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【創作童話】こぞうと将軍〈其ノニの三〉

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*こぞうと将軍〈其ノ二〉
*こぞうと将軍〈其ノ二の二〉

* * *


さて、萬屋心身堂よろずやしんしんどう八百やお長右衛門ちょうえもんの話によると、薬は本草所の灰汁あく太郎が持ち込んだのだということでありました。

そこで今度は、本草所の灰汁太郎が東町奉行所へ呼び出されました。
東町奉行の天岡越前守あまおかえちぜんのかみが灰汁太郎に尋ねます。

「その方、猿を飼っておるな」
「へえ。確かに猿は飼ってはおりますが、それが一体どうしたというのでしょう?」
「実は、猿が城内の本草所より新薬を盗みだしたという報告が来ておるのだ」

それを聞いた灰汁太郎は驚いた顔をしながら、
「しかしながらお奉行さま、その猿がそれがしの猿であるとは限りませぬ」

そこで越前守が合図をすると、奥から腰に紐をつけた一匹の猿が連れて来られました。猿は灰汁太郎を見ると、嬉しそうに駆け寄っていきました。
「これはお前の猿に間違いはないな」
「へ、へえ、確かに間違いございません。しかし、恐れながら申し上げます。一体どうして猿が新薬を盗むことなどができるでしょうか?」
「なるほどな。その方の言い分はもっともである。それでは、今からそれを確かめてみようではないか。これ、例のものをここへ持って参れ」

すると、寄力よりき*が二人、それぞれに袋を乗せた膳を持って灰汁太郎の前に置きました。

「右側の膳には新薬の袋が、左側の膳にはただの草が入っている。お前の猿がどちらを選ぶか試してみようではないか」

腰紐を持ったもう一人の寄力が猿を膳の前に連れてくると、猿は迷わず右の膳の袋を掴みました。灰汁太郎は真っ青になって、
「お奉行さま、これは何かの間違いでございます。ただの偶然に違いありません」
と、必死になって訴えました。
「ふむ。たしかに一度の試しで決めつけることはできぬ。では、もう一度別の膳を持って参れ」

寄力が先ほどの二つの膳を引いて、別の膳を運んできました。
「さて、今度は左側に新薬の袋、右側にただの草が入っておる。どうじゃ?」
すると猿は、二つの膳を見比べてから、右側の膳の袋を掴みました。

灰汁太郎はほっとして胸を撫で下ろすと、
「これで私の疑いは晴れたことと思います、お奉行さま」
と、口の端に安堵の笑みを浮かべると、満足気に顔を上げました。

ところが、天岡越前守は神妙な顔になり、
意地悪いけず灰汁太郎、お前を新薬窃盗の疑いで禁錮六ヶ月の刑を申し渡す」
と宣告したのです。

驚いたのは灰汁太郎です。一体何が起きたのやらさっぱり分かりません。

「お奉行さま、これは一体どういうことでございましょう?私の猿は新薬ではなく、ただの草の袋を選んだのですよ。窃盗の罪などとんでもないことでございます」
「灰汁太郎、お前は本草所に勤めて何年になる?」
「へえ、かれこれ十年ほどになります」
「では、本草学にも詳しいはずであるな。『サルナシ』のことは知っておるであろう」

それを聞くと、さっと灰汁太郎の表情が変わりました。

「証人をここへ呼べ」

奉行に呼ばれて入ってきたのは、こぞうでした。
「さて、こぞう、このカラクリについて説明するがよい」

こぞうは灰汁太郎が後ろ手に縄を結ばれているのをちらりと見ると、気の毒そうな顔をしながら説明を始めました。

「『サルナシ』というのは、マタタビ科の木にございます。栄養価が高く、疲労回復や整腸、補血などに効能がありますゆえ、園芸所の脇に一本植えておるのです。ところが、猫にマタタビと申しますが、このサルナシにもマタタビと同じ成分が含まれているため、猫がサルナシの樹液を嗅ぐと、酔っぱらったような症状を引き起こします。城内におりますおむすびも、この樹液のせいで、よくサルナシの木に身をこすりつけております。見ると、サルナシの木には幾筋もの傷が刃物でつけられておりました。おそらくこのサルナシの樹液を新薬の袋に擦り込んで、猿が持ち去る時の目印にしたのに違いありません。先日おむすびが新薬が入っていた引き出しを引っ張り出したのも、サルナシの匂いが残っていたからでありましょう。」
「なるほど。それゆえ、新薬の場所を入れ替えても猿は薬を見つけ出し、樹液のついた袋だけを持ち去ったというわけだな」
「さようでございます」

越前守は灰汁太郎のほうを向き直り、
「というわけだ、灰汁太郎。さきほどその方の猿が選んだ袋には、実はどちらもサルナシの樹液がすりこんであったのだ」

灰汁太郎は頭を下げたまま青ざめておりました。

「ところが、さらに問題があるのだ」
そう言って、越前守は右側の膳の上にあった袋を開くと、中から茶色の粉をとりだしました。
「実を言うと、この袋は新薬のかわりに本草所の百薬箱へ入れられていた偽物の袋である。この偽の袋の中身を毒捜研の花岡清州*先生に調べてもらったところ、「ワライタケ」であることが判明したのだ。ワライタケは売ることはおろか、栽培すら禁止されている危険な毒キノコであることはお前も承知しておるであろう」

灰汁太郎は、いまでは死人のように真っ青な顔をしております。

「さきほど、お前の家からワライタケの粉末が見つかったのだ。さらにその奥の小屋からは天日干しをしているワライタケも見つかっておる。何か申し開きすることはあるか」

灰汁太郎はうつむいたまま、もはやこらえきれず、涙を流しながら嗚咽をあげ始めました。

「窃盗の罪に加え、毒物栽培取締法および毒物劇物麻薬取扱法違反につき、あわせて十年の刑を申し渡す」

天岡越前守は本件の沙汰を言い渡すと、灰汁太郎を牢へ引っ立てるよう命じました。その様子を見ていた市中代官の業野内匠頭わざのたくみのかみは、そばにいた家来に何事か耳打ちすると、そっと東町奉行所から立ち去っていきました。


さて、新薬盗難の犯人が捕まったという報告は、さっそく将軍のもとへ知らされました。それを聞いた将軍は、本草所へ赴いてこぞうを脇へ呼ぶと、此度こたびの沙汰の詳細を尋ねました。

「そうか。万事上手くいったか。お前がワライタケに気がつかねば危ないところであったぞ」
「へえ。しかし、私も…」
「いや、あれは余がお前に命じてさせたことだ」
「しかし…」
「よいかこぞう。たしかに善次郎が萬屋心身堂の新薬の噂話を聞きつけてはきたが、本草所から持ち出したものであるとは証明できなかった。ゆえにお前に命じて残りの新薬を別の薬と入れ替えさせたのだ。犯人に盗ませて薬の追跡するためにな。案の定、灰汁太郎がその薬を八百長右衛門のところへ持って行き、足がついたというわけだ。その証拠に、その新薬を買った大商人たちが腹痛を訴えたのだからな。ところでこぞう、あの薬には何を入れたのだ?」
「へえ、甘草茶かんぞうちゃにチョットだけ*をちょっとだけ入れたのでございます。一時的に腹痛を引き起こしますが、一日もすれば排出されますゆえ、人体に影響はございません。しかし…」
「どうしたのだ?浮かぬ顔をしておるが…」
「恐れながら将軍さま、たとえ犯人を見つける手立てとはいえ、罪のない者たちに苦痛を与えてしまったことは、やはりよくないことではございますまいか?」
「ふむ。お前の言うことはわからぬでもない。しかし、あの薬を買った者たちは日ごろ贅沢三昧をして暴飲暴食に明け暮れておる大商人ばかり。それにな、今ごろは萬屋心身堂に多額の賠償請求をしておるであろうから、それで相殺じゃ。八百長右衛門もこれに懲りてまっとうな商売をしてくれるとよいのだが」
「それにしても、灰汁太郎は危険と知りながら、なぜワライタケなどを栽培していたのでしょう?」
「それはおそらく、こぞう、お前の評判を落とすためだ」
「私の評判を?」
「そうだ。灰汁太郎はこれまでも自らの出世の邪魔になる者たちに嫌がらせをして追い払っておったそうだ。ところが、なにぶん証拠がないゆえ、誰も手出しができなかったということらしい。本草所の新薬が劇薬であることが分かれば、処分されるのは必至。その責任をお前に負わせることで排除しようとしたのであろう」
「なんと恐ろしいことでしょう」
「うむ。なんともずる賢い奴じゃ」


その翌朝、将軍が決裁書に目を通していると、長い廊下を走ってくる音が聞こえ、慌ただしい様子で善次郎が駆け込んできました。

「申し上げます、将軍さま!」
「何ごとだ、善次郎。そんなに慌ててどうしたのだ?」
「は、じつは今朝ほど東町奉行所の寄力よりき道心どうしん*たちとともに萬屋心身堂に八百長右衛門を捕らえにいったのですが、店はもぬけの殻、どうやら昨夜のうちに逃げ出したものと思われます」
「なんだと!」
「現在寄力たちが家宅捜索をしておりますが、身の回りの品と高価な薬を持って逃げた様子でございます」
「ふむ。長右衛門が持ち出した物はそれだけか?」
「まだ全部は判ってはおりませぬが、少なくとも帳簿が一冊なくなっておるようです。それに、新薬の調合書と思われるものも見つかってはおりません」
「新薬の調合書…。もし長右衛門が持ち出したのでなければ、他所にあるということになる。いずれにしても行方が分からぬままということか」
「はい、今のところは」

すると、今度はそこへ城内見廻役じょうないみまわりやくの誠之助が血相を変えて、飛び込んできました。
「た、大変でございます!」
「どうした、誠之助。朝から何ごとじゃ?」
「園芸所の薬草園で栽培しておりました『小黄』が、根こそぎ盗まれました!」
「なんだと!それは一体いつの話じゃ」
「おそらく昨晩のことかと。薬草園では珍種や新種を栽培しておりますゆえ、一部の者を除いて入ることはできません。鍵がこじ開けられた様子はありませんので、鍵を持った人間が盗んだのではないかと思われます。現在確認をしておるところでございます」
「ふむ。小黄が盗まれたとなると、ウルエスの調合はもはやできぬということか」
将軍が頭を抱えていると、今度は内伝中うちてんちゅう係が東町奉行所からの親書を持って駆け込んできました。

将軍は親書を開くなり、立ち上がって叫びました。
「なんだと!牢中にあった意地悪いけず灰汁太郎が牢から抜け出しただと?」

将軍と善次郎、そして誠之助の三人は驚いて顔を見合わせました。


「これは一体どういうことなのだ…?」


<作者註>
*寄力:実在の役職、与力とは関係ございません
*花岡清州:華岡青洲とは関係ございません
*チョット茸:実在する植物ではございません
*道心:実在の役職、同心とは関係ございません


― おしまい ―


いつの間にやら『こぞうと将軍』の話も4話目となりました。
新薬の盗人がとうとう見つかり、これにて事件は一件落着!

え?この続きがどうなるのかって?
このお話が続くのか続かないか、それもまた謎…。


※このお話が埋まっている小さな沼はこちら↓



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