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ネオンサイン 第4話

 ルナは、女子高生だ。

 ルナの父は、東大に勤めている教授という事もあって、父の書斎にある本棚には、学生時代から彼が集めた大量の本がギッシリと詰まっている。ルナが本好きなのは、きっとその影響だ。ルナという名前もおそらく、ファンタジー好きの彼のアイデアだろう。
 彼の研究室は東大の本郷キャンパスにあるのだが、たまに講義のために、東大の駒場キャンパスにも来ることがあった。駒場キャンパスの目の前にある駒場東大前駅は、下北から二駅のところにあり、下北というのは、東大生にも意外となじみのある場所なのだ。
 ある日、ルナは駒場キャンパスで講義が終わった父と、キャンパスの書籍売り場の所で待ち合わせることにした。
「おっ、ルナ」
「お疲れさま、パパ」
 40代後半で教授というのは、きっと出世が早いのだろう。若々しい、とルナは思う。
「パパ、東大案内してよ」
「ルナは駒場は初めてか?」
「うん」
 二人は書籍売り場を出て、駒場のキャンパスを歩き出した。
「東大って、1、2年生は全員、こっちのキャンパスに通うんだよ。でも、パパが学生だった頃とは、ずいぶん変わったなぁ」
「そうなの?」
「そうだな、でも、変わってないところもたくさんあるよ。すごく古い建物は残ってて、新しい建物はすごく新しい。今は何となくチグハグな感じがするね」
 二人はメインのイチョウ並木を歩いていた。サークルの立て看板が、左右にたくさん並んでいる。
「ほら、そこに新しいビルがあるだろう。パパが学生だった頃は、アソコに学食と書籍売り場があったんだよ。まだ古い建物でさ」
「ふーん」
「入り口に紙コップ式の自動販売機があってさ、よくコーヒーを立ち飲みしてたなぁ」
「へー」
「購買部もあったよ。パパの頃は、ウインドウズ95かな。パソコンが学割で売られてて、でも高くて買えなかったなぁ」
「何か全然分かんない話だね」
 ルナが笑いながら答える。
「でも、この辺のレンガ造りの建物は、全然変わってないんだよなぁ」
 やがて二人は1号館の前に来た。時計台がついている、もとは旧制一高の校舎だ。
「ザ・東大、みたいな建物だね」
「そうだろう、80年前の建物だから。でも、この中でもちゃんと授業してるんだよ。教養課程の英語とか、ドイツ語とか、朝から受けてたなぁ。寝坊して、すぐ行かなくなったりしたけど。大変だったよ」
「大学になってからも、朝早いの?」
「意外と早いんだよ、朝8時30分から始まるからね」
「大変そう……」
「じゃあ今日は一緒に帰るか、ルナ」
「うん、でも、ちょっと下北で降りてブラブラしてからでもいい?」
「もちろん大丈夫だよ、ルナ」
 二人は駒場東大前駅から電車に乗り、すぐに下北の駅に着いた。
「駅もどんどん変わっちゃうな」
 二人は、駅構内の曲がりくねった通路を通って北口に出て、大阪屋のタコ焼きを食べながら、街を散歩した。
「パパって、お笑い好き?」
「好きっていうか、今流行りだからね。テレビで見たりするぐらいかな」
「下北でもお笑いライブやってるんだよ」
「そうなのか」
「そうだよ。無料だけどね。結構面白いよ。今注目してるコンビもいるんだ」
 ルナは笑いながら答えた。
「そう言えば、今は”東大生芸人”とかもいるらしいな、ルナ」
「そうだよ、パパもお笑い研究すれば、面白い教授になれるかもよ」
「はははっ、そうか、ルナ」
 二人はとりとめもない会話をしながら、下北の街を歩き回ったのだった。

 その頃、お笑いコンビ”丸子ポーロ”の二人は、アメ横にいた。有閑マダムからもらった謝礼5万円の使い道を相談していた時に、西澤が提案したアイデアだった。高校の修学旅行で訪れて以来、気に入っているアメ横を、西澤はタケシに案内してやることにしたのだ。今でも西澤はたまに、一人でアメ横に来ることがあった。
「ここがアメ横だよ、タケシ」
「やべーなー、市場みたいじゃん」
 通りの左右にはさまざまな店が並び、売り子が威勢のいい掛け声を掛けている。
「まだ年末まで間があるからこんな感じだけど、大晦日とかに行くと、すごいぜ」
 西澤が言った。
「人がギッシリで、動けなくなるから」
「じゃあなんでそんな時に行くんだよ」
「それはやっぱり、縁起物だからじゃねーかな。日本人って、結局、そういうのを大切にするとこがあるからな」
 安いよ安いよ、千円千円、という声が引っ切りなしに聞こえる。
「安いのかなぁ、西澤。俺には千円って大金だけど」
「まぁ、そうだよな。縁起物だから」
 西澤は苦笑いしながら答えた。そして二人は、通りに面した階段から、アメ横センタービルの地下に降りていった。
「ほら、ここが俺が一番気に入ってる場所さ」
「何だよここ、妙に生臭いな」
 タケシが顔をしかめた。
「ここも市場っぽいからね。でもちょっと変なんだよ」
 確かに肉や魚が売られているが、その他にも、外国の調味料、ピータン、上海ガニなど、普通のスーパーでは目にしない物も混ざっている。パックに入った肉も、よく見るとブツ切りにされた豚足だったりする。それに、店員がみんな、中国語っぽい言葉を使っていた。客にもアジア系の外国人が多く、知らない言葉で会話している。
「何か、異様な熱気を感じるな」
「そうだろ、タケシ。この異様感が、俺は好きなんだよな」
 そのまま通路を進むと、二人はちょっとした広場に出た。灰皿と自販機がある。二人は缶コーヒーを買い、飲みながら一服した。
「じゃあ、摩利支天にでもお参りして行くか」
「まりしてん?」
「あぁ、徳大寺っていうお寺だよ。そこの守り神が摩利支天って言って、戦いの神様だよ」
「戦い?まぁ、漫才の世界も戦いだから、いっか」
 二人はアメ横センタービルの地下から地上に上がり、またアメ横の騒々しい通りを進み、しばらく先の角を曲がって、徳大寺の石段を上がった。
「何だよこれ、西澤。イノシシの上に神様が立ち乗りしてるよ」
 タケシが寺の中に飾ってある大きな絵を見て言った。
「それが摩利支天だよ。そのイノシシが超スピードで動いて、敵をやっつけるんだってさ」
「そんなに高速移動したら、神様落ちちゃうじゃん。お笑いみたいな世界だなぁ」
「神様の世界も、結構お笑いっぽいからな」
 二人はちょっと笑った。お賽銭を入れてお参りをし、二人は寺の外に出た。
「オミクジでも引いていくか?」
「今日はまだいいや、また次、来年になってからもう一回来ようぜ、その時に」
「じゃあ、そうしよう」
 二人は徳大寺の石段を下り、近くの海鮮丼の店の脇にある、タコ焼き屋の前に来た。いつも客が行列している、安くて美味しい有名店だ。
「ここでタコ焼きを食べて帰るのが、いつもの俺のルートさ」
 西澤が言った。
 そこは立ち食いスタイルで、テーブルの上には巨大なマヨネーズのボトルとタコ焼きソースのボトル、青ノリと、カツオブシがある。トッピングはセルフサービスなのだ。二人は8個入りのタコ焼きを買い、十分に堪能した。
「どうだった?アメ横は」
「たまにはいいよな、こういうごちゃごちゃした場所も」
「ごちゃごちゃした場所には、カオスのパワーがあるよな」
「また難しいこと言うな、西澤。俺には良く分かんねーけど、何かやってやろう、っていう気になったぜ」
 笑ったタケシの歯に青ノリがついているのを見て、西澤も笑ったのだった。

 こうして、女子高生ルナとその父、そして、お笑いコンビ”丸子ポーロ”の二人は、偶然にも、同じ日、同じ時刻に、タコ焼きを食べながら語り合っていたのだった。
 ”シンクロニシティ”という言葉がある。偶然の一致、と訳されるその言葉はまた、偶然ではない何かのメッセージであることもある。それが何かは、まだ彼らには分かっていないのだった……。

(第4話 終)   第5話

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