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町の記憶

高校を卒業するまで住んでいた、静岡県浜松市中島町市場には、その名の通り青果市場があった(今は中区中島1丁目)。
昭和初期からあったそれは、朝は活気があり人々で賑わっていたが、閉場する昼過ぎにもなれば、薄暗く、まるで廃墟のような様相だった。
誰でも自由に出入りができる市場内は、子供が駆けまわるような、かくれんぼするような場にはもってこいの十分な広さがあったけれど、その不気味さ故にそんな子供はほぼいなかった。(まぁ、遊んでいい場所ではないんだけど)

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「江東のあゆみ愛称標識」より

よく母に連れられて市場に買い物に行くのは楽しかった。
「人に贈りたいから、いい(三ヶ日)みかんある?」と聞けば、「じゃぁこっちの箱だと粒が大きいよ。」「今ならこっちの方が甘いよ」とか、母とお店の人との掛け合いが好きだった。
もちろん私の〝はじめてのおつかい〝はこの市場だ。

そんな市場も、時代の流れにより東海地方を拠点とする大手スーパー「バロー」に変わった。
それでもやはりその場に行けば、誰かしらご近所さんがいて、地域のコミュニティーが保たれている感じがしていた。駐車場も整備され、営業時間も拡大し、品数も増え、確実に便利であった。
市場関係者には大きな転換点だったんだろうけど、母の「ちょっと市場いってくるね。」が、「ちょっとバローいってくるね。」に変わったくらいの変化に感じていた。

地元に馴染みはじめていたバローだったが、わりと近くにもっと大きな店舗ができたためか吸収されるかのように撤退してしまった。
そりゃそうか、と頭でわかりつつも胸にひっかかるものを感じた。

バロー撤退後、何年かは空き店舗のまま建物だけの状態に。
解体されてからもさらに数年、今でもまだ、ぽっかりと空き地が広がっている。
まるで時が止まってしまったかのようだ。
(もともと市場関係者の土地だったようで、権利者が多くなかなか土地活用の話がまとまらないとかなんとか。。真相はわからない。)

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空き地からは、アクトシティがよく見える。
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空が広い!気持ちいい!

ここは浜松駅に近くとても便利なこともあって、土地が売られて新しい人がはいってくることは少ないように感じる。建て替えられた家の表札を見ても同じ名字の場合が多いから、あぁ代替わりしたんだなと思う。
とはいえ、やはり高齢化により老人施設に入ったり亡くなったりで、空き家になってしまう家も増えているようだ。
とても小さな町だから、この広い空き地に新たな住人を迎え入れることが望まれている。
少しずつ不動産会社がまとめてくれているようだと、母から噂を聞き、この町もまた動き出すんだなと、どこかほっとした。

同時に、市場があったことを残したいとも思った。
これからこの町で新たな歴史を刻む子供達や今後増えるであろう住民は、きっと知らない。付近の住民の生活を支え、コミュニティの中心であった「市場」があったことを。

自治会は中島市場という昔の単位で動いているが、「市場」という町名はもう残っていない。
GW期間中に行われる浜松まつりには中島市場として参加することになる。「中島市場」の住人であるアイデンティティを一番強く感じられる時だけど、お祭りへの参加は任意だし、ワッペン購入をして保険に入れば他の町内に参加することもできてしまうので、友人の町内に参加するなんて人も多いはず(若い頃は私もそうだった)。


進学で上京してから20年以上が過ぎた。むしろ東京での生活のほうが長くなってしまった。
そんな私に何かできるんだろうか。
Uターンすることだろうか。青空市など何か思い出せるイベントを開催することだろうか。ふるさと納税だろうか。何かしら情報発信することだろうか。
もう町のシンボルはないけれど、町の記憶をつないで、みんなに愛される町でいてほしい。

久しぶりにゆっくりと実家の母と話し、とりとめもなくそんなことを思った。まとまりはないけど文字に起こしておく。


ところで、浜松市の江東地区愛称標識設置委員会がまとめた「江東のあゆみ愛称標識」、地元のことが知れてとても興味深かった。wikiにすら載っていない情報。とても貴重だ。
まさか近所に寄席があったり、呪いの?曰く付きの木があったりしたとは知らなかった。浜松市のデジタルアーカイブに載っていないようなので追加されるといいなと思う。

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私はデジタルアーカイブの中の1冊『輝くいなほ はたの音』で、曽祖父と祖父について知ることができてとても嬉しかった。誇らしかった。
地元について改めて興味を持って、町の維持発展について考えるようになれた。そんな人が増えるといいなと思う。

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