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【創作大賞2024】「友人の未寄稿の作品群」10【ホラー小説部門】

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未_空を飛ぶ のコピー


 人類が気球による初の有人飛行を成し遂げたのは1783年、フランスのモンゴルフィア兄弟でした。熱気球が初めて大空に浮かび上がり、人類は初めて地上を離れ、空を自由に舞うという夢を実現しました。
 それから120年後、ライト兄弟が飛行機による飛行を成功させたのは皆様もご存じでしょう。彼らの飛行機は、エンジンの力で飛び立ち、風を切って空を駆け巡りました。

 それからさらに100年経った現在、500人を載せた大型旅客機が私達の住む街の、遥か上空を飛び交っています。
 ボーイング社やエアバス社が開発した最新の旅客機は、複合材料を多用することで軽量化を実現し、燃費効率を飛躍的に向上させています。エンジン技術も進化しており、ジェットエンジンの効率性と静粛性が大幅に改善されています。これにより、長距離フライトの快適性が増し、二酸化炭素の排出量も削減されています。
 また近年は空を飛ぶ車や、両手にジェットエンジンを取り付けて飛ぶジェットスーツなどの開発が着々と進んでいます。空飛ぶ車は、電動垂直離着陸機(eVTOL)として開発され、都市間の迅速かつ効率的な移動手段となります。一方、ジェットスーツは、小型のジェットエンジンを用いて人間が空を飛ぶ技術です。
 これらの技術が実用化される日も、そう遠くないかもしれません。

 しかし、誰しもが生身での飛行を成し得ていません。人間には翼がない。羽がない。神は私に飛ぶための器官を授けてはくれませんでした。
 人間が生身で飛ぶためには、いくつかの生物学的制約を克服する必要があります。鳥や昆虫のように飛ぶためには、非常に強力な筋力と軽量な骨格が必要です。人間の体はこれに適していないため、飛行には補助具や技術の助けが不可欠です。

 私は幼い頃、蝉の羽化を見ました。小さな容器に収まる艶やかな塊。その中心に亀裂が入り、次第にしわくちゃの布が姿を表す。白い命が徐々に赤みを帯び、羽を瞬かせる。何時間も、何時間も畳に腹をつけその経過を眺めていました。真っ黒な瞳で出口を見据えた蝉は、その生に感謝をするように一鳴きし、私の前から去っていきました。

 私にとっての自由を見つけました。三次元に広がるこの世界に、地に足を固着させて生きている今がとても狭苦しく感じたのです。


 私は、空を飛びたい。


 いても立ってもいられなくなった私は、さまざまなことを試してみました。鳥類や昆虫類の体の構造を調べたり、塀の上から飛んでみたり、腕を翼のように広げることはできないものかと、万力に腕を挟んで潰しかけたり(もちろん父親にしこたま叱られましたが)しました。どれも無駄なことでした。初めて人類が空に一歩踏み出してから200年、未だ誰も到達していない領域に、そこらの子どもが到達できるはずもありませんでした。

 ある日、夢を見ました。空を飛ぶ夢です。それは、ただ単に空を飛ぶというよりも、滑空する感覚に近いものでした。夢の中で私は、広大なグランドキャニオンのような壮大な景色の中に立っていました。目の前には、高く聳え立つ巌があり、その頂上に立つ私の足元からは、広がる渓谷が見渡せました。

 その巌の先端に立った瞬間、私は胸に風を受ける感覚を感じました。強い風が私の体を包み込み、翼を広げた鳥のように、私はゆっくりと足元を離れ、宙に浮かび上がりました。地上へ向かってゆっくりと滑り降りる感覚は、まるで空気の流れに身を任せるような心地よさでした。

 空気の冷たさが頬を撫で、風の音が耳元でささやく中、私は地上へと滑空していきました。眼下には、険しい岩肌が広がり、その合間を縫うように川が流れていました。太陽の光が岩壁に反射し、美しい光景を作り出していました。滑空している最中、私はまるで鳥になったかのような感覚を覚えました。手を広げ、風を切って進む感覚は言葉にできないほどの解放感と喜びをもたらしました。

 ゆっくりと降下しながら、私は周囲の景色を堪能しました。遠くには、同じようにそびえ立つ巌が連なり、その間を流れる川がきらきらと輝いていました。緑豊かな木々が点在し、自然の壮大さと美しさを感じさせました。滑空の最後には、柔らかな草原に降り立ち、風に揺れる草の感触を足元に感じました。

 この夢は、私にとって特別なものでした。私は、自由に空を飛ぶことの素晴らしさを改めて感じたのです。

 私は気付きました。この世界で空を飛ぶことは非常に困難であるが、しかし世界が違えば夢を叶えることができるのではないかと。夢と現実の境界は時に曖昧になります。特に、夢が非常に鮮明で現実的である場合、その影響は現実の生活にまで及ぶことがあります。私は夢の中で空を飛ぶ体験を通じて、自分の中にある潜在的な欲求や恐れに気付きました。


 そうして私は、私の中に、私だけの世界を作ることにしたのです。

 私たちが見ている世界は、実は脳が映し出す虚像に過ぎません。私たちの目に映る風景や色彩は、すべて脳内で処理され、認識されるものです。
 例えば、世の中には色覚異常という病気を持つ方々がいます。色覚異常を持つ方々の目には、多くの人が見ている色とは異なる色が映ります。赤と緑が見分けにくい、あるいは特定の色が全く見えないといったケースがあります。
 しかし、これらの方々にとって、その見え方が彼らの「正常」であり、「正しい世界」なのです。

 つまり、私たちが何を「現実」として捉えるかは、脳の認識次第であり、人それぞれ異なるのです。同じ物体を見ていても、その色や形、質感に対する認識は個々の脳によって異なる可能性があります。
 脳は、外部から受け取った情報を元に現実を構築し、私たちに「これが世界だ」と認識させているのです。

 このように考えると、私たちが見ている世界自体が一種の虚構であるとも言えます。もし私たちの脳が異なる情報処理をしていたら、全く異なる世界が見えることでしょう。これは、まるで一人一人が異なる「現実」を持っているかのようです。
 実際、私たちが感じる痛みや喜び、恐怖や安心感もすべて脳内で生成されるものです。これが、私たちの認識する「現実」の本質です。

 私の中にある、私だけの世界も同様です。他人にとっては虚構であっても、私にとっては紛れもない現実です。私の意識と無意識が創り上げた独自の世界であり、私にとってはそこに存在するすべてが真実です。
 他人から見れば、それは単なる空想や幻想に過ぎないかもしれません。しかし、私にとってそれは現実であり、その中で私は自由に生きることができるのです。

 この考え方を理解することで、私たちは他人の見ている世界や感じている現実を尊重することができます。私たちそれぞれが持つ「現実」は、他人には理解し難いかもしれませんが、その人にとっては確固たる現実なのです。


 私がここで紹介するのは自分の世界を作る方法、そしてその世界で自由に空を飛ぶ方法です。ただし、それは何でも自由自在に操ることができる世界とは思ってはいけません。
 特に、他人に干渉するものはご法度です。他人の行動や思考を操作しようだとか、死んでしまった人を蘇らせようだとか。そこに存在する人々は、あくまでもその世界の理に則って存在しています。変えることができるのは自分だけです。
 私の世界ではありますが、私は神ではありません。

 始める前に、まずは静かな環境を整え、リラックスをすることが必要不可欠です。外部からの刺激を断つために、ドアを閉め、スマートフォンの通知音をオフにします。
 次に、体を快適な姿勢に調整し、深い呼吸を数回繰り返します。吸うときは鼻から深く息を吸い込み、吐くときは口からゆっくりと息を吹き出します。

 それでは始めましょう。

 目を閉じて、深呼吸を数回繰り返しながら、あなたの住む家を想像します。まず、家の外観を思い浮かべてください。家の形や色、周囲の風景、玄関前に広がる庭や道路の様子まで、できるだけ詳細に描写してみてください。次に、想像するのは、あなたの家の入口の扉です。

 扉の詳細を鮮明に想像します。扉の形は四角でしょうか、それともアーチ型でしょうか?扉の材質は木製でしょうか、金属製でしょうか?色は何色でしょうか?
 例えば、深いブラウンの木製ドアには、細かな木目が走り、触れると手に伝わる温かみがあります。ドアノブの形や材質も細かく想像してください。真鍮のドアノブは冷たく、しっかりとした重みが感じられるかもしれません。

 次に、その扉の前に立つ自分自身を想像します。第三者があなたを後ろから見ているように、その姿を思い描いてください。あなたがどんな服を着ているのか、髪型や表情まで詳細に想像します。
 あなたは普段着ているお気に入りのジャケットを羽織り、少し緊張しながらも期待に満ちた表情をしているかもしれません。足元には履き慣れた靴があり、地面には落ち葉が舞っているかもしれません。

 この自分自身の姿、それがあなたの器となります。つまりはアバターです。このアバターは、あなたがこの新しい世界で行動するための存在です。
 アバターの姿がはっきりとしてきたら、次は視点をアバターの中へと移してください。あなたは今、アバターとしてその場に立っています。

 目の前には扉、それが世界の入口です。扉の前に立つと、木の香りやドアノブの冷たさがリアルに感じられるでしょう。
 深呼吸をして、ゆっくりとその扉に手を伸ばし、ノブに触れます。手の感触を確かめながら、心を落ち着けてください。扉を開く準備ができたら、ゆっくりと目を開きます。

 そこはどこですか?きっと、目を閉じる前と同じ景色を見ていることでしょう。しかし、確実にあなたの心の中には扉が存在し始めているはずです。

 まだあなたは、あなたの世界の入口の前に立っただけに過ぎません。何度も何度も繰り返してください。時間や場所を変えて、寝る前でも構いません、何度も繰り返してください。
 するとある時、目を開けるとそこに、扉が現れるでしょう。やっとあなたは、新しい世界への一歩を踏み出すことができるのです。

 目を開いても扉がそこにあれば成功です。世界はあなたを受け入れました。ノブに手を掛け、中へと入ります。扉を開けると、そこにはもう一つの、あなたの世界が広がっています。

 玄関に足を踏み入れると、まずはいつも通り靴を脱いでください。靴を脱ぐと、家の中の温かさや床の感触が足裏に伝わります。これまでの自分の動作を忠実に再現することで、新しい世界に対する安心感が得られます。

 次に、家の中を一通り回ってください。リビングルームから始め、家具の配置や装飾品の位置を確認します。ソファの感触や壁に掛けられた絵画、窓から差し込む光の具合まで、すべてが普段と同じかどうかを確かめてください。
 リビングの次はキッチンです。調理器具の配置や冷蔵庫の中身、カウンターの上に置かれた小物まで、細かく確認します。

 続いて、寝室へと進みます。ベッドの位置や枕の配置、クローゼットの中にある服の並びなどを見てください。
 さらにバスルームやトイレも同様にチェックします。シャワーカーテンの柄やタオルの位置、洗面台に置かれた歯ブラシや石鹸の配置まで、普段と変わらないかを確認します。

 全ての部屋を巡り、扉という扉を開けて中へ入ります。クローゼットの中、引き出しの中、押し入れの中など、普段の生活で目にするすべての場所を細かく確認してください。
 そして、家の中のすべてが普段過ごす家と何一つ変わりがないことを確かめます。

 もし違う箇所があれば、玄関へ戻ります。扉の前に立ち、扉を3回ノックします。その後、再び振り返り、家の中をもう一度確認してください。
 全てが正しい位置に戻るまで、このプロセスを繰り返します。例えば、リビングルームのソファがいつもと違う位置にあったり、キッチンの調理器具が見慣れない場所に置かれていたりする場合、ノックを繰り返し、家全体が普段と同じ状態になるまでやり直します。

 このプロセスを何度も繰り返すことで、あなたの世界は徐々に安定してきます。相違がなくなれば、世界は完全に安定します。
 安定した世界では、現実のように生活することができ、さらには現実では不可能な体験をすることも可能です。

 この段階に至れば、あなたの世界と現実世界の間に強いリンクが確立されます。このリンクは、あなたがどの世界にいても安心感を与え、現実の生活に対してもポジティブな影響を与えるでしょう。
 世界が安定した今、あなたはこの新しい世界で自由に過ごすことができます。


 以降説明のために、あなたの普段住んでいる世界を現界、あなたの世界を私界と呼びます。

 現界との相違が無くなった家の中では、現界と私界との区別がつかなくなることに不安を感じるかもしれません。私界があまりにも現実に似ているため、どちらが本物の世界なのか混乱してしまうのです。
 この問題を解決するためには、私界に目印をつけることが有効です。相違を無くした現界と私界の間に、あえてひとつの相違点を設けるのです。それは、「人」がいいでしょう。それは、現界に存在しない「人」です。

 この目印となる「人」は、現界には存在せず、あなただけの私界にのみ存在する人物です。具体的に私界に配置する人物像を考えてみましょう。
 胸にかかる程の真っすぐな黒髪を持つ、17歳程の女の子が家の中にいると想像してください。背丈は160cmくらいで、少し目じりの下がった一重瞼、鼻筋の通った、唇の薄い女の子です。
 もし記憶にある顔を想像した場合は、その人とは違う人相にしてください。現界には存在しない、あなたの知り得ない女の子を想像してください。
 見たことのない、でもどこか懐かしさを感じる、そんな顔です。

 この女の子は、あなたの私界における目印となります。彼女が家の中にいることで、あなたは今私界にいることを確認できるのです。彼女は現界には決して存在しないため、私界と現界を明確に区別する手助けをしてくれます。

 彼女はあなたの私界の中で静かに存在し続けます。家のリビングに座っていたり、キッチンで何かをしていたり、時には庭で遊んでいる姿を見かけるかもしれません。彼女の存在が、あなたにとって私界であることの確かな証となるのです。
 彼女は時が経っても成長せず、そのままの姿を保ち続けます。これによって、あなたは私界にいることを常に認識できるようになります。

 このようにして、私界に特定の人物を配置することで、現界と私界の区別を明確にし、安心して私界を探索できるようになります。この目印は、私界の安定にも寄与し、あなたがどちらの世界にいるかを常に確認するための重要な要素となるでしょう。


 世界ができました。世界へ入り込むことができました。現界と私界を判別できるようになりました。あとは空を飛ぶだけです。

 準備は現界にて行います。玄関から出れば、いつでも現界へと戻ることができます。
 何度も家の扉を想像したように、次は「私は空を飛ぶ」と強く、常に念じてください。職場や学校にいる時も、食事をしている時も、歩いている時も、寝る時も、寝ている時も、常に、強く。

 夢がかなう瞬間は突然にして訪れます。ある時、私界へ足を踏み入れたあなたはふと、自分の足が地面から離れていることに気づくでしょう。
 最初は少し驚くかもしれませんが、すぐにその感覚に慣れてくるでしょう。一歩踏み出そうとしても、足は宙を掻きます。前に進むことを強く念じてみてください。
 すると、まるで見えない力があなたを前へと押し進めるかのように、スムーズに前進することができるでしょう。

 もっと高く飛びたいと念じれば、あなたは一層高く飛び上がることができます。もちろん、地面に降りたいと思えば、ゆっくりと下降することも可能です。着地の際もふわりと降り立ち、衝撃を感じることはありません。

 家の中では、彼女が静かに過ごしています。彼女はいつも通りの場所にいて、あなたが空を飛びながら家の窓を開けて外に出るのを見守っています。窓を開けると、そこには見慣れた景色が広がっていますが、空から見る世界は全く異なるアングルから見えるため、新鮮で驚きに満ちています。
 あなたは自由に飛び回り、地上では決して見られない光景を楽しむことができるのです。

 例えば、街の上空を飛び回りながら、日常の喧騒から解放された静かな空間を楽しむことができます。鳥たちと一緒に風を切って飛ぶ感覚は、言葉にできないほどの解放感と自由をもたらします。雲の間をすり抜け、太陽の光を浴びながら飛ぶ経験は、まさに夢が現実になった瞬間です。

 このようにして、あなたは私界で空を飛ぶことができるようになります。現界での訓練と強い意志を持ち続けることで、私界においてもその能力を発揮することができます。
 現界と私界の区別をしっかりと保ちながら、自由に空を飛ぶ喜びを享受してください。

 高いビルの屋上から飛び立つことも、雲の上へと到達することもできます。都市の高層ビル群の中で最も高い建物の屋上に立ち、足元の世界を見下ろす瞬間を想像してみてください。ビルの屋上から一歩踏み出すと、重力に逆らって空中に浮かび上がり、次第にビルの壁面が遠ざかり、風を切って上昇する感覚があなたを包み込みます。
 上昇を続けると、やがて雲の層を突き抜け、太陽の光を浴びる雲海の上にたどり着きます。雲の上から見下ろす世界は、まるで白い絨毯が広がる異次元のように感じられるでしょう。

 飛びながら眠る鳥の寝顔を見ることもできます。鳥たちが高空で翼を広げて滑空する姿は、自由そのものです。夜明け前の静かな空を飛びながら、眠る鳥たちのそばを通り過ぎると、彼らの静かな呼吸や、羽ばたきの音が微かに聞こえてきます。
 鳥たちの目が閉じられ、夢見心地で飛び続ける姿は、あなたにとって最高の飛行体験となるでしょう。

 あなたの世界で、あなたは空を飛ぶことができます。私の世界で、私は空を飛ぶことができます。それはあなたにとって、私にとって現実です。
 私たちの心が作り出すこの私界では、現界では決して味わえない自由と解放感が待っています。自分だけの空を飛び回り、地上の制約から解き放たれる瞬間を何度も繰り返し楽しむことができます。


 しかし、ここで強調しておきたいのは、現界と私界の違いです。現界と私界はどちらも現実であり、どちらも私たちにとって重要な存在です。しかし、現界では物理法則が厳然として存在し、人間が生身で空を飛ぶことは不可能です。
 決して、現界で空を飛ぼうとしてはいけません。高いビルの屋上で空を見上げ、そのまま飛び立とうとすることは絶対に避けてください。現界の物理的制約を無視すれば、重大な事故や危険が待っています。

 私界では自由に飛び回ることができる一方で、現界ではそのような行為は許されません。現界での私たちの安全と健康を守るために、私界での経験を現界に持ち込むことは禁物です。
 彼女は家の中にいません。彼女は部屋にも、トイレにも、風呂にもいません。


 ※悪用は厳禁でお願いします。


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