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原書のすゝめ:#12 The Adventure of the Western Star

アガサ・クリスティの作品は、長編小説66作、中短編が156作、戯曲15作、だそうである。

実は情報元によってやや数字が異なっているのだが、まあ、多少の誤差があったとしても構わないと思う。いずれにせよ、作品数が多いことには変わりはないのだから。


ある日曜日の朝、突然クリスティの全作品を原書で読もうと思い立った。

何かきっかけがあったわけではないけれど、ストラットフォード・エイボンでセールになっていたポワロコレクション(短編50作収録)を購入したきりずっと読まずじまいになっていたから、そろそろ読み始めてみようと思ったのである。

そして、どうせ読むなら全作品を読んでみようという、無邪気で無謀な好奇心に駆られてしまったというわけだ。

ところが、である。
ここで最大の難問が立ちはだかる。
読むのはいいが、一体どこから手をつければよいのか、という問題だ。

これだけ作品があると、読む順番がわからない。
作品のタイトルすら全部知っている訳ではない。

そこで、手始めに調べ得る限りのタイトルを書き出してみた。そして、リストを見ながら、シリーズごとに長編と短編を織り交ぜながら刊行順に読んでいくことに決めた。各作品は基本的に独立しているので時系列にこだわる必要はないかもしれないが、そのほうが既読と未読の区別がつけやすいし、クリスティの足跡を辿ることもできるのではないかと考えたからだ。


まあ、こんな具合に私はアガサ・クリスティという広大な海原へ、いつ難破するとも知れぬ長い航海へ乗り出したのだった。

記念すべき長編第1作はすでにご紹介したので、ここでは同じPoirotポワロシリーズの短編6作目となる作品をご紹介しようと思う。

まずは冒頭の書き出しである。


The Adventure of the Western Star

I was standing at the window of Poirot’s rooms looking out idly on the street below.
‘That’s queer,’ I ejaculated suddenly beneath my breath.
‘What is, mon ami?’ asked Poirot placidly, from the depths of his comfortable chair.
‘Deduce, Poirot, from the following facts! Here is a young lady, richly dressed—fashionable hat, magnificent furs. She is coming along slowly, looking up at the houses as she goes. Unknown to her, she is being shadowed by three men and a middle-aged woman.(以下略)



おや?と思われた方もおられたかもしれない。

この書き出し、どこかで見たような既視感がある。窓際でヘイスティングス大尉とポワロが人間観察をする場面。これは、まるでホームズとワトソンの会話のようである。

クリスティは、コナン・ドイルの大ファンだったというから、彼女がそれを意識しなかったとは考えにくい。以前、洋書バーゲンでクリスティのAutographieを買ったので、折を見て読んでみようと思う。ひょっとしたら答えが見つかるかもしれない。

さて、こんなふうに始まる『西洋の星盗難事件』であるが、原作とデヴィッド・スーシェ演じるポワロのドラマは、本筋を除くと大幅に異なっていることが今回初めて分かった。

クリスティは映像化にあたり注文が厳しかったらしいが、デヴィッド・スーシェのポワロだけは、えらくお気に入りだったという話も聞いたことがあるので、きっと原作に忠実なのだろうと勝手に思い込んでいた。ミステリ作品としては、残念ながらドラマの方が仕上がりは上だと思う。
少なくとも今のところは。

Déjà vu (デジャブはフランス語なのです)を感じた箇所はもう一つある。

‘The great diamond which is the left eye of the god must return whence it came.’
(マーベル嬢)

‘…According to this, the stone was once the right eye of a temple god.’
(ヤードリー卿夫人)


二人の話によれば、マーベル嬢所有の「西洋の星」は神像の左眼に、ヤードリー卿夫人の「東洋の星」は右眼に嵌められていたということだ。どちらも大粒のダイヤモンドであるが、この話はWilkie Collinsウィルキー・コリンズの『The  Moonstone』(『月長石』)』にそっくりである。

クリスティの短編は、長編に比べると見劣りするという評価を何処かで読んだような気がするが、原作を読んでみて、たしかにそのとおりだと思った。少なくとも今のところは。

とはいえ、ミステリとしての完成度を問わなければ、ポワロやヘイスティングス、ジャップ警部などの登場人物に助けられて、コミカルで面白い作品になっているから、読んでみる価値は十分にあると思う。

私はデヴィッド・スーシェのポワロが大好きで、テレビ放映だけでは飽き足らず、DVDまで購入してすでに何十回と見ているのだが、原作は長編3編を除いて全く読んだことがなかった。

こうして原書を読んでみると改めていろいろな発見が得られたし、英語そのものを楽しむことができたのも良かったと思っている。

たとえば、次のような表現がある。

I must have a finger in this pie.

「西洋の星」を持っているアメリカ人女優(ドラマではベルギー人となっている)マーベル嬢が、盗難予告を受けてもなおくだんの宝石をポワロに預けず、数日間滞在する予定のヤードリー邸に身につけて行くと主張したことに対するポワロの発言である。

日本語なら「首」を突っ込むところだが、英語では「指」を突っ込んでいる。あえて部位を近づけるなら、「手出しをする」、だろうか。

もう一つ、ひと昔前のイギリス英語によく見かける表現。

‘…By Jove, though, if this goes through–‘

ヤードリー卿の台詞にある“by Jove”は、「おや、まあ」というような意味だが、最近の本でも時々見かけることがあるので、古めかしい言い方として今でも使われているのかもしれない。こうした英語表現を原書の中に見つけるのも楽しみの一つである。


ところで、ストーリーとは直接関係ないが、本文中に次のような箇所があった。

’Hoffberg, the Hatton Garden man, is on the lookout for a likely customer, but he’ll have to find one soon, or it’s a washout.’

The Hatton Garden はロンドンにある宝飾店街のことなのだが、これを見て、最近TVで『ハットンガーデンの金庫破り』というドラマがあったのを思い出した。実話を元に描かれたドラマという話だが、当時世間を驚かせたのは、強盗団が60〜70代の人生のベテラン層だったということだ。ニュースでもかなり話題になったようである。

↓こちらがそのニュース


ところで、クリスティを読むにあたり、「時系列読み」をしてよかったと思った点が一つある。

それは、以下の場面を読んだ時のことである。


マーベル嬢がポワロの事務所へ訪れ、

‘You will probably think me very foolish, Monsieur Poirot, but Lord Cronshaw was telling me last night how wonderfully you cleared up the mystery of his nephew’s death, and I felt that I just must have your advice.’

と言う。クロンショー卿というのは、短編1作目の『The Affaire at the Victory Ball 』(『戦勝舞踏会事件』)の登場人物である。

そのあとの場面では、ヤードリー卿夫人が、

‘ Of course! How stupid of me. You’re a friend of the Cavendishes, aren’t you? It was Mary Cavendish who sent me to Monsieur Poirot.’

と、ヘイスティングスにポワロの元へ来た経緯いきさつを話すのだが、メアリー・カヴェンディッシュは長編第1作の『スタイルズ荘の怪事件』に登場した。

これらの人物を知らなかったとしても話の筋に影響はないが、知っていると人間相関図が見えてくるので、作品に深みが出るような気がする。


さらに、クリスティ作品に挑むにあたり、こんな読み方も面白い。

↓Small Worldさんによる「手引書」


広大な海を冒険するのに、ナビは欠かせない。
自分なりの航路を新たに考えてみるのも面白いのではないだろうか。


水平線がはるか遠くに霞むアガサ海。
私の航海はまだまだ続く。


<原書のすゝめ>シリーズ(12)

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