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福岡出張2日目の学び

今日は、福岡出張2日目。曇り時々雨。
今日の学びもここで共有する。

今日は、昨日よりも大事なことに気づけた。
それは、”私が無意識で人の事を見下し、無意識で自分の方が偉い”と思ってること。

きっと読んでる人の中には、なんて酷いやつなんや!最低!などと思う人もいると思う。

でも、それが自分でそれは仕方のないことなんだってことを少し理解できた。
そんな学びがあった話を今日はここでしようと思う。

今日、Colorbathの代表よっしーと話したことは2つ。
1つ目は、自分のなりたい姿ややりたい姿の本質を理解することの重要性。
2つ目は、自分の醜さを受け入れることについて。

まずは、1つ目の話題から。
これは、よっしーと人間の持つ創造性・共感性・論理性について話をしていた時のこと。
よっしーと話す中で、私が共感性と論理性の狭間にいるのかもしれないということになった。
私は、正直にいうと残念だと感じた。
それは、私が創造性ある人間になりたいと思っているから。
でも、よっしーに「何故そう思うの?」と聞かれた時に言葉が出んかった。
よっしーは、「やりたい・なりたいの本質を理解して、自分の意思と行動を紐づけた方がいい」「そうじゃないと、るりーのためにみんなアドバイスしてくれるけど、結局そこが本質的に刺さらないからみんなも助言するのをやめるようになる」と教えてくれた。

今まで、やりたい・なりたいの本質なんて考えたことがなかった。

私は、恩師だと思っている人がいて、その人を憧れにしていて、
その人みたいになりたいと思っているからそう思っていることを伝えると、
「そうやってちゃんと理由あるんだったらいいんじゃない」と。
「理由がないなら今いる特性から無理に動かす必要はないと思う」と。

でも、これも自分の中で理由づけはできたけど、曖昧だと思う。
今の自分は、恩師のどういう一面を尊敬してて、
それは一体なんなのか?を理解してない気がした。
あとで詳しく書くけど、そのあとむっちゃんとも電話で話して、
その時に、「恩師も恩師以外の人にも尊敬できるところを要素として明らかにして、それを1つ1つ心の中で育てていくと、理想とする自分に近づけるんじゃないかな。」と言われた。
他人のどこに尊敬ポイントがあるのかなんて考えてこともないけど、
人のいいなって思ったところを取り入れるためにそれをしようと思った。

2つ目は、自分の醜さを受け入れることについて。
よっしーは、私が持っているできるorできないに対する恐れについて教えてくれた。
今の私は、
「恩師とは比べものにならず程遠い。
自分でもそう思ってるかもしれないけど、
きっとるりー自身が思う遠さより俺らは全然遠いと思ってる」
「できないことを知ってるから。できると思ってないから。」
でも、よっしーと内面の深掘りをした時に、
私は自分のことを40%できる人間だと思ってることに気づいた。
この中途半端な40%が、変な自信とプライドに繋がる。
変な自信とプライドが40%分あるから、
私は、41%がスタートだと思ってる。
でも、私以外のメンバーは私が何もできないことに気が付いてて、
それを知ってるから、1%からのスタートでもいいと思ってる。
私ができないことを私の40%が邪魔してるし、
その分他の人よりも優位に立ってると勘違いしてる。
よっしーは、一緒に私の内面を分析しながら、こんな話をしてくれた。

反論は、なかった。
自分でもびっくりするぐらい腑に落ちた感覚があった。

ここのギャップが、自分の感じているコミュニケーションの噛み合わなさだと思う。
この40%の自信を手放すことで、自分は何もできない芋虫だと思い、
ギャップを埋めることができなければ、Colorbathで生きることは難しくなっていくと思うとよっしーは言ってた。

無意識の私は、人よりも偉いと思っているのに、
中を開けてみたら何もなくて内面が空っぽだったことが悲しかった。
自分のことを酷いやつだとも人間だとも思った。
それに、今、みんなが時間をかけて私に助言してくれているけど、
それを自分の中で解決できないことも悔しかった。

私は、芋虫なのに自分のことを蝶だと思ってたんだ。
芋虫になれなかった。
周りから見れば、芋虫なことが丸わかりなのに。

そのあと、むっちゃんと電話して、めっちゃ泣いた。
私は、泣くことが弱い証拠の様に見えていて、
カッコ悪いから人に泣く姿は見せない様に生きてきた。
それをむっちゃんに伝えたら、
「泣くのは、それだけ一生懸命になってるってことで、
むしろかっこいいじゃん!」って言ってた。

あー我慢する必要なんて、ないんだなって、その時思った。
今まで、

かっこよく見られたい、
人から憧れられる存在になりたい、

そう思ってきたけど、
偽りの自分で一見強く見せても、それはメッキでしかなくて、
いつか見破られるんじゃなくて、すぐに見破られる。

芋虫の様に何もできない自分も自分だし、
人のことを見下している自分も自分だし、
ちょっとしたことで泣く自分も自分なんだ。

それを受け入れて、やるしかないんだ。と思った。

でも、それもちゃんと理解できてなくて、
知らない自分がいっぱいいるから、
我慢せずにいることで、
知らない自分と出会って、
それをまた受け入れる。

その繰り返しがきっと必要なんだと思う。

泣きすぎて、
お腹すいたから近所のやよい軒でちかぽんとがっつり定食を食べた。
白米おかわり3杯した。しかも、帰りにローソンでダッツも買って食べた。
写真は、食べた華もちの蓋を撮ってみた。

エネルギーもチャージしたし、今日はゆっくり寝ます。
泣きすぎて目が痛い。

また明日もいい日になる様に、Aパターンで頑張りたい林でした。


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