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1月1日——元日の夜明け来たりて

年越しの季節がやってきた。

紅白歌合戦を見終えて、「蛍の光」を聴いて、「ゆく年くる年」を見て。
ゴーン、とテレビ越しのどこかの神社で除夜の鐘が鳴ったら、みんなで口々に新年を祝いあって——これを【御慶】と言うらしい——、それぞれの部屋へ帰る。

それが我が家のお正月。

【初日の出】を見る人は、早起き。
日が昇るまで寝ていたい人は、スヤスヤ夢の中。

【元旦】の食卓は、関東風の鶏ガラの【お雑煮】。餅つきをした近所の人がおすそ分けしてくれた、新鮮なお餅をこんがり焼いて中に入れる。【お屠蘇】の代わりに良い日本酒の瓶を開ける。【年の酒】

それらしく飾る【鏡餅】【橙】の代わりに、スーパーで買ってきた小さいみかんを1つ載せる。

従兄弟一家を引き連れて、近所の神社へ【初詣】
手水で手と口を清めて、一礼して鳥居をくぐる。カランカラン。チャリン。お賽銭を投げて、今年は何を心の中で念じよう。

「ようこそお参りくださいました」
おみくじの筒、シャカシャカ振って運試し。「せーの」で開ける。

郵便受けに届いた【年賀状】の束を1枚1枚仕分けながら、午後のゆるやかな時を楽しむ。

夕食は【お節料理】。従兄弟たちが蟹を持ってきてくれた。一年に一度しか食べられない、【祝箸】でつつくご馳走が楽しみのひとつ。

名残惜しいけれど、地元・神奈川を離れて私は東京へ帰る。せっかく親族が揃ったからと付き合いで【初参】に行ったけれど、私は私で個人的なお参りをしたい。ちゃんとお社交をする私を、どうか神様。大目に見てくださらないか。

昨年末に見つけたメモ書きに「お参りは芝大神宮がいいかも?」と書き残していた。いつ書いたのかもあまり覚えていない。東京の神社をいくつか探した中で “芝大神宮がいいな” とうっすら考えていた私は、奇妙なご縁を感じた。《神社に呼ばれる》という不思議なスピリチュアルは、本当にあるのかもしれない。

それに昨年は、初めて伊勢神宮へ参詣した。関東のお伊勢さま、と呼ばれている芝大神宮が《お参りに来なさい》と言っている。

チャリンを再び、絵馬書いて、御朱印もらって、お守り買って達磨も買った。周りを見渡せば、おそらく地元の人か近くにお勤めの人。両の掌を合わせて頭を垂れているあの人は、何をお祈りしたんだろう。人々の祈りの後ろ姿に、見飽きることはなかった。

巫女さんがくださった生姜飴の、やさしく煮詰めた甘さが冬の体を温める。
今年も一年、よい年になりますように。

【初日記】の筆を置く。

参考文献
『俳句歳時記 新年 第五版 角川書店編』
(角川ソフィア文庫)


さつま瑠璃の「季語でエッセイを書く」シリーズ、始動します。

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