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掌編小説【薔薇喪失】

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美貌の公爵こと麗人薔薇柩による美と幻想への耽溺。 最も美しいものを失い、自らの美貌に処刑された貴公子の、優美な日常と殺伐の物語。 掌編小説。耽美小説。幻想文学。幻想小説。
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#耽美小説

掌編小説【薔薇喪失】32.麗人の首

掌編小説【薔薇喪失】32.麗人の首

 ──その交錯は、無音の斬首に似ていた。
 滑らかで鋭い刃が、首に、斬られたことを悟られないような、そんな鮮やかさだった。

 麗人は夜の繁華街を歩いていた。ダークスーツにの上に羽織った豪奢なファーコートを夜風と覇気でふわりとさせていた。オペラ座から帰ろうとしていたのだった。正装なのは、観劇のためだった。すでに醒めた高揚の残滓を吐息に乗せて、麗人は夜の威容を纏いながら、大股に歩いていた。帰ったら、

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掌編小説【薔薇喪失】25.美の宿命を忘れ去る土地

掌編小説【薔薇喪失】25.美の宿命を忘れ去る土地

 美しいものを見た。寒さの中、新聞に包まれた焼きたてのバケットを抱えて小走りになっている少女。彼女はきっと、もうバケットのことなど考えていなくて、温かいバケットを一緒に食べる誰かのことを考えながら家に帰る。
 美しいことを想った。雪の積もった道を、暖かな外套を着込んで危なげに自転車をこぐ老人。この寒いのに、彼は何処へ行くのだろうか。こんなに雪が降っているのに、今日どうしても出かけなくてはならない理

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掌編小説【薔薇喪失】24.夥しく心臓は滴る

掌編小説【薔薇喪失】24.夥しく心臓は滴る

 薔薇庭園(ゴレスターン)には、潤ったものがない。
 麗人は玉座に腰掛けて、長い脚を組んでいた。尖った顎を傲慢な角度に浮かせて、長い睫毛の影を青い明眸に落としては、影が刻んだ深淵に酷薄な光を宿している。麗人の前には、数人の人間が引き据えられていた。
 薔薇庭園の序列は、薔薇王である。その次に、古(いにしえ)の薔薇王が庭園の統治を委託した一族である『骨』の家系の人々が来て、薔薇である住人たちはその下

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掌編小説【薔薇喪失】23.淡くほどけて薔薇は触れる

掌編小説【薔薇喪失】23.淡くほどけて薔薇は触れる

 薄い花びらが、そっと離れた。離別の一刹那さえ惜しむように、花びらは再び、淡く触れる。柔い感覚だけを、重ねていく。触れ合っているのか、儚さが酷くて、危うかった。震える吐息を奪って生きている何かのように、淡いという言葉よりもほどけた密度の唇が、もう何度目になるのか分からなくなった口付けを重ねていた。言葉はなく、終わりもなく、愛と、悲しい想いを紡いでいた。幾重にも愛し合った唇は、触れ方が淡いのに濃密で

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掌編小説【薔薇喪失】22.亡霊王子は闇を演じる

掌編小説【薔薇喪失】22.亡霊王子は闇を演じる

 炎を見つめていると、意識が朦朧とし始めた。脚を投げ出していた先の泉は燃えながら、ゆらめきの中に美貌を映していた。ただ、溶鉱炉に投げ込まれたように、美は溶けて別の形をして燃えていた。過ぎたる美しさ、魔性の美貌は、概念と存在を炎に包まれて抽象化されている。見えるのは麗人の美貌ではなく、美しさという概念さえも解体した先にある中心定理めいた美のイデアだった。

(美しい……僕は、美しい……とても、とても

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掌編小説【薔薇喪失】21.青い血と昼間の亡霊

掌編小説【薔薇喪失】21.青い血と昼間の亡霊

 交差点の一帯には、白い闇が蟠っていた
 歪んだ現実の中で、歩く人々から闇が匂い立つ。喪服のような外套から、霧よりも細かい闇がほどけている。濃密な白っぽさが、黄昏とは違う色で、すれ違う人々の顔を隠していた。麗人は細かい闇に包まれた雑踏に紛れていた。何処にも存在しない、交差点だった。
 麗人は目を凝らした。闇の霧に隠れた人々は、透けて見える。粒子は細かいのに血のように濃密な霧の中に居ながら、灰色の影

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掌編小説【薔薇喪失】20.華麗なる脚本のルリユール

掌編小説【薔薇喪失】20.華麗なる脚本のルリユール

 大鎌の先端が毛皮のマントの端を刺した。逃れたマントは裂けて破れた。黒影に追われながら、ルイは重たい身体で走っていた。目的地はない。逃げられれば何処でもよかったのである。ルイを追いかけて来るのは死神の群れのように見えたが、群をなす者たちは奇怪な笑い声を上げて各々が持つ鎌や鉈、鉄棒を振り回している人間だった。死神が着ている服を模した黒いマントをかぶって、群れの数を増やしては追って来る。
 生まれ持っ

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