![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141557882/rectangle_large_type_2_4e35fa2910c8ae95d2c0df2e3d4ccc23.png?width=1200)
あくびの隨に 6話
前回
ぴっちり敷き詰まった畳に、多方を吹き抜ける襖と障子。見上げれば梁が見える天井。典型的な日本家屋の造りが逸流と稲を出迎えた。
座敷に座布団を用意され、二人は正座して台所に向かった透非を待つ。ちょうど廊下では、先ほどの子供たちが雑巾がけをしている最中だった。床を滑るように右往左往していく足音が響き、騒がしくもどこかほのぼのした空気が醸し出される。
「お待たせした」
湯呑と急須を盆に乗せ、透非が静かにやって来る。
透非の後ろにはお茶請けの饅頭を皿に乗せて、それを両手に持つ倅もいた。先の一件もあってふてぶてしい表情だが、父親の言葉には素直に従って大人しくしている。
二人の対面で透非は直接畳に正座し、倅は皿だけ置くと廊下に出て行った。
透非は小さく首を振って、ため息を吐く。
「あの子は藻美。愛想のない娘でお見苦しいと思われるだろうが、あれも母を失った身。つまらぬ言い訳となってしまうが、男手一つでは教育もままならないのだ」
「娘……ですか」
藻美という子は髪も短く、肌も服もあちこち汚れだらけだった。他の男子たちに溶け込んでいたので、逸流はてっきり息子とばかり思っていた。
透非からは、身内の恥を晒すように付け加えられる。
「とてもそうは見えないでしょう。やんちゃばかり成長させて、ほとほと困ったものだ。もし男児なら厳しくもできるけれど、娘ではそれもなかなかに難しく……」
雑談を交えつつ、透非は慣れた手つきでお茶を入れていく。饅頭とともに湯呑を逸流と稲に差し出すと、どっしり腰を据えて本題に移った。
「貴殿らは五大光家の血脈を探しているとのことだが、もしや片田舎の出身だろうか。あのような伝承を求めるなどと、出まかせの吹聴でも聞かねば思い至らない発想だ」
「待ってください。伝承ってどういうことですか?」
逸流は稲に横目を向けながら確認を取った。
稲は怪訝そうに双眸を細め、差し出されたお茶を啜っている。
「やはり存じ上げぬか。そうなると、少しばかり昔話を語らせてもらうが、手透きのほどはあると見てよろしいか?」
「構わん。どの道、私たちはこれにすがるよりほかに、選択肢は持ち合わせておらん」
問答を惜しむように稲が話を進める。
了承の意を受けて、透非は一度足を崩した。二人にも楽な姿勢を促してくれる。逸流はあぐらをかかせてもらったが、稲はそのまま正座を続けていた。
透非はこれを確認してから、深呼吸を置いて話し始めていく。
最初の方の内容は、稲から聞かされて逸流も多少知っていた。
元来五大光家とは、大昔に神とともに邪なる蛇と戦った一族の子孫たちのことである。神が生み出した〝五つの光〟を特別な力として授かり、邪なる蛇の封印に助力した。
そののちに、各々が五つの小国をこの留包国に設け、ある取り決めの下に彼らは神様に仕える役目を与えられたのだ。
それが十年に一度定められた選定の日における、お家同士の競合。
封節の社で眠りに就いた神を守護するため、たった一人選び出される兵――それが神の大いなる力の分霊を与えられし〝灰之防人〟であった。
「神の導きに従い、五大光家は十年のときをかけて選定の日を待ち望む。そこで日々磨き上げた鍛錬を披露するように武を競い合った。そして見事、灰之防人に選ばれた者の治める小国の領地には、神より豊穣が約束されたという。やがてまた十年の月日が過ぎれば、再びこれを繰り返し、そうして神の眠りは長らく守り続けられてきた」
「わざわざ一人だけを選ぶ理由って、何ですか?」
逸流はひょんな疑問を口にした。
神様を守るなら、五大光家全員で力を合わせれば良い。それを行わなかったことに違和感を覚えると、稲が横から口を挟んできた。
「神の分霊とは、己が半身を与えるようなものだ。複数にはできぬし、邪なる蛇は封印されたが、その末端となる腐土の権現は地上に蔓延った。身動きの取れぬ神に代わり、これを討伐するのは地上の人間の使命。その統率を取るため、絶対的な力を持つ者は一人でなければならなかった」
「ほう、稲殿は中々に博識。生半可に五大光家を追い求めはいないということか」
透非は感心しながらそこに付け加えた。
「五大光家も、元を質せば欲を持つ人間。繁栄が続くほどに、主権を握りたがる輩も少なくなかった。神はそんな人の常を見越し、抑止力を分散させたくなかったのだろう」
「そうだったんですか……」
逸流は特に他意もなく、その当人である稲を見やった。
すると彼女はどこか遠くを見つめるように、その先を透非に求めた。
「されど、灰之防人は語り継がれるような華やかな存在ではない。当然、それはそなたも知っておるのだろう?」
「ええ。十年ごとに入れ替わるこの仕組みこそ、彼らの悲運だった」
透非は瞼を閉じて、そこに確かな哀愁を寄せた。
「曰く、神の分霊は人には過ぎたるものだったという。強大な力を得た代償として、灰之防人の寿命は急速に縮まり、十年の歳月がその臨界を意味した。彼らは神に命を捧げ、そして死にゆく運命から逃れる術はなかった」
「選ばれたら、死ぬって……そんなこと……」
五大光家の辿る壮絶な宿命に、逸流は言葉にできない胸の苦しさを覚える。しかしこれを諭すように稲は告げた。
「黙して待てば、腐土の権現は限りなく増殖し、人々を喰らい尽くす。誰かが犠牲にならねば、その循環を止めることはできぬ。さりとて、五大光家は灰之防人となることを誉れとしていた。それを蔑ろにすることなど、果たして誰が出来ようか」
稲は五大光家の宿命を、天命とばかりに重んじる発言をした。
けれどそれは、裏を返せば理不尽な仕組みの正当化。神を自称する彼女を責める気持ちはないが、晴れない靄が脳裏にかかる思いだった。
二人のやり取りの合間に、お茶で喉を潤した透非が一筋の息をつく。
「逸流殿のやり場のない心持ちは儂も共感する。そしてそれは、当然五大光家の一部の者にも存在した。それがあの悲劇を呼び起こしてしまったのだ」
「悲劇、とは?」
逸流が訊くと、透非が口を開くより先に稲がぽつりと口を突いた。
「羅刹……か」
「然り。あくる年、五大光家の一人が選定の日を勝ち抜いた。その者の狙いは、神の眠る封節の社に足を踏み入れることだった。封節の社は、神が認めし者しか足を踏み入れることはできない。それは五大光家であろうと同様だった。それゆえに、彼の者は圧倒的な武力を身に着け、灰之防人の座を掴み取ったのだ。己が手で、神を――殺すために」
『……』
二人は押し黙ってその話を聞いていた。
透非の語る内容は真実と若干異なるが、大まかな本筋は変わらない。
羅刹は神によって封印された。しかし灰之防人の力を与えたまま消えたせいで、新たな選定の日を迎えることは出来なくなった。
それが腐土の権現との戦いにも影響を与え、のちに多くの人々が犠牲となる。その被害の中には、五大光家の血筋も含まれており――
「今となっては、五大光家の名を覚えておる者もそうはいまい。すでに芒之国は滅びたと伝え聞くし、桜乃国も非常に危ういようだ。他の二つの国はまだ栄えていると風の噂には聞いたが……この松之国も、果たしていつまで持ち堪えられるだろうか」
感慨を抱くように、透非は行く末を案じながら、五大光家の顛末を語り終えた。逸流は希望が失われるように感じられつつ、微かな望みを持って稲を見やる。
稲はやや俯き加減になりながら、透非にあることを訊ねた。
「一つ聞く。羅刹が現れたのは、今の世から何年前のことだ?」
「都合百年より以前、と儂は記憶しているが」
透非の答えに、稲は珍しく項垂れて独り言をした。
「……そうか。多少の経過は覚悟していたつもりであるが、常世では流動的な時間すら神の生み出すまやかし。この身は朽ちねど、知らぬ間に年月を費やしていたのだな。なればこそ、この巡りきた好機を逃すわけにはいかぬ」
己を再奮起させるように、稲は小さく頷いていた。
「ともあれ、儂の話はこれにて以上だ。総じて、貴殿らは五大光家などという伝説を追い求め、何を成そうとしている?」
これまでの内容を踏まえて、透非は夢現のような事柄を求める逸流たちに問う。
稲の反応を窺って、逸流から答えを出し渋っていたとき。彼女はさもありなんと、差し出されたお茶を一口するってから静かに返した。
「救世の道を辿っている。ただ、それだけのことだ」
「明日へと希望を抱く道と。それは果てなき死地と見受けるが、如何に?」
「戯言と論じられても詮無きこと。どう思おうと、そなたの判断に委ねよう」
「なるほど、深淵のような御仁だな。これでも悟りの道を歩まんとする身なのだが、儂のような生臭坊主には貴殿らの心中は測りきれぬ。だが、それを一概に笑い飛ばすこともできないのは、すでにこの世に希望を求めておらぬせいか……あるいは、一筋の光明が垣間見えるせいか」
透非は稲の中に得心でも見出したように、片手で祈る仕草をしていた。
どうやらその稲の答えで透非は満足したらしい。おもむろに全身から力を抜いて、話の流れを変える。
「ときに、貴殿らは今夜泊まるところはあるのか? この町に来たばかりと聞くが、行き先に迷うようであれば、この屋敷を寝所としてくれて構わない」
「良いんですか?」
有り難い申し出だったので、逸流は稲に同意を求める。
「五大光家を探すのは時間かかりそうだし、お言葉に甘えさせてもらわないか?」
「ふむ。それは構わぬが……さて」
思うところがあるように稲は唸っていたが、逸流の意見には同意した。
話はまとまり、透非は逸流と稲を離れの部屋に案内する。そこは埃をかぶっていたが、藻美に掃除を任せて、透非は夕餉の買い出しに向かった。
藻美は相変わらず怪訝そうに二人を見たが、やはり父の言葉には逆らわない。他の子供たちを集めて掃除を始めてくれる。それを見ているだけでは申し訳ないので、逸流も実家で鍛えた掃除の技術で手伝った。
最初は余計なことをするなという風に睨まれたが、こちらが誠意を見せると少しずつ刺々しさを引っ込めてくれた。
稲は町中を見て回りたいと言っていたため、その間は屋敷にいなかった。
そうして二人は、日暮れまで別行動を取っていく。
【続】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?