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毎日noteの苦悩

noteを毎日書くことで、わたしは一体何が得たいのだろう。

こうやってなかなか書く気にならず、寝るギリギリまで伸ばし伸ばしにしてしまった日にこそ考える。

noteを書き始めたきっかけは、会社を辞めて留学した時のことの出来事とその時感じたことと考えたことを書き留めたかったから。

そうすることで、その時は悲しかったり、悔しかったりだった感情を、言葉にして浄化させたいんだと思う。過去の自分のデトックス。

毎日更新を始めてからは、それ以外のことも書くようになった。

今の自分に対して、今まで考えてきたことを過去の出来事と絡めて、励ましのような言葉を綴る。残念ながら負の淵に落ちている時は、全然入ってこないのだけど。自分で自分に言っていることだからなおさら。

「何かを得たい」と考えること自体、間違っているのかも、とも思う。

文章を書くのが好きで書いている。それだけでいいじゃないか。

でも読んでもらえると嬉しいし、もっと誰かに響く文章を書きたい。

毎日書く、という縛りに苦しむときもたくさんある。書こうという気が起きない時にも書くなんて、「好きで書いてる」に対する矛盾なんじゃないか。書くこと以外にも時間を費やしたいことだってあるじゃないか。それに一日の終わりに書く文章は自分が納得するクオリティなのか。本当はこれが書きたい、と思っていても気力と相談してNGを出してる日もたくさんあるじゃないか。

それでもこれをやめてしまうと、せっかく積んできたもの、文章を書き習慣だったり、毎日何かを続けるという挑戦だったりが、崩れ去ってしまう。それが怖い。

毎日やっていてよかったと思える日が来るのだろうか。それともそんな期待はそもそもお門違いで、違う視点でこのルーティンを捉え直すべきなのだろうか。

こうやって困った時は、いつになく素直になる。

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