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投下 時間

自分ではなく作品が中心になるっていう考え方結構しっくりきてしまった。どうあるべきかということを考えた方が、結構しっくりくる。当たり前のことをしっくりくるように(もっと言えば浸透するくらい)分解してしまうなんて魔法なのではないかと思う。この魔法を使うには、割とべき論が必要になってくることに気づいた。

毎日は同じだから、毎日はパラレルワールド。なんとなく同じ夢を見ているような錯覚で2020年を生きてしまったから、どうすればいいんだろう。始め感じた、ぼやっとした断絶が、濃淡はあれど日常になっていく。そうして2021年も過ぎてしまって、終わらせたくても終わらないのではなくて、新しい日常を仕方なく受け入れていこうとするのが、自然ではあるけれども、では、どうすればこれまでの月日の流れを感じていた感覚を持って行けば良いのだろうか。

無為に過ぎてしまったように感じる時間は、有効に投下されて、実は時計は考えられないほど早く過ぎたとか。

すぐ人は忘れてしまうし、認知なんて信用ならない。後知恵とか、早すぎてついて行けないからこそ湧いてくる。いつか役に立つのかな。脳をできるだけ使えば見えてくるものがあるので、良いと言って言い聞かせる。


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