロと涙を流しながら、”これからクルーザーで撮影です!”という二人の最後のツイートを、夜の電車の中で、何度も何度も読み返していた。
 すると、ルナが愛読している怪奇小説作家ラヴクラフトの世界のような暗黒のヴィジョンが、ふいに頭に浮かんできた。

(汝はお笑いの女神なのだ……、女子高生ルナよ……)

 もう二人は死んじゃったよ、と思いながら、ルナは頭の中に響く、その不気味な声を聞いていたのだった。

(第6話 終)   第7話

記事が気に入った方はサポートお願いします!いただいたサポートは、活動費にさせていただきます。