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ハロウィンと怖い夢 [SS]

 日曜日の朝、真美さんが急に家まで来て、紙袋を置いていった。
「中身は見ないで。お願いよ」
 すごく真剣な顔つきだったので、気圧されるように頷いていた。半ば押し付けられる形で渡された紙袋はずっしりと重い。袋の底を手のひらで支えると、少しだけ柔らかな感触が伝わってきた。何だろう。中身を想像しかけたら、遠くから急に真美さんの声がした。
「絶対に見たらダメだからね」
 アパートの前の道。もう50メートルぐらい離れているのに、真美さんが振り返って私を見ている。「見ないよ」と大声で返事をした。それでも心配なのか、真美さんはちょこちょこ振り向きながら道を歩いていく。やっと十字路に着いて道を左に曲がった。その先には真美さんが勤める病院がある。
 彼女は看護師だった。きっと今日は夜勤なのだろう。身寄りのない私が、たった一人だけ心を許せる人。それが真美さんだ。
 両親は交通事故で亡くした。家族で海まで遊びに行った帰りだった。私も重傷を負ったが奇跡的に一命を取りとめたのだと、後で真美さんに聞いた。彼女は以前からの顔見知りで、入院中からとても良く面倒みてくれている。  
 私には肉体的にも精神的にも、長期間のリハビリが必要だった。幸いなことに、両親が残してくれた十分な遺産があったので、生活には困っていない。思い出の多いマンションを貸家にして引き払い、病院の近くのアパートに引っ越してきたのが二年前。それから今日に至るまで、真美さんは何かと世話をやいてくれている。

 真美さんの姿が見えなくなったので部屋に入った。預かった袋をどこに置こうか。少し迷ったけれど、やはりリビングの出窓にした。クリスマスに小さなツリーを飾る以外は何も置いていない場所だ。いつもカーテンを閉めているから紙袋を見なくても済む。
 出窓に紙袋を置くとき、特に何も音はしなかった。硬い物ならドンとかゴトッと音がしそうだけれど静かなものだ。やっぱり手のひらに感じた感触どおり柔らかい物なのかもしれない。好奇心が湧いてくる。でも、あれだけしつこく約束させられたのだから、見るわけにもいかない。私は改めてカーテンを閉め、その紙袋の存在を忘れることにした。
 ◇
 真美さんが紙袋を預けていってから、あっという間に一週間が過ぎた。テレビでは、あちこちでハロウィンの仮装をしている人たちの様子を映している。今年は土曜日と重なったので、朝から賑わっているのだと知った。バラバラ殺人事件を報じたニュースの後だったからか、思い思いの仮装をする人たちへのインタビューがくだらないけれど救いに感じる。ずっと目覚めが悪いので暗いニュースは辛い。心の中で得体のしれない不安が大きくなっている。だから何も考えないように、この数日はテレビばかり見ていた。 
 まだ真美さんは紙袋を受け取りに来ない。LINEしてもずっと未読のままだ。私はこの一週間、ずっと嫌な夢にうなされている。
 夢には決まって見知らぬ男が登場した。いつも暗闇の中に、男の首だけが浮かんでいる。うらめしそうな表情。でも何も語ろうとはしない。鈍く光った目だけが何かを訴えている。怖い夢だった。
 目が覚めると、必ず出窓のカーテンが少し開いている。真美さんから預かった紙袋を置いた出窓だ。いつも不吉な思いだけが目覚めた頭の中に残っている。さすがに11月になったら病院まで真美さんを訪ねてみようと思った。その時、あの紙袋を持っていくべきか、ここに置いたまま会いにだけいこうか。今では触れるのも怖い。紙袋の存在を忘れるつもりだったのに、全くそうはいかなかった。それでも中身は見ていない。約束だったから。

 今朝は刑事だと名乗る人が訪ねてきた。警察手帳を初めて見る。この人を知らないかと写真を見せられた。夢に出てくる男に似ている気がしたけれど、知らないと答えた。刑事はしばらくじっと私の顔を見ていた。何かを感じたのだろうか。
「この人、どうかされたんですか?」
 思わず訊いていた。刑事は視線を私に向けたまま、行方を捜しているのだと答えた。
「何らかの事件に巻き込まれている可能性がありまして…」
 明らかに言葉を濁している。でも、それ以上は訊かなかった。ご協力ありがとうございましたと去っていく刑事を少しだけ見送って、急いでドアを閉める。急に心臓がバクバクと動きを速めた。やっぱり夢の中の男に似ていたと改めて思う。怖くなった。でも、その理由を考えるのはもっと怖い。だから他の事で気分転換しようと料理を始めた。
 まず玉ねぎを炒めるためにひたすら皮をむく。大鍋にいっぱいのカレーを作ろうと思った。せっかくのハロウィンだから、カボチャをたくさん入れよう。あいにく肉を買っていなかったけれど、具は野菜だけでも構わない。どうせ私一人で食べるのだから。
 料理に夢中になっていけるのが心地よい。包丁は良く切れた。トマトも入れよう。ベチャリとつぶれることもなく、真っ赤な実がスライスされていく。次々と野菜を切り刻んで、そろそろ炒め始めようかと思った時、急に腕がチクリとした。背後に誰かの気配がする。慌てて振り返ろうとしたけれど、急に目の前がかすんだ。床がスローモーションで迫ってくる。一瞬だけ、ペニキュアを塗った白い足の指が見えた。そこまでだった。
 ◇◇
 目が覚めた時、辺りはすっかり暗くなっていた。アパートの前の道から、「トリックオアトリート」という賑やかな声が聞こえてくる。もうハロウィンの夜なのだ。昨年見た光景が記憶の底からゆっくりと浮かんできた。
 まだ頭がぼんやりとしている。夢を見ないで目覚めたのは何日ぶりだろう。ふと、そんなことを思った。部屋の中にカレーの匂いが漂っている。幾つもの違和感が、だんだんと形になってきた。なぜソファーで眠っていたのだろう。その思った時、台所で物音がした。
「誰かいるの?」
 恐怖より先に声が出ていた。ひとり言のような声だった。答えるようにスリッパの音がする。急に部屋の照明が灯った。目がくらむ。つぶった瞼を開くと、目の前に真美さんが立っていた。
「起きて大丈夫なの?」
 私のエプロンをした真美さんが心配そうに見つめている。一週間ぶりに見た真美さんは、とても晴れやかな顔をしていた。
「例の荷物を取りに来たら台所で倒れているんだもの、ビックリしちゃったわよ」
 そう言いながら、真美さんは私のおでこに手のひらを当てる。ずっと水仕事をしていたのか、驚くほどに冷たい。少しだけ生臭さを感じた。無意識に臭いを嗅ぐ。
「あっ、ごめんね。ずっと料理を作ってたから」
 真美さんが少し慌てて手を引っ込めた。私のカレー作りを引き継いでくれたのだという。思い切り息を吸い込むと、美味しそうなカレーの匂いが鼻から身体へ流れ込んできた。早速お腹が反応して大きく鳴る。それを聞いて真美さんが笑った。
「大丈夫そうなら晩御飯にしようか。一緒に食べよう」
 真美さんが台所でカレーを盛り付けている間に、私は例の紙袋を取ろうと出窓のカーテンを開けた。だが、そこに置いたはずの紙袋はすでにない。驚いていると、両手に大盛りのカレーを持った真美さんが戻ってきた。
「あっ、あの紙袋ならこっちよ。預かってくれてありがとう」
 真美さんはカレーの皿をガラステーブルに置くと、ソファーの横に置かれた紙袋を手に取って見せた。「中身は見てないよね?」ともう一度念押しのように訊く。私は戸惑いながらもしっかりと頷いた。真美さんの顔がパッと明るくなる。
「サプライズだからね。でも由美なら約束を守ってくれると信じてたよ」
 そう言いながら、真美さんが紙袋を出窓に置いた。ゴトリと硬い物が置かれる音がした。そのまま紙袋を開ける。両腕を突っ込み、中身を取り出した。新聞紙に包まれた人の頭のような大きさの何かが姿を現す。オレンジ色のカボチャで作ったジャック・オー・ランタンだった。
「一緒にハロウィンを楽しもうと思って作ったの。でも忙しくなりそうだったから、先に持ってきとこうと思って」
 真美さんは丈の短いキャンドルに炎を灯してジャック・オー・ランタンの中に入れた。不敵に笑う死霊の顔が浮かぶ。ひとりぼっちの私を楽しませようと思ってくれた真美さんの気持ちが嬉しいけれど、やはり少し薄気味悪い。それが顔に出てしまわないように注意しながら、出来るだけ明るい声でお礼を言った。
「さあ、雰囲気作りも出来たから、ご飯にしよう」
 真美さんは上機嫌で、食事の準備をさっさと済ませる。大盛りのサラダまで作ってくれていた。グラスに血のようなワインを注ぎ、ちょっとだけなら大丈夫だよねと私に渡す。早生まれだから二十歳の誕生日は来年だけれど、今夜はなぜか飲みたかった。乾杯と声をあげて一口飲みこむと、空っぽの胃袋に流れ込んでいくのがわかる。身体がカッと熱くなった。
「このカレーはいろいろ煮込んで作ったの。しっかり出汁もとって。だから早く食べよ」
 真美さんの声がはしゃいでいた。カレーの中に肉の塊が見える。きっと真美さんが買ってきたのだろう。我が家のどこを探しても肉はなかったはずだ。女同士の気安さで、スプーンいっぱいのカレーを大きな口をあけて頬張った。口の中に芳醇な肉の味がひろがる。
 食べたことのない味だった。ビーフでもポークでもチキンでもない。だが、少し混乱しながらも、その味の誘惑に勝てなかった。空腹なところに少しのお酒が入って、食欲に火がついてしまったらしい。
 ふいに、この一週間の間に感じた疑念や不可解さが意識の水面に姿を現そうともがいているのを感じた。
 腕がチクリとした後、意識を失ったこと。真美さんが改めて出窓に紙袋を置いたとき、以前と違ってゴトリと音がしたこと。刑事が探していた男と、悪夢の中の男の関係。テレビで見た暗いニュース。すべてがひとつの答えに繋がっているような気がしながらも、スプーンを持つ手が止まらなかった。
「いっぱい食べてね。今夜はハロウィンなんだから」
 真美さんの声が、私がそれ以上考えることを放棄させる。そうだ、今夜はハロウィンなのだ。胸の中に幸福感があふれていく。
 ふと目を向けると、真美さんはカレーも食べずに、実の姉のような微笑みを浮かべながら私を見つめていた。


※以前書いたショートショートに加筆したものです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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