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あくびの隨に 9話

前回


 物見やぐらや石垣の内側に造られた足場に、多くの大人たちが登っていた。手に手に松明を掲げて下方を照らし、町の外から押し寄せる異形の群れを映し出す。
 血肉と絶望を求め、人間に仇名す腐土の権現ふどのごんげんが襲来したのだ。
 逸流いつるいねは手近な階段を上がって、防壁の向こう側の様子を確認する。
 森の奥から押し寄せる大群。目視できるだけでも優に五十は越えており、亡者の如く腕を伸ばして外壁まで歩み寄って来る。

「弓を構えろ! 火矢で見通しを利かせ、十分に引き付けるのだ。後続は一気に放て!」

 やぐらの上で、透非とうひが男たちの指揮を取っていた。
 透非のきびきびした号令と、よく統率された人々の動き。きっと、これまで腐土の権現が現れる度に、こうして対応してきたのだろう。非常時にもかかわらず取り乱す者はおらず、誰もが真剣に己の役割をこなしていた。
 しかしこれを見据える透非の額には、冷ややかな汗が流れている。

「……この異様な数は何事だ。これまでに類を見ない」

 呟く透非の内には、たしかな焦燥が垣間見えているようだ。

 逸流と稲は現場に流れる物々しい空気に触れ、じっと成り行きを見守る。
 腐土の権現の集団は、背の高い草木を物ともせずに踏み鳴らし、猛進するように平野を直線してきた。
 夜闇に蠢く無機質な土人形は恐怖の塊。町人たちも固唾を飲みながら、一定の距離まで近づくと一斉に矢をつがえた。しなる弓なりが、今か今かと発射のときを待ち望み、嵐の前の静寂が辺りを支配する。

『――てえっ!』

 号令一下。各所の男たちの合図により、無数の矢が解き放たれた。
 雨のように降り注ぐ石の矢尻。風切り音を伴って、腐土の権現を討ち貫く。土塊の装甲は非常に脆く、触れた瞬間に人型を模す顔や身体が混じ爆ぜた。飛び散るものは血ではなく、うじのようにうねる泥。
 醜悪な姿の群れ群れが、欠損しながら次々と地に伏していく。

「第二矢、用意!」

 透非が再び攻撃の準備を整えさせ、腐土の権現へと矢雨が注ぐ。
 数多くがばらばらに砕け散り、土へと還るように粒子と変わっていった。 
 けれど手足がもがれても動く個体や、森の奥から新手が続々と湧き出た。

「くっ、これではきりがない。ここは儂が討って出る! 弓部隊は援護を、武器を持つ者は儂とともにゆくぞ!」

 やぐらの梯子を一気に飛び降り、槍を背負った透非が出陣した。
 雄々しい気迫に奮起する男たちは、槍や刀、桑に鍬までぶら下げあとを追う。敵は多いが所詮は土の塊。まともな武器でなくとも倒せると踏んだか。
 番門が開かれると、透非を筆頭に続々といきり立った男たちが、腐土の権現に強襲を仕掛けていく。

「……ふむ」

 足場の上で様子を眺めていた稲は、何か思案するように唸った。

「稲、どうした?」

 妙な予感を覚え、逸流は稲に聞く。
 稲はこちらに顔を向けると、軽く息を吐いた。

「なに……この勝敗の行く末が見えてしまっただけのことだ」
「え? それって」

 そう言われて、逸流は透非たちの戦いに目を凝らした。
 見事な槍術で透非は腐土の権現を瞬く間に打ち倒している。他の男も、粗削りながら手持ちの武器を振りかざして、各個撃破を成し遂げていた。
 この現状だけみれば、どう転んでも人間側の勝利は揺るぎないだろうと、逸流は確信している。
 それなのに、その判定を覆すように逸流は直感めいた胸騒ぎが生じた。

「……透非さんたちが、負けるのか?」
「腐土の権現は、なにも人型の有象無象が全てではない。あの程度の雑兵であれば、不意を突かれなければ人間が膝を屈することもないだろう。されど、あれらの本質は人を食らうというその恩讐だ」

 稲は周囲を見渡し、固唾を呑んで透非たちを見守る町人を見やる。

「これだけの人間がおれば、自ずと負の感情も渦巻く。それらを糧に、奴らは新たな力を得るのだ」
「どう、なるんだ……」
「ほれ、直に姿を現すぞ」

 稲がそう言った直後、大気に微かな震えが生じた。異変を感じ取ったように、槍を振るっていた透非が手を止める。

「何か……来る!」

 透非の読みは正しかった。
 手足をもがれて地面に倒れる、辛うじて塵芥に還らなかった土人形の群れ。それらは磁石にでも惹かれ合うように寄せ集まり、まだ動く腐土の権現を巻き込んで肥大化していく。
 急速に増長する異形の使徒を受けて、透非が仲間たちに叫んだ。

「一度この場を引け! 体勢を立て直――」

 透非が指示を下そうとしたとき。

「危ねえ透非さんっ!」

 一人の男が透非の身体を突き飛ばした――刹那。
 ずん、と重たい地響きが大地を揺らす。
 透非は真正面から、全身におびただしい飛沫を浴びた。

「なっ……」

 膝をついた透非は、眼前に現れた巨大な尾に目を剥く。
 ちょうどその下から、透非を突き飛ばした男の握っていた桑が、飛び出し折れていた。
 それが意味する事柄を透非は瞬時に悟り、額から頭部にかけて青筋を走らせる。

「腐土の、権現……っ!」

 透非が鬼神の如き形相で睨みつけるは、まさしく長蛇の身体を持つ化け物だった。
 練り固まった土塊は、蛇の形骸を模している。
 よこしまなる蛇の遣いを象徴するように、二つに割れた舌先を伸ばす一匹の大蛇。全長十メートルはあろうかというほどの巨体で、その太さは並みの切り株すら非ではない。

「この野郎、よくも!」

 死んだ男と仲の良かった青年が、鍬を振りかぶって大蛇に殴りかかる。

「よせ!」

 透非が慌てて呼び止めるが、それは間に合わなかった。
 蛇の胴体を渾身の力で穿った青年は、頭部を翻した蛇に丸呑みにされた。
 その身体が単なる腐土の塊であれば生きてもいただろう。しかし敵は生身の肉体を得たかの如く、筋肉繊維の筋が膨張した。念入りにすり潰すように大蛇が身をよじると、ごりごりと生々しく砕け散る音が否応なく鼓膜の奥を貫いていく。
 決定的な死の音色に、居合わせた者たちは戦慄した。
 潜在する恐怖が表層に曝け出され、引ける腰がその心境を表していく。

「儂が殿を務める! とにかく今は引くのだ!」

 仲間から速やかに失われていく戦意を危ぶみ、透非は槍の穂先を蛇に振るった。その機転によって、大蛇の注意は完全に透非にのみ向けられ、他の者が撤退する時間が稼がれる。
 まだ数体の腐土の権現は残っていたが、男たちはがむしゃらにそれらを武器で払い除けながら、町の番門まで一斉に引き返した。
 透非はそれを見届けつつ、睨みを利かせる土蛇と対峙。
 大口を開けて頭上から押し寄せる蛇を寸でのところで躱し、熟練の域まで達した槍捌きで横腹を滅多刺しにする。
 だが、痛覚のない相手では怯む様子も見られず、腹に穴が開かれたまま大蛇は乱雑にのたうち回った。地響きを起こし、平野を縦横無尽に暴れる様は畑の蚯蚓みみずの如く。土地を耕してくれるのなら幸いだが、腐土の権現の肥料は生きた血肉。返って自らの肥やしにしようと、その場でただ一人残った透非を圧し潰しにかかる。
 透非は足運びを絶やさず、蛇の胴体に攻撃を加えながら回避。
 少しずつ大蛇の身体は削れているが、消耗するのは透非ばかりだった。

「ぬうっ、このままでは……っ」

 息を切らせ、透非は一度大蛇と距離を離しにかかる。
 透非に執拗に追いすがる腐土の塊に、町の方から弓の援護がなされる。けれど下手に射れば巻き添えは必至。さらにあれだけ逞しい身体を手に入れられては、生半可な攻撃では決定打と成り得ない。
 番門までたどり着いた男たちは、策を考えようと肩を寄せ合っていたが、そこに突破口は閃かなかった。これまで透非の指示を頼りにしていたつけが回ったように、互いに浮かない顔を突き合わせるだけである。
 このままでは透非が殺され、次は町が襲われることは明白だった。

「――お前ら、行くぞおっ!」

 それを、決して許すことのできない者たちがいた。
 闇に紛れて、いつの間にか外に出ていた五人の子供。
 藻美もみを筆頭に、彼女らは腰を屈めて草むらに潜んでいた。そして機会を待つようにひっそりと忍び寄り、大蛇が透非を追って背中を見せたところで一斉に飛びかかる。
 不意を突かれた蛇は対応に遅れ、子供たちは握り締めた槍で尾っぽを叩いた。何度か透非が穴を開けたおかげで、同時攻撃に耐えきれず蛇の尾は削げ落ちる。
 たしかな手応えを感じ、藻美は頭上で槍を振り回しながら平野を駆けた。

「おれがぶっ殺してやる! おっ母の敵だ! 思い知れえぇっ!」
「藻美!」

 娘の無鉄砲に気づき、透非は我が身を惜しまず藻美の下に駆け寄った。
 大蛇は身を翻し、藻美に大口を向けて突進する。

 その間、僅か数秒。

 紙一重――透非の到着は届かず、槍を突き出した態勢で、藻美は正面から土頭と衝突した。

「ご、のおおおおっ!」

 ぶつかる直前、藻美は跳躍して蛇の下顎に足をかけた。同時に槍は口内から眉間にかけて貫かれ、辛うじて飲まれない態勢で、藻美は猛進する蛇の頭部に喰らい留まる。

「獲らせてなるものか!」

 蛇の大口に乗る娘を救おうと、透非はすかさず脇腹を槍で突き刺した。
 しかし蛇の勢いは止まらず、とうとう藻美は耐え切れなくなった。
 槍を握っていた手が離れ、振り落とされる身体は草むらの上に投げ出された。そのとき頭を打ったように、彼女は仰向けのまま意識を失う。

「藻美の命は、お前などに獲らせはせぬ!」

 蛇の意識を自分に向けるため、透非は幾度となく槍を放った。
 土の身体を掘削するよう、鋭く繰り出される透非の一閃。
 そこに他の子供たちも混ざって、槍を教えてくれた師匠とともに、藻美を土蛇の毒牙から守り抜こうとする。
 咆哮を発するが如く、土蛇は天へと伸びた。
 鎌首をもたげた腐土の大蛇は、まず透非たちを標的と定め――

【続】


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