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【創作童話】こぞうと将軍 〈其ノ三の三〉

<前回までのお話>
こぞうと将軍
こぞうと将軍<其ノ二>
こぞうと将軍<其ノ二の二>
こぞうと将軍<其ノ二の三>
こぞうと将軍<其ノ三>
こぞうと将軍<其ノ三の二>


* * *


城では、善次郎と誠之介が膝が突き合わせて話し込んでおりました。

すると、庭の方から犬の声がします。善次郎が縁側の戸を開けると、蘭丸が飛び込んでまいりました。

「おお!蘭丸ではないか!」
善次郎は蘭丸の首に紙縒こよりが結えてあるのに気がつきました。

急いで紙縒を開いた善次郎は、顔を歪めました。こぞうたちはなんとか逃げ出すことに成功しましたが、どうやら追手がかかっているようでした。
ことは一刻を争います。
善次郎は誠之助と目配せを交わすと、すぐさま行動に出ました。

「疲れたであろう。さあ、飯でも食え」
蘭丸にたっぷりと褒美をやると、誠之助は将軍の寝所へと向かいました。


一方、こぞうたちは刀を右手に構えた佐々矢木小次郎に睨みつけられて、すっかり震え上がっておりました。
するとそのとき、草むらから一筋の矢のように飛んできたものがおります。
なんと、それは武蔵丸でした。
武蔵丸は小次郎の右手に食らいついて放そうとしません。たまらず刀を落とした小次郎は膝を折りました。

「これ、武蔵丸、やめないか!」
こぞうは怖いのも忘れ、思わず小次郎に近づきました。そして、なおも腕を食いちぎりそうな勢いの武蔵丸をなだめて、ようやく小次郎の右手から引き離しました。小次郎は激しい痛みに唸っています。

「申し訳ありません、小次郎どの。傷口を私に見せてください」
こぞうが小次郎の右腕をとり、
「太郎さん、水か酒を持っておらぬか?」
と尋ねると、三人は顔を見合わせ、
「先ほど飲んだ水が最後じゃった」
と、三郎が言いました。
「そうか。このままでは傷口が化膿してしまう。どこかに川はないだろうか」
こぞうが辺りを見回すと、武蔵丸がしょんぼりと首を垂れております。
「いいのだよ、武蔵丸。お前は私を守ろうとしてくれたのだからね。ありがとう。でもね、人を噛んではいけないよ」
やさしく声をかけると武蔵丸は顔を上げて、くんと鳴きました。

「これを使え」
突然どこからともなく声がしたかと思うと、目の前に黒い覆面をした男が立っております。
「あなたは?」
驚いたこぞうが尋ねると、男は、
「俺は、右川五右衛門*だ」
と、答えました。
「な、なんじゃと!あの大盗賊の!」
びっくりした三郎が思わず腰の包みを抱えると、
「心配せんでもよい。俺はお前から物を盗ったりはせぬ」
と言ってカラカラ笑うと、竹筒の栓を抜き、こぞうへ差し出しました。
「これは阿剌吉アラキ*ではないですか!」
「そいつで傷口を洗うのだ」
「こんな高価な酒を…」
こぞうがためらっていると、
「急がねば傷口に毒が回るぞ」
五右衛門のいうとおりでした。そこで、こぞうは小次郎の右袖をまくり、酒で丁寧に洗いました。小次郎はその間ぐっと痛みをこらえております。

「これを」
五右衛門がきれいに洗った白手拭いを差し出すと、こぞうは慣れた手つきで小次郎の傷口に巻きました。
「これは応急処置にすぎません。すぐに医者に診せたほうがよいでしょう」
小次郎は、歯を食いしばりながら言いました。
「すまぬ、こぞう。もとよりおぬしらを傷つけるつもりはなかったのだ。召し取れとの命であったからな」
「誰からの?」
五右衛門が鋭い視線で小次郎の目を射抜きました。小次郎も流し目に妖しげな光を湛えながら見返しました。


そのときです。
どこかで人の叫ぶ声がしました。
「助けてくれ!誰か、誰か!助けてくれ!」
耳を澄ますと、叫び声は林の奥から聞こえてきます。

こぞうたちは全員、声のする方角へ走り出しました。

すると、そこには、男が二人、大木に結えられておりました。
よく見れば、一人は灰汁太郎、もう一人は八百やお長右衛門ちょうえもんです。しかも二人の回りには十匹ほどのマムシがとぐろを巻いているではありませんか。
二人とも真っ青な顔をして叫んでおりましたが、こぞうたちの姿を見るとさらに青くなりました。

「なんとまあ、灰汁太郎じゃないか」
太郎が呆気に取られていると、次の瞬間、鎌首をもたげていたマムシが勢いよく飛びかかってきました。
同時に、小次郎の刀が閃いたかと思うと、あっという間にマムシは真っ二つ、はらりと草むらに落ちました。武蔵丸は、間一髪の所で小次郎の刀に命を救われたのでした。

「ふむ。二刀流であったか」
五右衛門は、小次郎の左手の剣さばきに目をみはりました。小次郎はその視線に一瞬身を硬くしましたが、すぐに刀を構え直しました。そうして、残りの毒蛇をみな切り捨ててしまいました。

すると、五右衛門は切られたマムシを次から次へ拾い上げ、その血を竹筒に流し込んでいきます。
「マムシの血は高く売れるのでな」
そう言って五右衛門は口角を上げました。そして、胴の方は黒い包みにしまい込み、
「マムシの肉は高く売れるのでな」
と、大きな声で笑いながらどこかへ去っていってしまいました。


一同はあっという間の出来事にすっかり驚いておりましたが、鶏の声にはっと我に返り、灰汁太郎と長右衛門のことを思い出しました。

「さて、こやつらをどうする?」
太郎がにやにやしながら言うと、
「このままにしておくわけにはいかぬだろう」
と、こぞうが言いました。

そこで、二人の縄を緩めて大木から解くと、再び両の手を縄で縛りました。二人とも青く、神妙な様子になっております。次郎と三郎がそれぞれの縄を握り、皆は林を後にしました。

ほどなく先ほどの本道まで戻った時、前の方から馬が駆けてくるのが見えました。
どうやら、善次郎のようです。

善次郎は小次郎の姿を認めて意外な顔をしておりましたが、
「皆、よくやったな」
と声をかけると、揃って町医者の大月玄沢*の元へ向かいました。


朝早い時間にもかかわらず、医者はこぞうたちを快く迎え入れ、小次郎の傷口の手当てを始めました。傷は思ったよりも浅く、数ヶ月もすればもとのとおり刀を握れるようになるとのことです。

小次郎が傷の手当てをしている間、こぞうたちは灰汁太郎と長右衛門に今回の事件の詳細を明かすように求めました。

灰汁太郎たちによると、本草所における薬の横流しは数年前に遡り、灰汁太郎が盗んだ薬を長右衛門が町で高い値をつけては売りさばいていたのだそうです。売上金は市中代官の業野内匠頭わざのたくみのかみと折半する代わりに、横領の目こぼしをしてもらっていたのでした。

話を聞いた善次郎は、二人に出頭するよう命じると、急いで城へ帰っていきました。


こぞうたちが診療所を出ると、外はすっかり明るくなっております。
「さて、小次郎どの、これからどうしますか?」
こぞうが尋ねると、小次郎はしばらく黙っていましたが、やがて、
「諸国遍歴の旅に出ようと思う」
と、ぽつり呟やきました。
「思いがけず世話になった、こぞう。礼を言う」
こぞうは、小次郎の涼しげな視線に合って幾分ほおを染めながら、
「どうか、ご無事で」
と、踵を返す小次郎の背中を見送りました。

するとそのとき、急に武蔵丸が駆け出して小次郎のあとを追いかけました。
「こら、武蔵丸、どこへ行く?」
三郎が驚いて叫ぶと、
「いいのだよ、これで」
こぞうは満足そうに二人の後ろ姿を眺めています。
「武蔵丸は小次郎どのの用心棒を立派に務めるだろう」
四人は、小次郎と武蔵丸の後ろ姿をいつまでも見送りました。


さて、東町奉行所では意地悪いけず灰汁太郎と八百長右衛門の沙汰が行われ、灰汁太郎は先般の罪に加え、脱獄とこぞう誘拐の教唆の罪に問われて懲役十五年の刑、長右衛門は懲役三年、罰金銀百両の刑が課されました。

そして、今回の件ではさらに市中代官の業野内匠頭も収賄の容疑で捕えられました。


ところが、業野内匠頭は何を問われても知らぬ存ぜぬの一点張り。
そこへ、町の寄力よりきが内匠頭の屋敷で見つけた帳簿を証拠として提出しました。しかし、帳簿はどうやら符牒で書かれているらしく、これだけでは取引内容を読むことができません。このままでは証拠不十分で釈放になるというまさにそのとき、将軍の内伝中うちてんちゅう係が証拠と称してもう一冊の帳簿を持ってきました。

二冊の帳簿を合わせると、あら不思議、文字が組み合わされて、勘定がすっかり読めるようになりました。
「なるほど、考えたな、内匠頭。お前と長右衛門でそれぞれに帳簿を持ち、長右衛門が寝返ったり捕まったりした場合に備え、足がつかぬようにしたか」
天岡越前守あまおかえちぜんのかみは恐れ入ったとばかりに膝を打ちましたが、内匠頭はさっと青ざめました。
「どこでそれを?」
と、将軍の内伝中係のほうを見ましたが、もうそこに姿はありませんでした。


「それでは、証人をここへ」
越前守が言うと、沙汰部屋へ一人の男が連れて来られました。
それは、老中寝耳水野只邦ねみみにみずのただくにでした。
内匠頭と目があった老中は、
「もう、すべて終わったのだ」
と、力なく肩を落として呟きました。


「おのれ!」
業野内匠頭は鬼のような形相で顔を真っ赤にすると、
「全部燃やせ!」
と、大声で叫びました。
その恐ろしい怒声に一同はしんと静まり、やがて奉行所の外が騒がしくなりました。
「何事だ?」
越前守は寄力に様子を見てくるよう命じました。


しばらくして戻ってきた寄力が、
「大変です!業野内匠頭の屋敷が燃えております!」
と、慌てて奉行所へ駆け込んで参りました。
「なんだと!」


内匠頭の屋敷の回りにはすでに町衆が群がっております。
騒ぎを聞きつけたこぞうたちも屋敷から大きな火柱が立つのを呆然と眺めておりました。そのとき善次郎が、
「こっちだ!」
と、こぞうの袖を引っ張りました。

善次郎に引きずられるようにして屋敷の脇に回ったこぞうは、めらめらと燃えている小さな小屋の中に小黄しょうおうが積まれているのを見つけました。

「あんな所に隠しておったのだ」
善次郎はつぶやきました。そして、こぞうの方へ向き直ると、
「小黄の件は、誠に残念であった」
と、頭を下げました。それを見たこぞうは慌てて、
「よいのです、善次郎さま。これでよいのです」
こぞうは、まっすぐ善次郎の目を見据えて言いました。
「此度は、高価な薬をめぐっていろいろなことが起きました。もはや万能薬などない方がよいのかもしれません」
善次郎は静かに目を伏せると、
「将軍さまがお前に話したいことがあるそうだ」
と、言ってこぞうを城へ案内しました。


「やあ、こぞう。此度は大変だったな」
将軍はすまなそうな顔をして言いました。
「実はな…」


将軍がこぞうに語り始めます。


将軍の話によると、薬の横領の黒幕は府内の役付であるという情報があり、城内での様子をこっそり誠之助に探らせていたのだということでした。その結果、さきの老中会議で寝耳水野只邦が将軍にこぞう誘拐の件を伏せ、密かに動いていたことがわかったのです。

只邦は、業野内匠頭に博打の借金の件で強請られており、金を融通するかわりに本草所の薬の横流しを要求されたのだそうです。灰汁太郎が薬を盗み出すのに手を貸し、薬草園から小黄を盗み、灰汁太郎の脱獄の手筈を整えたのも老中でした。


また、内匠頭は寝返る可能性がある八百長右衛門を密かに捕えて自分の屋敷に閉じ込め、長右衛門が夜逃げをしたかのように見せかけると、その隙に長右衛門の屋敷にあるはずの帳簿とウルエスの調合書を探させました。結局どちらも見つからなかったため、灰汁太郎を使ってこぞうからウルエスの調合法を聞き出し新薬開発を目論みましたが、これにも失敗した内匠頭は隣府の役人と謀って二人を始末しようとしたのでした。

「なんということでしょう」
こぞうは、ことの顛末にすっかり驚いておりました。
「実はお前に謝らねばならぬことがあるのだ」
将軍が神妙な顔をすると、善次郎が頷いてあとを続けました。

「将軍さまは此度の黒幕を暴くため、わざと仮病を使われたのです」
善次郎の話では、将軍はこぞうの誘拐を事前に予測していたということでした。

「なぜなら、ウルエスの調合書は余の手元にあるからだ」
そう言って将軍は、ひらりと調合書をこぞうの前に差し出しました。
「右川五右衛門に盗ませたのだ。帳簿と一緒にな」
将軍は、いささかバツが悪そうな様子です。

「調合書を先に手に入れられれば、黒幕がお前を誘拐するに違いないと踏んだのだ。結局どちらも長右衛門が隠し持っておった。お前を危険な目に合わせてしまい、すまなかった」
将軍が頭を下げると、こぞうは慌てて、
「滅相もございません、将軍さま。私はこうして無事ですし、灰汁太郎たちも私を傷つけようとはしなかったのですから」
それでもなお頭を上げようとしない将軍に、こぞうは、
「はて、将軍さまは盗賊とお知り合いなのですか?」
と、尋ねました。
すると、将軍は顔を上げて、
「昔助けてやったことがあるのだ。今回はその恩を返してもらったまで」
と、顔をほころばせ、ニヤリとしました。
こぞうは一連の出来事にあ然としておりましたが、やがて思い出したように、
「そういえば、お花ちゃんが…」
と言うと、
「善次郎に先回りさせて城内に匿っておいた」

将軍は扇子をひらひらと煽ぎながら、今ではすっかり開き直っております。
こぞうはすっかり言葉を失ってしまいました。

そうしてやがて大きな声で笑い出すと、つられて将軍も笑いました。
善次郎も誠之助も笑い出しました。ついでに蘭丸も尻尾を振りながらくるくる回り始めました。



「あら、こぞうさん、また草粥を作っているの?」
表の戸を開けながらお花が尋ねると、
「うん。高価な薬の代わりに『薬食同源』を研究しているのだ」

そう言って粥をひと口すすると、渋い顔をしました。


<作者註>
*右川五右衛門:石川五右衛門ならびに石川五ヱ門とは関係ございません。
*阿剌吉:阿剌吉酒のこと。江戸時代にオランダから渡来した蒸留酒。なお本作は江戸時代とは関係ございません。
*大月玄沢:大槻玄沢とは関係ございません。



ー 完 ー


最後は大団円ということで、ようやくこのお話も完結です。
ここまでお読みいただいた皆さまには心より感謝いたします。ありがとうございました!


※このお話が埋まっている小さな沼はこちら↓


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