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The cream of the notes

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森博嗣さんのやつです。
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2021年12月の記事一覧

『ツベルクリンムーチョ』を読んで

『ツベルクリンムーチョ』を読んで

エッセイは自由度が高く、その点でSNSと変わりない。
しかし、どちらも過多摂取は推奨できないだろう。
なぜなら、自らの判断基準を失ってしまうからである。
読書を通じ、こう思うなど、少しは驚きがある。

つまるところ、自分を主体に添え、物事を抽象化する能力、思考力が育たない点に問題はある。

『つんつんブラザーズ』を読んで

『つんつんブラザーズ』を読んで

人生を常に前向きで捉えた方が良い?
私は、そうは思わない。
死ぬまでまやかし続けるのと同義ではないだろうか。
少なくとも1人でいる時は絶望していてもよい。
その方がより深みを味わえるとも考えている。
今はただ否定的な評価を下されるらしいが。

どうして片面のみを追い求める者が賢しくいれようか。

『月夜のサラサーテ』を読んで

『月夜のサラサーテ』を読んで

この文量をネット上では読まないだろう。
その厚みを通じて安心感を覚えるからだろうか。
また、無料ならなおさら読まない。

そんなことはどうでもいい。
歳の離れた人に共感するということに注視したい。
共感は主観的であるがゆえに、バイアスがかかっていることは否定できない。
理解者がほしいのだろう。

『つぶさにミルフィーユ』を読んで

『つぶさにミルフィーユ』を読んで

私は何事においても経験に乏しい。
目覚ましい思い出からは遠く離れている。
だが、それ以前に感性が必要なのではないだろうか。

極端な話、経験をいくら積んでもそこから抽出する要素がなければ、無意味も同然ではないか。

同じ対象から「私」だけの考えに昇華させる。
感性に磨きがかかれば何も怖くない。

『つぼみ茸ムース』を読んで

『つぼみ茸ムース』を読んで

私が小説を書き終えたからだろうか。
あるいは筆者に馴染んだからだろうか。
共感する点と落胆する点が増えた。
まあこんなことはどうでもいい。

やはり少数にとって時間というものは大切らしい。
私はこのことを学んだ。
しかし、時間そのものより、それに対する考え方が
諸々の価値を何倍にもするのだろう。