見出し画像

あくびの隨に 6話

前回


 ぴっちり敷き詰まった畳に、多方を吹き抜ける襖と障子。見上げれば梁が見える天井。典型的な日本家屋の造りが逸流いつるいねを出迎えた。
 座敷に座布団を用意され、二人は正座して台所に向かった透非とうひを待つ。ちょうど廊下では、先ほどの子供たちが雑巾がけをしている最中だった。床を滑るように右往左往していく足音が響き、騒がしくもどこかほのぼのした空気が醸し出される。

「お待たせした」

 湯呑と急須を盆に乗せ、透非が静かにやって来る。
 透非の後ろにはお茶請けの饅頭を皿に乗せて、それを両手に持つ倅もいた。先の一件もあってふてぶてしい表情だが、父親の言葉には素直に従って大人しくしている。
 二人の対面で透非は直接畳に正座し、倅は皿だけ置くと廊下に出て行った。
 透非は小さく首を振って、ため息を吐く。

「あの子は藻美もみ。愛想のない娘でお見苦しいと思われるだろうが、あれも母を失った身。つまらぬ言い訳となってしまうが、男手一つでは教育もままならないのだ」
「娘……ですか」

 藻美という子は髪も短く、肌も服もあちこち汚れだらけだった。他の男子たちに溶け込んでいたので、逸流はてっきり息子とばかり思っていた。
 透非からは、身内の恥を晒すように付け加えられる。

「とてもそうは見えないでしょう。やんちゃばかり成長させて、ほとほと困ったものだ。もし男児なら厳しくもできるけれど、娘ではそれもなかなかに難しく……」

 雑談を交えつつ、透非は慣れた手つきでお茶を入れていく。饅頭とともに湯呑を逸流と稲に差し出すと、どっしり腰を据えて本題に移った。

「貴殿らは五大光家ごだいこうけの血脈を探しているとのことだが、もしや片田舎の出身だろうか。あのような伝承を求めるなどと、出まかせの吹聴でも聞かねば思い至らない発想だ」
「待ってください。伝承ってどういうことですか?」

 逸流は稲に横目を向けながら確認を取った。
 稲は怪訝そうに双眸を細め、差し出されたお茶を啜っている。

「やはり存じ上げぬか。そうなると、少しばかり昔話を語らせてもらうが、手透きのほどはあると見てよろしいか?」
「構わん。どの道、私たちはこれにすがるよりほかに、選択肢は持ち合わせておらん」

 問答を惜しむように稲が話を進める。
 了承の意を受けて、透非は一度足を崩した。二人にも楽な姿勢を促してくれる。逸流はあぐらをかかせてもらったが、稲はそのまま正座を続けていた。
 透非はこれを確認してから、深呼吸を置いて話し始めていく。

 最初の方の内容は、稲から聞かされて逸流も多少知っていた。
 元来五大光家とは、大昔に神とともによこしまなる蛇と戦った一族の子孫たちのことである。神が生み出した〝五つの光〟を特別な力として授かり、邪なる蛇の封印に助力した。
 そののちに、各々が五つの小国をこの留包国に設け、ある取り決めの下に彼らは神様に仕える役目を与えられたのだ。
 それが十年に一度定められた選定の日における、お家同士の競合。
 封節の社ふうせつのやしろで眠りに就いた神を守護するため、たった一人選び出されるつわもの――それが神の大いなる力の分霊を与えられし〝灰之防人かいのさきもり〟であった。

「神の導きに従い、五大光家は十年のときをかけて選定の日を待ち望む。そこで日々磨き上げた鍛錬を披露するように武を競い合った。そして見事、灰之防人に選ばれた者の治める小国の領地には、神より豊穣が約束されたという。やがてまた十年の月日が過ぎれば、再びこれを繰り返し、そうして神の眠りは長らく守り続けられてきた」
「わざわざ一人だけを選ぶ理由って、何ですか?」

 逸流はひょんな疑問を口にした。
 神様を守るなら、五大光家全員で力を合わせれば良い。それを行わなかったことに違和感を覚えると、稲が横から口を挟んできた。

「神の分霊とは、己が半身を与えるようなものだ。複数にはできぬし、邪なる蛇は封印されたが、その末端となる腐土の権現は地上に蔓延った。身動きの取れぬ神に代わり、これを討伐するのは地上の人間の使命。その統率を取るため、絶対的な力を持つ者は一人でなければならなかった」
「ほう、稲殿は中々に博識。生半可に五大光家を追い求めはいないということか」

 透非は感心しながらそこに付け加えた。

「五大光家も、元を質せば欲を持つ人間。繁栄が続くほどに、主権を握りたがる輩も少なくなかった。神はそんな人の常を見越し、抑止力を分散させたくなかったのだろう」
「そうだったんですか……」

 逸流は特に他意もなく、その当人である稲を見やった。
 すると彼女はどこか遠くを見つめるように、その先を透非に求めた。

「されど、灰之防人は語り継がれるような華やかな存在ではない。当然、それはそなたも知っておるのだろう?」
「ええ。十年ごとに入れ替わるこの仕組みこそ、彼らの悲運だった」

 透非は瞼を閉じて、そこに確かな哀愁を寄せた。

「曰く、神の分霊は人には過ぎたるものだったという。強大な力を得た代償として、灰之防人の寿命は急速に縮まり、十年の歳月がその臨界を意味した。彼らは神に命を捧げ、そして死にゆく運命から逃れる術はなかった」
「選ばれたら、死ぬって……そんなこと……」

 五大光家の辿る壮絶な宿命に、逸流は言葉にできない胸の苦しさを覚える。しかしこれを諭すように稲は告げた。

「黙して待てば、腐土の権現は限りなく増殖し、人々を喰らい尽くす。誰かが犠牲にならねば、その循環を止めることはできぬ。さりとて、五大光家は灰之防人となることを誉れとしていた。それを蔑ろにすることなど、果たして誰が出来ようか」

 稲は五大光家の宿命を、天命とばかりに重んじる発言をした。
 けれどそれは、裏を返せば理不尽な仕組みの正当化。神を自称する彼女を責める気持ちはないが、晴れない靄が脳裏にかかる思いだった。
 二人のやり取りの合間に、お茶で喉を潤した透非が一筋の息をつく。

「逸流殿のやり場のない心持ちは儂も共感する。そしてそれは、当然五大光家の一部の者にも存在した。それがあの悲劇を呼び起こしてしまったのだ」
「悲劇、とは?」

 逸流が訊くと、透非が口を開くより先に稲がぽつりと口を突いた。

羅刹らせつ……か」
「然り。あくる年、五大光家の一人が選定の日を勝ち抜いた。その者の狙いは、神の眠る封節の社に足を踏み入れることだった。封節の社は、神が認めし者しか足を踏み入れることはできない。それは五大光家であろうと同様だった。それゆえに、彼の者は圧倒的な武力を身に着け、灰之防人の座を掴み取ったのだ。己が手で、神を――殺すために」
『……』

 二人は押し黙ってその話を聞いていた。
 透非の語る内容は真実と若干異なるが、大まかな本筋は変わらない。
 羅刹は神によって封印された。しかし灰之防人の力を与えたまま消えたせいで、新たな選定の日を迎えることは出来なくなった。
 それが腐土の権現との戦いにも影響を与え、のちに多くの人々が犠牲となる。その被害の中には、五大光家の血筋も含まれており――

「今となっては、五大光家の名を覚えておる者もそうはいまい。すでに芒之国すすきのくには滅びたと伝え聞くし、桜乃国さくらのくにも非常に危ういようだ。他の二つの国はまだ栄えていると風の噂には聞いたが……この松之国まつのくにも、果たしていつまで持ち堪えられるだろうか」

 感慨を抱くように、透非は行く末を案じながら、五大光家の顛末を語り終えた。逸流は希望が失われるように感じられつつ、微かな望みを持って稲を見やる。
 稲はやや俯き加減になりながら、透非にあることを訊ねた。

「一つ聞く。羅刹が現れたのは、今の世から何年前のことだ?」
「都合百年より以前、と儂は記憶しているが」

 透非の答えに、稲は珍しく項垂れて独り言をした。

「……そうか。多少の経過は覚悟していたつもりであるが、常世とこよでは流動的な時間すら神の生み出すまやかし。この身は朽ちねど、知らぬ間に年月を費やしていたのだな。なればこそ、この巡りきた好機を逃すわけにはいかぬ」

 己を再奮起させるように、稲は小さく頷いていた。

「ともあれ、儂の話はこれにて以上だ。総じて、貴殿らは五大光家などという伝説を追い求め、何を成そうとしている?」

 これまでの内容を踏まえて、透非は夢現のような事柄を求める逸流たちに問う。
 稲の反応を窺って、逸流から答えを出し渋っていたとき。彼女はさもありなんと、差し出されたお茶を一口するってから静かに返した。

「救世の道を辿っている。ただ、それだけのことだ」
「明日へと希望を抱く道と。それは果てなき死地と見受けるが、如何に?」
「戯言と論じられても詮無きこと。どう思おうと、そなたの判断に委ねよう」
「なるほど、深淵のような御仁だな。これでも悟りの道を歩まんとする身なのだが、儂のような生臭坊主には貴殿らの心中は測りきれぬ。だが、それを一概に笑い飛ばすこともできないのは、すでにこの世に希望を求めておらぬせいか……あるいは、一筋の光明が垣間見えるせいか」

 透非は稲の中に得心でも見出したように、片手で祈る仕草をしていた。
 どうやらその稲の答えで透非は満足したらしい。おもむろに全身から力を抜いて、話の流れを変える。

「ときに、貴殿らは今夜泊まるところはあるのか? この町に来たばかりと聞くが、行き先に迷うようであれば、この屋敷を寝所としてくれて構わない」
「良いんですか?」

 有り難い申し出だったので、逸流は稲に同意を求める。

「五大光家を探すのは時間かかりそうだし、お言葉に甘えさせてもらわないか?」
「ふむ。それは構わぬが……さて」

 思うところがあるように稲は唸っていたが、逸流の意見には同意した。

 話はまとまり、透非は逸流と稲を離れの部屋に案内する。そこは埃をかぶっていたが、藻美に掃除を任せて、透非は夕餉の買い出しに向かった。
 藻美は相変わらず怪訝そうに二人を見たが、やはり父の言葉には逆らわない。他の子供たちを集めて掃除を始めてくれる。それを見ているだけでは申し訳ないので、逸流も実家で鍛えた掃除の技術で手伝った。
 最初は余計なことをするなという風に睨まれたが、こちらが誠意を見せると少しずつ刺々しさを引っ込めてくれた。
 稲は町中を見て回りたいと言っていたため、その間は屋敷にいなかった。
 そうして二人は、日暮れまで別行動を取っていく。

【続】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?