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結局は、「今」しかない

不意に覚えのある匂いが鼻腔をくすぐった。思わず条件反射でもう一度、まわりの空気を吸い込む。

今うしろを通った、あの人と同じ、知らない誰かの香水。

脳裏で再生されるオレンジ色がかった記憶は懐かしく、あたたかく、甘苦くて、そして切ない。

切なく感じるのは、ちょっと心が弱ってるからだろうか。

そんなことを考えだすと、感情の波が押し寄せて来て、少し泣きそうになる。

その匂いをかき消すように、コーヒーの香りが漂ってきて、ふと我に返った。

パソコンの前に座っている自分の存在を自覚して、今自分が向き合うべきことがあることを思い出す。

あの頃の方がよかったなんて、昔に想いを馳せてしまうここ最近の心の機微は、動けず立ち止まっている証拠。

"より良い"未来を夢見てきった舵を切った船は、思い描いたようにうまくは進まず、行く先を失っている。

気持ちを立て直すための方程式がうまく働かないときは、何をすべきなのだろう。

今住んでいる場所の冬に同じく、望んでいたよりもずっと長い人生のスランプ。

「人生の迷子」

そんなこと、三年前のわたしも言っていた。

その頃と今と比べてどうかなんていうのはきっと馬鹿げた疑問で、わたしの手の中には「今」しかないんだから、ひたすら今と向き合うしかない。

わかっている。わかってはいるのだけど。

今と向き合うことにすら腰の重さを感じてしまうこの症状になんと名前をつけよう。

楽な方に流される、そんな自分に嫌気がさしているのはわかっているのに、その嫌気にすら慣れてきてしまったのだろうか。

この流れを断ち切るためにようやく外に出てみてわかったのは、ふとした時にかすめる過去の記憶に引っ張られて、今の自分を見失いがちになるということ。

今座っているカフェで起きた現象のように。

過去に引き戻されて、思い出が感情を揺さぶって、ハッと現在に立ち返って、過去の余韻と現状の狭間で生じる感情の振り幅が大きくて、グラグラゆらゆら。その振り子はなかなか止まらない。

でもその振り幅を小さくできるのって、結局のところ「今」なのだ。

やっぱりひたすら今と向き合うしかない。

振り幅なんて感じないほどの今があれば、グラグラゆらゆらする余地なんてない。

今の自分が何がしたいか、どうなりたいか。

それを見出せれば、少しだけ光が見えるはず。

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