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抽象的だとなぜ「わかりやすい」のか?

具体的な方がわかりやすい

僕は抽象的な文章を読むほうが断然、好きなんですよ。でも、具体的な方がわかりやすいって方も多いですよね。

これは、もはや好みの問題なんですよね。実験が好きか、理論が好きかの違いのようなものです。

で、この記事では、抽象的な書き方の魅力を簡潔に語っていきます。

抽象的な文章はウケが悪い

魅力を語ると言う前言とは矛盾した見出しですね。

ところで、noteで多くの人に読まれるには、具体的な文章の方が圧倒的に有利です。

これは哲学書より小説の方がよく売れるのと同じような原理で、具体的な文書の方が楽しい勢の方が多数派だからだと推測されます。

でも、抽象的な文章を好む人は、抽象的な文章を書いている方が楽しいものです。だから、不利でもいいので、「楽しけりゃなんでもいいや!」の精神で積極的に抽象的な内容を書きまくりましょう。

なぜ抽象的な文章は「わかりやすい」のか?

単純だからです。皮肉ですが抽象的で小難しい方が単純でわかりやすいんですよ。

なぜかというと、抽象化するって、モデルを考えるってことで、要は事態を単純化する作業だからです。一般化ともよく言いますよね。

例えば、僕なら「個別最適は全体最適を阻害する」みたいな表現を読むと「わかりやすっ!」ってなります。

単純な上に、多くの具体的な事象をカバーしているので、少ない文章量でたくさんの情報を得られるからです。

逆に、具体的な現実ってかなり複雑で、もはやカオスです。これは複雑でわかりにくいです。

なぜ具体的な事例は「重要」なのか?

とはいえ、本質的に重要なのは具体例の方です。「事実を見よ」ってことですね。

まぁケーススタディとか事例検討とか症例検討みたいに、具体的なエピソードを”検討/分析”して、その結果、抽象的な法則性が得られるわけですからね。

例えば、歴史。これはかなり具体的ですよね。日本史とか世界史は一種のケーススタディで、そこから「歴史は繰り返す」などの抽象的な法則が得られるわけで。

とりわけ帰納の文脈では、具体的な事例検討は理論の生みの親なわけです。

小学生でもわかるように書くべきなのか?

僕は「小学生でもわかるように書いた方がいいよ!」ってアドバイスが嫌いです。言わんとすることはわかるんです。小学生に説明できるくらいに、徹底的に理解していないと、誰かに説明するって難しいって意味だと思います。

それはそうなんですが、小学生でもわかるように書くって、抽象的な専門用語は使用禁止!ってことですよね。これは書き手からしても、読み手からしても、冗長な解説に耐えることを強いられるので、正直、めんどくさいです。

でも多くの人に読まれたいのであれば、「小学生でもわかるように書くべき」は正論です。具体的な表現の方が好き勢の方が多数派ですから。


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