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<ロダンの庭で> 邂逅(上)

久しぶりに京の町を歩く。

京都駅から足の赴くままに路地を北へ東へ、朝食のためのカフェを探す。

ほんの数年前にはほとんど人通りがなかった路地を、外国人が歩いている。不思議に思って見ていると、どうやら民家を改装したと思われる宿が其処此処にあり、そこからぽろぽろと人間がこぼれてくるようである。

大型のホテルではなく、町屋風のこぢんまりとした宿を好む人が増えているのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、いつのまにか佛光寺まで来てしまった。

そこで、前回行きたかったカフェを思い出し、河原町を目指してまた歩く。
ところが、目当ての店があったはずの場所には別の店が澄まし顔でいる。

こうなると行き当たりばったりに探してもおられず、久しぶりに六曜軒でも行ってみようかと思い直してさらに北へ向かってぶらぶらと行く。

なんと、すでに満席である。

実はここに来るまでにもう一軒めぼしい店があったのだが、
「予約で満席だって」
と、店から出てきた女性が連れに話すのを聞いて私は素通りしたのだった。

できれば静かなところでゆっくり朝食を取ろうと、散歩がてらに人通りの少ない路地を選んだのだが、近頃の旅のキーワードが《隠れ家》になっているのか、小洒落た様子のこぢんまりした店はどこも満席か、昼時の客を狙って開店前。そんなわけで、いきなり朝食難民になってしまった。


こうなると、いつもの店しか思い浮かばなかった私は、並ぶ覚悟で三条河原町を右に折れた。進々堂の前にはすでに行列ができ、コメダ珈琲も見たところ満席である。

それらを横目に小川のような高瀬川を渡ると、ようやく小川珈琲店の前に出る。レジ横の椅子で案内を待っているのは、親子連れが二人だけ。それほど待たなくてよさそうだ、そう思ってレジに向かう。その間に待合席にいた二人は案内され、すぐに私の番が来た。

普段は一階のカウンターでコーヒーを頂くことが多いのだが、今朝は二階へ案内され、「お好きな席へどうぞ」と言い残して、若いウェイターは厨房へ消えた。

二階席があったのか。
今まで気づかなかったが、よくよく思い出してみると、たしかに外からも二階の席は見えている。私は、自分の間抜けさがかえって面白かった。


さて、どこへ座ろうかと見回すと、窓際には外国人夫婦が一組、ガラス窓を背にして向き合っている。右側には、緩くカーブした壁に沿ってソファーが張りついたテーブル席が並び、奥の席では四人連れの家族がメニューを眺めていた。

私はその二組の間の席を選び、壁を背もたれにしてソファーへ腰掛けた。京都駅から三条までの散歩だから、結構な距離を歩いたことになる。

まもなく注文を取りに来たウェイターに朝食のセットを頼むと、私は本を広げた。

そのとき、一つ席をおいた奥のテーブルから例の家族の会話が聞こえてきた。

「そんなに食べれる?」
「大丈夫。残飯は俺が処理するから。お前の残飯も俺が食うよ」

その瞬間、本を読んでいた私の思考が止まった。

残飯。

その言葉に、なぜか私は残酷な響きを覚えた。
この家庭では「食べ残し」のことを「残飯」と言うのか。


私は、ずいぶん昔に読んだ辺見庸の『もの食う人びと』という本を思い出した。たしかその中に、バングラデシュだったか、ホテルやレストランの客の食べ残しが一次残飯、その食べ残しが二次残飯、そして酸味がかなり強くなった食べ残しが三次残飯として人々に提供されるという、いわば食における消費ピラミッドのエピソードがあったように思う。


もちろん、残飯という言葉そのものには何の罪もないのだが、この家族が発した残飯という言葉に、どこか食に対する敬意が感じられない気がしたのは単に私の思い過ごしだったろうか。店の人が行き来する中、皿の上に残った食べものを「残飯」と呼ぶ声が何度も響き渡る。


複雑な思いに囚われていると、若い父親が、
「俺も、カフェ開こうかな」
と言った。
すると母親が、
「いいね。そういえばアイツがさぁ…」
と、後を続けた。

その先の会話はもう私の耳には届かなかった。
母親の隣でサンドイッチをほおばる小さな女の子は、こういう言葉の中で育っていくのだ。


心の中で、鈍い感情がとぐろを巻いた。
顔をあげて窓越しに高瀬川を眺めていると、不意にメールが届いた。

dekoさんからだった。
そこには、いつもの温かくて思いやりのある文章が、美しく丁寧な言葉で綴ってある。

私は、昨日のdekoさんとの邂逅を思い出した。


それぞれに学生時代を京都で過ごしたこともあって、dekoさんと私には共通点も多く、私たちの話は山々を染める紅葉よりも熱く燃え上がった。
岡崎、一乗寺、そして糺の森の連理の榊*を訪れ、最後は杯を傾けながら創作や言葉について飽かずに語り、夕餉を楽しんだ。


dekoさんの日本語はいつも美しい。
文章の隅から隅まで神経がかよっている。

私はdekoさんとの会話を思い出しながら、やがて言葉と言霊という思考の海に沈んでいった。


*連理の榊:dekoさんのオールド・クロック・カフェに登場する実在の木



<ロダンの庭で>シリーズ(1)

※このシリーズの過去記事はこちら↓





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