なんのために働くのか
肌の調子が悪い。
このところ、家に寝に帰ってくるだけだからだろうか。
まだ人が残るオフィスをあとに、終電間際のホームを急ぎ足で電車に乗り込む。
家に帰ったらまずは腹ごしらえだ。残業中に食べたのはローカロリー仕様のコンビニおやつだけ。
出来合いの夜ご飯を口に運びながら、もう深夜であることをうかがわせるランキング形式のテレビ番組を眺める。そこからトレンドを汲み取るでもなく、ただのご飯のお供。
お風呂に入って化粧を落としながら、肌、こんなにざらついてたっけ、とショックを受ける。そういえば26歳の時、肌の曲がり角すごい勢いで曲がってったよなあ。体重もなかなか落ちなくなったし。
毎日の「働く」の間に考えるのはこんなことだけ。
なんのために、わたしは働いているんだっけ?
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働く目的はいろいろある。
その仕事が好きだから。
大切な人を支えたいから。
仕事を通して成長したいから。
自分が生きていくお金が必要だから。
でも最初から働く目的を強く意識して働き始める人がどれくらいいるのだろうか。
私たちのほとんどは働くことから逃げられない。学ぶタームが終わったら、自然に働くタームがやってくる。
よし働くぞ!と意気込んで新しい世界に飛び込む人もいれば、流れに身を任せて働き始める人もいる。
働くことと目的がきちんとリンクされている人もいるし、働くことに対峙して初めてなんのために働くのかを意識し始める人もいる。
働く目的がなんとなく周りとずれていると、モチベーションが保てなかったり、ずれていることに居心地の悪さを感じたりする。
周りに対しても自分と違う目的を持って働いている人を見つけると、つい批判したり、羨望の目を向けがちになる。
でも、その「なんのために働くか」自体、もっと自由でいいんじゃないか。
家族のために働くあの人も、自己実現のために働くあの人も、一生懸命に仕事をしている。
誰かの働く目的に対して物を申す権利なんて誰にもない。
あの人はこのために働いているからこういう仕事の仕方なんだ。
そんなフィルターは取り払って、フェアに、偏見なく仕事に取り組めて、評価されたら。
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だから、終電間際の電車に乗り込んで疲れて帰る「わたし」の働く目的も、なんだっていいのだ。
誰にも教えたくないカフェでコーヒーを飲むため、可愛い姪っ子にとびきりのプレゼントをするため、プロジェクトを終えた時の達成感のため、留学したいという密かな夢を叶える貯金のため。
なんのために働くか決めるのは自分自身。
目的がそれでいいのか、働きながら評価するのも自分自身。
目的も仕事も、変えたって、辞めたって、続けたっていい。
「あの人攻めてるね」「守りに入ったね」
なんて、自分のエネルギーに変わる言葉じゃなければ聞き逃したっていい。
なにが大切かなんていうのは自分で決めることだから。
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