ばあちゃん子
数年前の1月1日 ばぁちゃんが亡くなった。92歳。
やっと会いに行けると思ってた日に亡くなった。
肺炎からの敗血症。
亡くなる前の数日間は入院をしていた。
私は実家から離れて暮らしているため、実家近くで暮らしていてよくばぁちゃんに会いに行っていた姉から容態を聞いていた。
私と姉は「1日に実家に帰るなら、ばぁちゃんにも会いに行けるね」と。
間に合わなかった。
亡くなる前日、姉と兄がばぁちゃんに会いに行っていた。
私たち三兄妹がばぁちゃんと一番長く時間を過ごした孫たちだ。
帰る時、ばぁちゃんはいつも
「気をつけて帰るんだよ。またね」
と決まり文句のように言う人だった。
でも、亡くなる前日の12月31日にお見舞いをした兄と姉が帰ろうとしたとき
「ばぁちゃんまたね」と声を掛けたら、戻ってきたのはいつもの決まり文句ではなく...
「じゃあね、バイバイ」
兄と姉は違和感を覚えたものの、深くは考えず。
亡くなってから、そういえば。。。と私にこのやりとりを教えてくれた。
たぶん、ばぁちゃんは自分で死ぬ日を決めていたのかもしれない。
老人施設で暮らしていたけど、頭はしっかりしていて、いつ会いに行っても笑顔で出迎えてくれた。
孫やひ孫たちの写真を大切に保管し、私にもいつも「子供達にけがさせないようにね」と心配の声をかけてくれる人だった。
お通夜から葬儀の二日間、私は孫だけど、誰よりも泣いていた。
ばぁちゃんの子供である私の父よりも、叔母よりも、私が一番泣いていた。
棺の蓋を閉めさせないくらいに。
人目を気にせず大声で
泣いたのは、後にも先にもこの時くらいだ。
私が生まれたころ、実家は農家を営んでいて、ばぁちゃんじぃちゃんとも一緒に暮らしていた。
ずーっと続く直線の道路。
両脇にあるのは田んぼばかり。
お隣さんの家まで100メートルなんて近い方。
私の自転車練習は砂利道。
私が4歳のころ父が離農し、私たち家族はばぁちゃんじぃちゃんと離れて暮らすことになった。
新しい家と、元の家は直線距離で約2キロ。
私は引っ越してからも、ひとりでばぁちゃんとじぃちゃんに会いに行っていた。
夏は自転車で。
冬は雪遊びしながら歩いて。
なので、ばあちゃんといちばん長い時間を過ごしている孫が私だけなのだ。
野菜が採れたから取りにおいで。
メロンもらったから食べにおいで。
おはぎ作るから取りにおいで。
お餅つくから手伝いにおいで。
帰りには、「少ないけどお小遣い。お母さんには内緒だよ」と言って、500円とかをこっそり持たせてくれるのが好きだった。
自転車で色んなとこにも行った。
お墓参り。
お祭り。
近所のスーパー。
パフェも一緒に食べに行ったな。
いつも気にかけてくれて、会いに行くといつも嬉しそうに出迎えてくれた。
今ばぁちゃんに会えるなら、ばぁちゃんにが育てたトウモロコシ畑でまた一緒に収穫したいな。
会いたい。
ばぁちゃん大好き。今でも変わらず。
たくさんの愛をありがとう。
棺に詰めた家族の写真。
向こうでも大切に見ていますか?
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