愚行は愚者に拠って繰り返される。

はい以前にも同じ内容で考察を展開したのですが

どうやらまだまだ足りないようなので

もう少し考察を展開して行きます。
※食事前後はお避けください、念の為。※

きっかけの記事。

台湾女子医学生、WHOテドロス氏の批判に痛烈反論

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60184?page=3
(参考)テドロス博士への公開メッセージ(日本語字幕付き)https://www.youtube.com/watch?v=EKh6qiAGDfA

以前の考察note。

WHOは「軍隊よりもキツい」んです。| https://note.com/ruricomh/n/n8c539011155f

まるで
台湾は
韓国は
アメリカは
これを当然のように思っていましたが、

全然違います。

何故ならコロナウイルスは既に歴史上何度も何度も名前を変えて猛威を奮って来たからです。

今回私が効くと以前からお伝えしているもの

紅茶
りんごジュース
パイナップル
マスカルポーネチーズ
クリームチーズ
プロセスチーズ
ヨーグルト
酢の物
パスタ
ウオーターメロン
キョクトウ正露丸
ペニシリンetcetc

いろいろありますけど、これら全て昔からあるものなのにコロナウイルスに対してなんらかの効果を発揮しています。

『コロナウイルスに効果があると推奨している紅茶はスリランカからインドに入り、その後、東インド会社に拠って香辛料と共にイギリスへ渡り今の型の元となったとされているが、

知らない未知の国で本当に興味だけで持ち帰ろうと思うものだろうか?』
私がnoteに #収束のために#医食同源 をつける理由。| https://note.com/ruricomh/n/n707b57075f4f

それは
コロナウイルスが名を変えて過去にも猛威を奮ったと云う証拠でもありますが、

どれほど必死でペストや黒死病に対して生き残ろうとしてきたのかを示すものでもあるのです。

中でも特にベニシリンは最たるものと云えますが

アレグザンダー・ブレミングは「もう十年速ければスペイン風邪でも多くの人を救えたのに」と自身の研究ノートで悔しさを何度も何度も滲ませています。
※これに関してはそのままで載せています。※

つまり
コロナウイルスの猛威の事実に対しての真摯さが窺える気持ちなのです。

ブレミングがベニシリンを見つけ出せたのは北里柴三郎のお陰だとも考察ノート・研究ノートのどちらでもはっきりと言い切り北里柴三郎の研究を絶賛しています。但し、称賛はこちらではかなり控えめながらももっと言いたげなニュアンスはかなり感じでした。

つまり
ブレミングは自身の研究の答え合わせが出来たのは北里だけだと、ペストの第一発見者が北里柴三郎である事実をはっきりと根拠も込で書き示しておりこの情熱を以て絶賛されているのです。←これは日記にのみ記されているが、この頃既に発見された後だったため。その中では記録として残された写真にもしっかり今現在とほぼ同じコロナウイルスがありましたし、カビ菌までも映し出されていたのです。
また、これらを提出し以前からのパスツール説を間違いであると指摘もしている。

1967年のこの改定は
これらの指摘を考慮しての結果とされる。

『ペストとペスト菌を最初に結び付けて考えたのはイェルサンであり、当初ルイ・パスツールにちなんでPasteurella pestisと付けられていたこの菌の学名は1967年に、イェルサンにちなんだYersinia pestisに改められた。』
ベスト菌−ウイキペディア

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E8%8F%8C

※この絶賛は働きは、相手が違えば女性に宛てたものか?と錯覚するほどの情熱っぷりでもあった。※
ちなみに当時の好きな人=従兄弟と本人は書いているが、正しくははとこの女性=には驚くほど淡白で臆病ささえ思わせる程の内容だった、この違いようや如何に!とすら思えた。

その頃のベスト菌の発見者。

『ペスト菌は1894年にスイス・フランスの医師で、パスツール研究所の細菌学者でもあったアレクサンドル・イェルサンが香港で発見した。また同時期に、ロベルト・コッホの指導を受けた日本人細菌学者の北里柴三郎がこれとは全く独立に発見した。しかし、ペストとペスト菌を最初に結び付けて考えたのはイェルサンであり』
べスト菌−ウイキペディアhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E8%8F%8C

※ややこしいのでベスト菌に関してはここだけに留めます。※


この頃迄のコロナウイルスはカルシウムの皮膚侵食度が速く、侵食されたところが空気に触れると皮膚が黒く変化し炭素化していたために、黒死病とされていた。

今は痒みや細胞内に粉末化している程度で済んでいる、と言い替えが可能ではある。

その意味では近年のコロナウイルスとは違うのですが能力や作用が違うだけで元の材質は同じです。

ちなみにこの痒みと痛みは、原爆でガラスの破片が細かくなって体内に入り込んだ時と、かなり似ているとされるが
これら全ては敗戦後の日本のあちこちで聴かれもしたし、日記などの資料にも遺されていました。

『※これは塗り薬でも同じです。
それだけカルシウムが体内に入り込んでいる
=量が撒かれていると云う証拠でもあり、
今回の汚染の速度も理解出来るのでないかと。
もし酷いと、中に入ってるって云うか

中が、白くなってる?!
と云うのも目視出来る人も居るかと思われます。』
・・・・・薬を漬けると「指に白い粉が」付きませんか?| https://note.com/ruricomh/n/n9659263c11e4

※こちらと同じく、午後の紅茶ストレートティを何度か塗る事で緩和されます。※

この写真と現在との差に関してはその時々でのきっかけとなるカルシウムの生成材料の質と配合比率の差である。


例えばこの写真。
これは上のウイキペディアから転写したものですが特に小指に特徴が大きく顕れています。

これに関しても二人は関心を示していましたが、北里はその前の出来事で挫折、これに関しての調査にまでは手を伸ばしていません。
片やブレミングはそれについても非常なまでに親身な理解を示しています。なんならあんたは北里柴三郎が好きなのか?!くらいに。←日記のみ。

話が逸れましたが、発生当時の材料の生成質が大きく影響していると推測されます。
換算するならば昔の野菜の栄養素、若しくは野草の灰汁の強さと今の野草の灰汁の比率くらいの目安で、今回やここ百年くらいと、それ以前との差が出て居ると錯覚されがちだが、これらは単に摂取量に拠る場合もあると思われる少数の意見もある事はあった≒昔の材質同等物質摂取時と同等レベル。即ち、どこまでも黒に近い、と推測される。

ペストや黒死病の発生の多くは動物の遺体、カタコンベなどが原因とは考えられますが、何度やってもいずれも考察の域を出ませんでした。

ウイルスに拠る影響としての倦怠感や意識の低下などもありますが、取り分け両者が大きな関心を示したのが【体液の変化】でした。
最初は【自身の体の変化とそれに付随する臭い】に奇妙さを感じて調べ始めます。その完成を見るも、女性の側の不快さも甚大なのでは?と思い至り、家族や知人に生理や体液、おりものの話などを詳しく訊く内につい我を忘れて自身の時と同じように体液の検出を頼んでしまい、事態が大きく傾きます。

ウイルスの体への影響の深刻さから、研究にのめり込んでしまい、研究に名乗り出てくれた女性に対して体液の検出を頼んだ後に一度は気を引き締めて思い留まったものの、その体液の臨床結果に驚愕し、臭いを嗅がせてほしい、と懇願してついに女性に拒否をされ、当然関東は茨城の田舎に帰ってしまうのですがその理由を問い質されて、ついに殊は露見してしまいます。

これに拠り
北里は婦女暴行の濡れ衣を着せられ、研究の名を借りた悪魔を始めとする多くの不名誉なあだ名で呼ばれるようになり、一旦は研究を退いてしまいます。

『1894年(明治27年)にはペストの蔓延していた香港に政府より派遣され、病原菌であるペスト菌を発見するという業績を上げた。

かねがね伝染病研究は衛生行政と表裏一体であるべきとの信念のもと、内務省所管ということで研究にあたっていたが、

1914年(大正3年)に政府は所長の柴三郎に一切の相談もなく、伝染病研究所の所管を突如文部省に移管し、東大の下部組織にするという方針を発表した。』
北里柴三郎−ウイキペディア

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8C%E6%9F%B4%E4%B8%89%E9%83%8E

これで任をほぼ解かれたと同じの北里は考え抜いた末に、あの疑問の謎を解くためにも「他の伝染病との違いを研究する方向に指針を変更」し、その後もコロナウイルスの驚異を探り続ける事にしたのです。

その裏付けとして

多くの『狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発』ノートの端々ににコロナウイルスの威力、体への影響の恐ろしさを都度考察し、書き記している、

コロナウイルスとはそれほど恐ろしいものなのだ、と。

ーーーー時々
NHKのドキュメンタリーでも取り上げられるこのそれぞれの血清研究ノートに一緒に走り書きされたあまりにも情熱的な端書きは、コロナウイルスに対する血清が作れはしないかと考えあぐねた末の行動であり、

つまりは
韓国のリポートを百年も前から実証した上で否定しているのである。

血液は語る。※専門の話過多過多です。| https://note.com/ruricomh/n/nd560ffc49a62

20-04-25-17:51

『目視感覚での確認がしやすい状態になるんですね。

※これは塗り薬でも同じです。
それだけカルシウムが体内に入り込んでいる
=量が撒かれていると云う証拠でもあり、
今回の汚染の速度も理解出来るのでないかと。
もし酷いと、中に入ってるって云うか

中が、白くなってる?!
と云うのも目視出来る人も居るかと思われます。』
・・・・・薬を漬けると「指に白い粉が」付きませんか?| https://note.com/ruricomh/n/n9659263c11e4

これは血液の中までカルシウムがコロナウイルスが入り込んでいて、血清も出来なかった事、そして撹拌すると粘りが出てデータが取れなかった事を怒りと共に研究ノートにも日誌にも書き殴られていました。

追記

『医科大学学長であった青山胤通が所長を兼任することになった。柴三郎はこれに反発し所長を辞し、新たに私費を投じて私立北里研究所(現・学校法人北里研究所。北里大学の母体)を設立。狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組んだ。

諭吉の没後の1917年(大正6年)、諭吉による長年の多大なる恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となる。新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や、赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力した。』

北里柴三郎−ウイキペディアより

一方のアレグザンダー・ブレミングは北里柴三郎の全ての研究ノートと日誌をベニシリンを作り上げた一〜二年後に日本に渡って手に入れている。

その際
これを見てお互いに話をしたとも推測されるが、どうやら北里の方はこれをどうにか実用化出来ないかと視た途端に飛び出してしまい、ブレミングは研究ノートと日誌の写し書きに没頭するだけで終わってしまったようです。

唯一の情報交換は、ブレミングに拠って齎された、ラベンダーとインド産紅茶の効能のみで、北里はそれを日誌に赤で大きく書き記しています。

ブレミングは北里の研究ノートと日誌を大いに参考とし、自身の研究との差を「不甲斐ない」と嘆いていました。

ブレミングのベニシリンの作成には、実は当時のコロナウイルスが一役買っています。

『フレミングはリゾチームとペニシリンという、抗菌性を有する2つの物質をいずれも1920年代に発見したが、どちらも全くの偶然から見出した発見(セレンディピティ)であると伝えられている。リゾチームは動物の唾液や卵白などに含まれている殺菌作用を持つ酵素であるが、

これは細菌を塗抹したペトリ皿に、フレミングがクシャミをしたことで発見された。

数日後、クシャミの粘液が落ちた場所の細菌のコロニーが破壊されているのを発見したことが、彼の実験ノートに書きとめられている。1921年、リゾチームの発見である。』
ベニシリン−ウイキペディア

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

この時のくしゃみこそ、
当時のコロナウイルスの仕業なのです。

研究に明け暮れたブレミングもまた、北里と同じくコロナウイルスの危機に必死で足掻くひとりでした。運良く従兄弟=正しくははとこ=の協力のお陰で女性の影響を知る事が出来たのですが、彼女はあまりの恥ずかしさからつい家族に話してしまい、それが元でふたりは親交の断絶を迫られてしまいました。その後は一度会うかどうかと言うほどの徹底振りに当時の世相が反映されてもいます。

この流れはNHKでも博物館でも触れられてはいますが、この話を記した日記は一度見つかった物が何処かに行ってしまったとされています。


その中にアレグザンダー・ブレミング自身は彼女を好きではあっても彼女との結婚は無理であろうと、記されてもありました事を添えさせていただいて報告の結びとさせていただきたいと思います。

その理由は偏に彼自身が秘密警察の者で在った事、そしてその事実が暖炉の奥の隠し金庫の中の書物からも明らかであると本人の想いがそこに記されてありました。

彼は罰則のための研究をも、行っていました。
自身の研究のために得た仕事のはずが、いつしかそれを苦に思い、事実の提訴にまで走らせ、そして事実を突き詰める北里に自身の目指した姿をも重ねたのです。

20-04-26-16:30

この日の私のツイートです。

『・・・・多分見つけた頃よね、
日誌。』
https://twitter.com/LuricoMH/status/1254309164588781569?s=19

それにつけた引用ツイート。

『北里柴三郎がこれで同じく助かったって日誌に書きまくってんのに

それを無視る現在の日本医療機関って!!!!

どんだけ激烈馬鹿なんだ!!!
っつー話なんすけど。

愚行は愚者に拠って繰り返される。|lurico_marshal_hh @LuricoMH #note #いま私にできること https://t.co/rBlCDx567L』
https://twitter.com/LuricoMH/status/1254308780721844225?s=19

事実の内のもうひとつがこちら。

『ペスト菌と云う名のコロナウイルスを。

写真もあると良いんだけどー???』
https://twitter.com/LuricoMH/status/1254309514917974017?s=19

これこそがブレミングが北里を称賛した
真の発見なのです。

追加

片や現在、

このような研究者が医療機関者が存在するのでしょうか?

20-04-25-18:02

そして彼らはブレミングの発明を無きものにまでしようとしました。

『ペニシリンはアレルゲンとしての一面を持ち、アレルギー反応を引き起こしやすい。そして数万人に一人程度の確率で、アナフィラキシー・ショックを引き起こすことがあり、ペニシリンが引き起こす重篤なアレルギー症状は「ペニシリン・ショック」と呼ばれた。以前は皮内テストが行われていたものの、2004年9月に日本化学療法学会の提言に沿う形で、厚生労働省が抗菌薬の添付文書改訂を指示し、徐々に皮内テストは廃止される方向にある。』
ベニシリン−ウイキペディア

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3

これは当時のブレミングと北里の行為を吹き込んで一種のアナフィラキシーショックを患者に起こさせて折角の対抗策を無為に無くそうとした行為なのです。

アナフィラキシー・ショックはなにもアレルゲン物質だけで起こるものだけでも体質だけで起こるものだけでも無い、そこを卑劣な同業者に悪用された結果なのです。

追記

否、パスツール研究所の功績をそのままに残そうと歪曲させる愚かな見栄こそが

コロナウイルスの収束を未だに箚せずにいるとしか思えないのですが。

『論文によると、標準的な治療に加えてヒドロキシクロロキンを投与された患者97人の死亡率が28%だったのに対し、投与を受けなかった患者158人の死亡率はこれよりも低い11%だった。ヒドロキシクロロキンと抗生物質アジスロマイシンを併せて投与された患者』

https://t.co/t6bAu4X2AV

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