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(2024/08/27/火)広形銅矛②(考古学者の方に教えて頂いた事)



『展示会Ⅰ 海がつなぐ古代世界~対馬・西海・日向』の講演会の後、考古学者の方に『 広形銅矛ひろがたどうほこ 』ついて、解説して頂いた事。

 この記事は、先週の日曜日(2024/08/25/日)に、宮崎県立西都原考古学博物館で行われた、特別展に関連する講演会の後……

 特別展の展示スペースで、講演会で 登壇とうだん されていた考古学者の方にお伺いした事を、私なりに備忘録としてまとめました。

 私は、個人的に 祭器さいき 等の遺物が好きなので、今回解説して頂いた内容は、大変面白く、為になりました。

 その時の内容を思い出しつつ、まとめて行きたいと思います。

講演会当日、会場で頂いたレジュメです。
この日、講演会後に、対馬博物館の方に話をお伺いしました。




公演会終了後、展示スペースで考古学者の方に解説をして頂いた経緯。

 特別展に関連する講演会の終了後、特別展の遺物を見て帰ろうと思った為、展示スペースに行く途中(通路)で……

 先程、講演会で登壇されていた考古学者の方と、偶々、偶然会う事ができた為、今回の特別展で…『オススメの遺物は有りますか?』…とお伺いした所…

 『それなら 広形銅矛ひろがたどうほこ がオススメですよ。』…と、教えて頂き、その『 広形銅矛ひろがたどうほこ 』について、解説して頂く事が出来ました!

 ここでは、その時教えて頂いた事を、備忘録として残したいと思います…。

 私の個人的な解釈が多い為、今後、資料等を読み返してみたいと思います…。

詳しい写真については、下記の記事に十数枚UPしました。

(2024/08/27/火)広形銅矛①(写真のみ)




広形銅矛

 今回展示されている 広形銅矛ひろがたどうほこ 』は、輸入された青銅器をつぶして作られた作品で…

 国内で作られた広形銅矛のほとん どが、 長崎県対馬ながさきけんつしま に来ている様です。

 この広形銅矛は、主に九州の方で使われた様ですが、一地域から見付かっている物としは、対馬が全国で一番多く、130本弱見つかっているそうです。



対馬で広形銅矛が多く発見される理由として、考えられる事。

 何故、対馬で広形銅矛の出土が多いのか…?

 …と言う事は、ハッキリと、これだと言う答えと言うのは、まだハッキリと判らないそうです…。

 しかし、少なくとも、対馬の隣に有る 壱岐いき では、広形銅矛が3本しか発見されていない事から……

 対馬と言う場所が、かなり特殊な場所だった様です…。

 

 …又、考古学者の方の個人的な意見として…… 

 大量に広形銅矛が対馬で発掘される理由はハッキリしないのですが…

 恐らく弥生時代、九州の各国に、対馬を経由して、朝鮮半島や大陸の青銅器や鉄器等、様々な物を輸入する中継地点として…

 対馬が、今で言う卸問屋の様な役割を果たしており、大陸から物品を輸入する対価として、国内から当時貴重品であった広形銅矛が集まって来たのではないか?…と、思っています…

 と言う見解を話をして頂きました…。



広形銅矛の使われ方。

 現在、お祭りの道具である事は解っている様ですが、対馬での主な使われ方としては…

①、土の中にまとめて十数本埋める。
②、お墓の中に副葬する。 

 この、墓(石棺墓)の中に副葬品として埋葬されるのは、結構特殊な事例の様で、余り見られないそうです。

 広形銅矛については、勾玉等のアクセサリと同じ様に、貴重な威信財として使われていたり、まじない的な物…呪物と同じ様な扱いをされていた物だったと考えられる為……

 石棺に埋葬される様な、偉い人々の墓を中心に副葬品として埋められたのではないか…?

 …と言う事を教えて頂きました…。



広形銅矛の素材。

 この広形銅矛が作られた時代は、当時、国内で金属の採掘は行われていなかったと考えられていて……

 大陸から輸入された青銅器を 鋳つぶして溶かして 、鋳造を行っている様で…

 当時は輸入された青銅器を溶かしてリサイクルし、広形銅矛や、鏡等を作っていた様です。

 この青銅製品や鉄製品等、対馬が仲介役になって輸入しないといけない物だった為、対馬は非常に重要なポジションだった為…… 

 まじないの道具として使っている様な、精神世界を支える様な物として重要視されていた道具等が……

  貿易の対価お金の代わり として、この重要な物を渡したのでは無いか…?

 つまり、対馬が中継地点として活躍する機会が多かので、対馬に大量の威信財が残っているのではないか?
(威信財=現在のブランド品の様な物)


…と、言う事を教えて頂きました…。

 つまり…これら広形銅矛の材料は、対馬を経由して日本国内に流通した青銅器を鋳つぶした素材を材料にしていて…

 当時、日本国内に有った様々な国々が、新たな輸入品を入手する為の、貴重な対価(お金)として、広形銅矛と言う形で対馬に戻って来た(?)

 …と言う事でしょうか…?
(お伺いした事をまとめつつ、私が個人的に感じた見解はこの様な感じです…)



レプリカと実物の違い

 今回、公演の終了後に考古学者の方に、話をお伺いした事で…

 現在の技術で作られた広形銅矛のレプリカと…
古代の技術で作られた広形銅矛の違いについても、詳しく知る事が出来ました。


 現在の技術で作られた 広形銅矛レプリカ と、約2000前に作られた 広形銅矛ホンモノの大きな違いは…

ホコ に棒を刺す部分の穴を、 鋳造ちゅうぞうする時に作る事が出来ない』

 …と言うのが大きな違いだそうです…。

 

 この、レプリカの作成を依頼した時、業者の方に…

『割り型で、この製品の中央部分まで穴を開けた状態で作る事は出来ません』

 ……と、言われた…と、言う事を教えて頂きました。

 広形銅矛の中央に、穴を開けて鋳造できなかった理由としては、割り型の中央部分に、指より細い土製の棒を固定する必要が有るそうですが、現在の技術では、それを再現する事が出来ないから…

…との事でした。

 ですので、展示された広形銅矛のレプリカの場合は、鋳造後にドリルで開けたのですが、長いドリルが無かった為、浅い所までしか穴はあけられていない…

 なので、中央の穴が開けられていない分、レプリカの方が、本物よりも大分重くなってしまっている……

広形銅矛の後ろの穴の部分。
穴は、鋳造後、ドリルで開けられた様です。

 当時使っていた技術が、もう2000年経って失われてしまって…
それは、今の技術よりも、2000年前の方が進んでた…と、言う風に言えなくもない。

2000年前に作られた広形銅矛の穴。
三川の画像を見ると、茎の細い部分まで穴が開いているのが解ります。

 広形銅矛の作り方の技術までは復元できなかった…


 …と言う見解を、教えて頂く事が出来ました。




個人的な感想


事故で残ってしまった音声データー

 今回、先週の日曜日(2024/08/25/日)に、考古学者の方にお伺いした事を大まかにまとめましたが……。

 この文章は、講演会の解説を後から聞いて勉強する為、使っていたボイスレコーダーを、講演会後に切り忘れてしまい、たまたま残っていた音声を一部文字起こしを行い、それを更にまとめた物です…。

 この音声データーが残ったのは偶然だったのですが、そのおかげで、今回、備忘録として残す事が出来ました…。

 この事から、やはり、口頭で聞くだけよりも、音声で残す方が良いな~…と言う事を再認識する事が出来た出来事でした…。


広形銅矛を使って作りたい作品

 今回、この広形銅矛について詳しく教えて頂いた事で、新たな作品のヒントを得る事が出来ました…。

 特にこの広形銅矛は、当時の交易に関わる重要な遺物で……

 対馬を経由して、全国に流通した輸入品(青銅製品)が……

 まじないの道具として使っている様な、精神世界を支える様な物に形を変えられて……

 それが、何らかの形(現金の代わり?)として、対馬に帰ってきているのではないか……?

 …と言う部分が、非常に面白く興味深かったです。


 つまり…この、長崎県対馬で発見された広形銅矛とは…

 古い物を使って、新しく価値の高い物を作り、更に新しい物を入手する

 …と言う流れで残った物だと思うので、この流れその物を表現した作品を、一度、広形銅矛をモチーフとして、作成してみたいと思います。

 又、この流れその物を、今後、私が作る作品に、隠し味として入れて行きたいと思います。


考古学者の方へのお礼

 この、幅広銅矛に関する知識は、先週の日曜日(2024/08/25/日)に、宮崎県立西都原考古学博物館で…

 考古学者の方に貴重な時間を頂いた事で、得ることが出来ました…。

 この日、講演会後に、私の質問に答えて頂いた考古学者に教えて頂いた事で、講演会だけでは得られなかった広形銅矛に関する知識や…

 作品製作に使用する事が出来るヒントも得ることができました。

 ですので、今回、この講演会を開いて頂いた方々や、質問に答えて下さった考古学者の方に、心より感謝いたします。




記事を書くのに掛かった時間
2024/08/26/月~2024/08/27/火

公開日
2024/08/27/火/1225

最近はただの日記になっていますが、自分自身と作りたい作品について更に突き詰めて行きたいので、この作業を暫く続けて行きたいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 作品製作をしているので、サポートいただけたら創作活動に関する費用にしたいと思います。