自分の人生の主人公は自分自身。
noteのオススメ記事にあがっていたので、
自分の人生に関して素人なりに考えてみる。
人生は自分で変えるもので、自分でつくるものであるのか?
人生は自分で変えるもので、自分でつくるものであるのか?
と自分自身に問う。
自分自身がどうかを考える前に、
当事者意識が希薄な人が多いと感じている。
自分の人生なのに自分の人生の当事者でない人が多い。
ボクは自分の人生の当事者である。
もちろん、物事に影響されてしまうし、
自分自身に流されてしまうこともある。
変えられているか、つくれているかを別として
自分の人生や自分のことは自分でコントロールしようと思うし、
自分でコントロールしたい。
自分でコントロールしきれないからこそ。
人生は孤独だ。
人生は孤独だ。
生まれる時ひとり
最期もまたひとり
だから生きているあいだだけは
小さなぬくもりや
ふとした優しさを
求めずにはいられない
みんなひとり 竹内まりや
と竹内まりやはうたっている。
ひとと向き合うから、自分自身では気付かない/気付けない自分に出逢える。
また、自分では気付かない/気付けない生きる理由・生かされている理由がある。
孤独は自由とのトレードオフで得ることが出来、
ひととの付き合いがあるからこそ、孤独を実感するのである。
孤独を悪者にするのは、孤独に恐怖している自分がいるからだ。
でも、結果としてひとそれぞれなのだと思う。
ひととの付き合いの中でストレスを感じる人も少なくないだろう
(親がいるから生まれるが)
ひとりで生まれ、ひとりで死ぬのだが、
ひとりではなかなか生きられない。
ひととの付き合いを経つのはこの現代なかなか難しいのである。
ウィズ・コロナ/ニュー・ノーマル(新しい生活様式)の中であっても
この本が近々出るようで、気になっている。
こんなnoteを書くぐらいだし、
買うし、もちろん読むよね。
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