さくら [掌編小説]
「私の寿命を半分あげますから、お婆ちゃんを助けてください」
祖母が亡くなる数日前、見舞いに行った面会謝絶中の病室で懸命に祈った。もうすぐ小学校五年生になる早春の肌寒い夜だった。
「ひとは生涯に何回ぐらい桜をみるのかしら。ものごころつくのが十歳ぐらいなら、どんなに多くても七十回ぐらい…」
茨木のり子の詩が好きだった祖母は、十歳の私の顔を見るたびに、病室の窓から見える桜の木を眺めながら、よく有名な詩の一節を口にした。
祖母と出かけたお花見の思い出がよみがえる。せいぜい二度か三度のことなのに、もっと多く見たような気がするのは、詩の言葉にあるように、祖先の視覚も紛れ込み重なりあうからかもしれないと、その時の私は思った。
「今年も生きて、桜を見たかった」
それが祖母の最期の言葉だ。その後、昏睡に陥ったまま、結局私の祈りは叶えられることもなく祖母は逝った。
月日は流れ、今年が祖母の三十三回忌で弔い上げとなる。
きっと寿命の半分を差し出したからだろう。私は四十歳を過ぎて癌を患い、入院した総合病院で余命三ヶ月との宣告を受けていた。
なんとか外出許可をもらい無理をして出席した法要の日の夜、入院先の病室で祖母の夢を見た。お気に入りの丹前を着た懐かしい姿の祖母は、どんぶり一杯のご飯を私に差し出す。
「あんたがくれた寿命は使ってないからね、返しに来たんだよ」
湯気の立ちのぼるどんぶりから、箸で一口ずつご飯を口に運んだ。その様子を微笑みながら見つめる祖母の姿が、やがて満開の桜になっていく。
「あでやかとも妖しとも不気味とも捉えかねる花のいろ」
茨木のり子の詩の一節をつぶやく祖母の声だけが、そよ風のように耳元を吹き抜けていった。
「桜ふぶきの下をふららと歩けば、一瞬、名僧のごとくにわかるのです」
そこで目が覚める。もう夜は明けていて、朝陽を浴びた咲き始めの桜の花が病室の窓から見えた。いつもの辛い目覚めではなかった。
それから二週間ほどが経ち、満開を過ぎて桜の花が散り始めた頃、私は一時帰宅を許されるほどに回復していた。理由は定かではなかったが、法要の日を境に癌が縮小しはじめたのである。
主治医は首を傾げながらも、ちょうど投与し始めていた抗がん剤が予想以上の効果を発揮したのだろうと言った。
祖母の夢の話は黙っていた。懸命に治療に当たってくれた医師に話すことではないと思ったからだ。真実は誰にも分からない。
私は桜ふぶきの下を歩いて家路についた。穏やかな日差しの中の光景が、いつか祖母と行ったお花見の思い出と重なる。
あと何回、桜を見ることが出来るだろう。ふと、そんな思いがこみ上げてきたけれど、すぐにどうでもよくなった。祖母が返してくれた寿命が、どれぐらいあるのかは分からない。だが少なくとも、残りの人生を精一杯に生きることが出来る。
「死こそ常態。生はいとしき蜃気楼…か」
思わず、あの詩の最後の一節を口にしていた。光に満ちた世界の中で、私はどこまでも自由だった。
※1200字ほどの掌編です。思いつきの物語ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。茨木のり子さんの詩が好きで、特に『さくら』には昔から思い入れがあります。ぜひ茨木さんの他の詩も読んでみてください。
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