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祭のあと [掌編小説]

 「トリック・オア・トリート」。急に玄関の外から子どもの声が聞こえて目が覚めた。部屋にひとつしかない窓は、西日がカーテンを明るく照らしている。時計を見ると午後2時になろうとしていた。どうやら夜勤明けで帰宅した後、そのままソファーで寝込んでしまったらしい。

 起き上がってぼんやりしていると、また外から同じ声が聞こえた。きっと近所の子どもが、ハロウィンのお菓子をもらいに来たのだろう。正直、こんな独身者ばかりのアパートを訪れるなんてどうかしていると思った。
 それでも何かあげられるお菓子はなかったかと、ついテーブルの上を探してしまう。もし、あの子が生きていれば、今日は母子ふたりでハロウィンを楽しんでいたのかもしれない。そんな感傷が胸の奥でうずいていた。

 死んだ子の年を数えても仕方がないのは分かっている。だが、子どもの声を聞くたびに、忘れられない過去の光景が蘇った。まだ小学校二年生だったのだ。お祭りの帰り道で、ちょっと目を離したすきに悲劇は起きた。酒酔い運転による交通事故。一瞬の間に無残に変わってしまった我が子の姿は、今も脳裏に焼きついている。

 それからの日々は地獄でしかなかった。跡取り息子を失った夫とその両親はどうしても私が許せないと言って離婚を迫る。私が息子を祭になど連れて行かなければ良かったのだと。
 もともと身寄りのなかった私は再び天涯孤独となった。専業主婦というブランクの後では、働き口などなかなかない。派遣社員に登録して、やっと今の仕事に落ち着いた。コンビニ向けに商品を仕分けするピッキングの仕事だ。夜勤のシフトを中心にしたが、忙しいわりに給料は少ない。

 このところレーンを流れてくる商品もハロウィンにちなんだものが多かった。だから、否が応でも子どものことを思い出してしまう。辛かった。忙しさだけが心の痛みを紛らわせてくれていたにすぎない。ハロウィンが終わればクリスマスが来る。もう限界かもしれない。そう心がつぶやいていた。

 「トリック・オア・トリート」。また可愛い子どもの声が響く。諦めの悪い子どもだと思った。それでもわずかばかりの喜びがある。上着のポケットに、帰りがけ同僚がくれたチョコレートがあるのを思い出した。よろよろと立ち上がり、壁にかけた上着を探る。金色の紙にくるまれたチョコレートを手にした。こんなささやかなプレゼントで、今どきの子どもが喜んでくれるだろうか。そう思いながらも玄関のドアを開いていた。

「すごいね。それ、ぼくが食べたかったチョコレートだよ」
 聞き覚えのある声だった。目の前には、頭にすっぽりとフードを被ってうつむいた男の子が立っている。顔は見えない。なぜか外は暗くて、異常なまでの静寂に覆われていた。その時、2時を知らせる時計のチャイムが鳴る。

「向こうの窓はね、仲間の子に照らしてもらったんだ。ママが昼間だと勘違いするように」
 そう言って、男の子はフードを後ろへずらしはじめる。心臓が早鐘のように鳴っていた。全身に鳥肌が立つ。硬直した手足が逃げようとするのを阻んでいた。
「いつだか、ハロウィンはヨーロッパのお盆なんだって教えてくれたよね。死んだ人たちが帰ってくる日なんだって」
 すっかりフードを外した男の子が見上げてくる。目を閉じようとしたが出来なかった。仮装などではない、血まみれの顔がそこにあった。
「トリック・オア・トリート」。もはや異形の者の声になった私の子どもが、真っ赤な口を開いた。
 異形の声に飲み込まれた悲鳴の後には、祭りのあとの静けさだけが漂っていた。


※ハロウィンも終わりましたね。最後にちょっと怖いお話でした。
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