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「ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由」を読んで、アメリカが恋しくなった。



< 今回読んだ本 >

書名:ニューヨーク、雨でも傘をさすのは私の自由
著者:仁平綾
出版:だいわ文庫(大和書房)
初版:2022年7月15日


1.ニューヨーカーの生き方

昨年の夏、アメリカで2週間を過ごした。

ワシントンD.C.を3日かけて巡り、ヴァージニアに移動して、ヴァージニア大学(世界遺産だったらしいということを、割と帰国直前に知って驚いた)のドミトリーで10日余りを過ごした。それ以前にも、修学旅行でニューヨークとワシントンD.C.にあわせて、1週間滞在した。

空港にて。

アメリカで過ごした時間は、どちらも僕の進路決定にも大きく影響していて、なんだかんだ言っても僕はアメリカが大好きだ。

このエッセイは、ニューヨークに9年住んでいた筆者が、普段の生活を送る中で気づいた、自分らしく生きる方法が詰め込んである。

アメリカで過ごした(と書くのは、きっと大袈裟だけど、ここでは許してほしい。と言うのも、本書に3年住まないとニューヨーカーとは名乗れないというエピソードがある。)僕にとっては、激しく首を縦に振りたい、共感だらけの一冊だった。ニューヨークではないけれど、ワシントンD.C.のすぐ近く、ヴァージニアで出会ったみんなも、だいたい同じようなアクションをくれた。

本書では、一貫して”自分”を軸に行動するニューヨーカーたちの生き方が描かれている。

筆者自身も、ある時はアメリカナイズされた創作寿司料理を前に、またある時はルールなどまるで存在しないニューヨークの地下鉄を利用して、はじめは、いちいち日本と比べて、ちょっと見下していたと語っている。

私がどうしたいか。ニューヨーカーが判断する基準は、圧倒的にいつも“私”にあるのだ。人がどう思うか、という他者の視線は眼中にないし、まわりの空気を読んだり、他人と同調したりする気も、さらさらない(と思う)。

本書p229

”アメリカ人“とひとくくりにすることは本来あまりしたくないのだけれど、彼らは自由人だ。国際交流プログラムでも、まず、時間を守らない。人の話を聞かない。イチャつく場所を選ばない。はっきり言って迷惑極まりないし、ストレスも溜まった。初めは、なぜ、ルールを守らないのかと憤慨したものだった。

それでも、そういう文化なのだ。 ”違い” を突き詰めたところで仕方がないのだと僕自身、気付くまでに時間がかかった。

全てにおいて「自分」が基準なんだと徐々にわかってきた。

雨が降ったら、傘をさす。そんなあたりまえの、もはや世界標準のルールみたいな習慣も、ニューヨークでは “私”が決めることになっている。

本書p231
教会。朝のバス車内から。

そこで初めて気づいたのは、りゅうまはどうしたい?と言う質問の意図だった。アメリカの滞在中、ルームメイト(ホストブラザーのようなものだと思って欲しい。Ethanとは今も頻繁に連絡を取り合っている、僕の大切な親友の1人だ。)から、常に「僕はこう思うけど、りゅうまは?」聞かれる。食事にしても、どこかに出かける時も。どんな時も、僕自身の意思を確認して、尊重してくれる。それは、「自分」と「あなた」が違う個性を持って、どちらがいいわけではなく、違うことを受け入れて生きているのだ。

”自分”の意思を大切にする、その分相手の意思も、当然違うものとして尊重する。彼らは明確に自分の意見を持っている、だから僕が「どちらでもいいよ」と言うと、困った顔をする。日本人にとって普通の、相手に合わせる、ことはある意味で選択権を放棄すること。それは彼らにとって、思いやりなんかではなく、「どうでもいい」と言われているに等しいのだ。

そうやって生きるアメリカ人たちの中にいると、些細なことがどうでも良くなってくる。でも、それは決してマイナスなことではなくて、むしろ心地よい。日本では読まなきゃいけないことが多すぎるが故に、知らないうちに疲れてしまう。自分を押し殺して、他者を優先する。もちろんそれが全て悪いわけじゃないけれど、結果的に自分がどうしたいのかを見失ってしまうような気がする。

また、自分の意思をはっきりと伝える彼らは、何を着るか、何を食べるか、何になりたいのか、それらに明確に、主義を持っている。そうした一つ一つをけっして”当たり前”だからと受動的に受け入れることはない。

それぞれ、ジェシーのように一家言ある人ばかり。なにをどう食べるか、だけではない。なにを着るか。なにを仕事にするかもそう。自分なりの手技をしっかり持っている。

本書p201
街角。これはNY。

このことが、結局「挑戦すること」を簡単にしているのだと思う。”他人”からなんと言われようと、それは彼らにとってなんの意味も持たない。大切なのはそこに至るまでの自分の思いで、主義で、その結果うまくいくかどうかは、やってみなくては分からない。

行動を起こさなければ、誰の目にも止まらない。なにごとも、やってみなくちゃ、わからない。だから自分の“好き”に蓋をしないで生きていく。そして、くよくよ考え悩むぐらいだったら、行動にうつす。そういう生きる術を、私はニューヨークから教えてもらった気がしている。

本書p172

Ethanが言っていた。「アメリカでは、自分の目指す大学に入りたいのならその大学にとって価値のある人間じゃなきゃいけない。僕は経済について学びたいから、そのために起業したんだ」と。

なかなか、彼らのようにはいられないけど、それでも、自分のワクワクを信じていいのだと、自然と勇気をもらえる場所、それがアメリカであり、きっとその中心がニューヨークなのだ。

ニューヨークの街と人には、なにかしらの作用がある。 世界中の人を、この街が魅了してやまない理由は、たぶんそれじゃないかと、私はうすうす感じている。

本書p227
カフェの前で。NYは通りごとに表情がある。


2.アメリカにいると、自己肯定感が上がる

もう一つ、筆者にすごく共感したのは、ニューヨーカーの挨拶にまつわる体験談である。アメリカにいると、ものすごく自己肯定感が上がる(個人差はあります)。アメリカでは、友達はもちろん、全く初めましての人さえも、なんでもないことで、すぐに褒めてくれる。「今日の髪型いいね」「その、サングラスかっこいい」e.t.c.

もうひとつ、世界に広めたいニューヨークの習慣がある。それは人と対面したときの、つかみの挨拶。ポジティブな第一声である。

中略

どれも明朗で、さっぱりとしていて、こちらの気分を上げてくれるものばかり。 ニューヨーカーは、相手を落とすようなことは、まず口にしない。なんと気分爽快なんだろう。

本書p147

日々の挨拶もそうした、相手を褒めることから始まることが多い。はじめは、なんと反応していいのか分からず戸惑うのだけど、褒められて悪い気はしない。なんとか真似して、僕も伝えようとするのだけど、彼らのように自然に伝えるのはなかなか至難の業だ……(そもそも、知らない相手に日本でやると間違いなくナンパだと思われる)

この”見知らぬ人に突然ほめられる”というプレイは、その後のニューヨークで、幾度も経験することになった。

本書p28

僕も、この挨拶が大好きだ。今日も1日頑張ろうという気分になれる。また、そうやって相手を褒めるためには、相手のことをきちんと見る必要がある。ただ事務的に声をかけるのではなく少なくともその瞬間きちんと相手のことを認識する必要がある。そうやってお互いに意識し合いながら、ポジティブを分け合うのはすごく素敵なことだと思う。

知らない他人にも気後れせず、いいね、素敵だね、と感想を伝える。ストレートな感情表現ができるニューヨーカーをうらやましく感じるようになった。

本書p29

他にも、アメリカでは、相手の年齢や性別を聞かない。そもそも聞くこともないし、むしろタブーのようになっている。年齢の上下に関わらず、みんながフラットに会話をしている。

会話を弾ませたいならば、相手を深く知りたいならば、年齢よりもたずねるべきこと がたくさんある。住んでいる場所、仕事、好きな音楽、よく食事をする店、バケーショ ンはどこで過ごすか、飼っているペットの話、などなど。

本書p114
Times Square”眠らない街”との言葉通りの活気。

相手の個性と向き合い、違いを楽しむ街。”人種のサラダボウル”と呼ばれる所以が少しわかったような気がする。

もちろん、いい側面ばかりではない。人種差別などの問題がなお色濃く残り、僕自身、アメリカ滞在中に、通りを歩いていて差別的な言葉を投げられることもあった。それでも、人々は夢を追ってNYに集まる。

本書を広げて、またアメリカに遊びに行きたいなと、なつかしさをおぼえながら、1時間ばかりのショートトリップを満喫した。

毎日の生活に息苦しさを感じる方にお勧めしたい1冊。

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