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「ん」ん〜〜!!やっぱり幸せだった。ありがとう感謝しかないよ!

ここ数年 犬の、父の、
命がもえつきるのをで目の当たりにしてきました

父のことも途中まで note に描いていますが
認知症で、車椅子で、もうよれよれで

帰省していて 帰る日の
朝4時
施設から実家に電話がきました

「お父さん、早朝の見回りに行ったら呼吸と心臓がとまっていました
急がなくていいのでいらしてください」
と看護師さんに言われました。

ホームに着くと
父は行った時はまだほかほかに温かく

「心臓マッサージしたら生き返るんじゃないか!!?」


と思いましたが

「やっと楽になれたのに、大変だったのに

余計なお世話だなー」


って思い直して
それから7時くらいまで、
ゆーくり冷たくなる父の手をお布団の中で
握っていました。

犬もまた、最後の最後まで命をもやして尽きました。

それをずーっと伴走するように
犬との1年を過ごしたので

「本当にたいへんだったね、だいぶ引き留めてしまったね」
という思いでした。



だから犬を最後の日の朝
いよいよまずいと思って獣医さんに行く道で、

「だめだ、息していない!」と娘が言った時


やっぱりまだ温かくて
もしかしたら、走って獣医さんに行って
無理にでもマッサージとかしたら
何とかできるかも!?


と おこがましいことが頭をよぎり、でも

「未練で苦しませてどうするんだ」
と、すがる気持ちを否定しました。


そして、父も犬も(並べてごめんなちゃい)

どちらにせよ大きなショックで無気力になりましたが

目の前で
生ききった命のすごさを見て


私たちは、みんな同じ
ひとつひとつの個々の命という意味で
孤独で

戻れない貴重な時間を共にしていて

一緒に過ごしてもらったことに
お礼を言わなければいけないな
と思いました

「ん〜〜!!やっぱり幸せだった
ありがとう!感謝しかないよ!」


そういう気持ちに行き着きました

なんという大切なことを見せてくれていたのか!?


(父、並べてすみましぇん)

ひとつひとつのふれあいや会話や、感情の通い合いは
一回だけの、貴重な輝きの積み重ねでした。

生き抜くって、すごく個人的で
死ぬってすごく孤独。

だけど、だからこそ、その時間
その命としか奏でられない関わりが
できたんですよね


かっこよくなくても
助けてもらってばかりでも
役に立たなくても
そんなことはどうでもよくて

生きていることを
ちゃんと燃やして
生ききることの尊さ!

私はもう鉄板で
輝くわんわんランドにいくんだと決めてますんで

そう思って、残りを大事に生きていこう!!

それが送った命から感じて決めた
私のこれからでした

ありがとう!!感謝しかないよー!!

犬カルタ「ん」 ん〜〜!!やっぱり幸せだった。ありがとう感謝しかないよ!


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